消したい不安

 アンドリューから届けられた手紙を机の上に投げ捨て、キースは頬杖をついた。


 最初に手紙を渡された時、またリリーナに脅迫状が届けられたのかと思った。

 そうであればファゴット伯爵への制裁は何ら抑止力を持たず、王家の威信も地に墜ちたものだと王太子の立場から嘆く外ない。あるいは、それを知っていながらなおもリリーナに危害をくわえようとする愚者であるか。


 差出人が書かれていることを見た時にその杞憂はどちらも消えたものの、しかし記された名に今度は全く別の懸念が浮かび上がった。


 そして中身を確認し、その感情は間違ってはいなかったと確信した。


「リリーナを傾国の悪女にでも仕立て上げるつもりなのか」


 思わず短く舌打ちをする。クレフが傍にいたら下品な行動だと眉をひそめたに違いない。キースも王太子らしからぬ行動だと自覚があるからこそ、自らに非があると分かったうえでの小言は煩わしかった。別件で席を離れてくれていて良かったと思う。


(それよりも、だ)


 この従兄弟が一体何を考えて行動しているのか、まるで分からない。分かるのはリリーナに恋慕れんぼの情――執着と称した方が本質に近いような気はする――を抱いているということだけだ。


 エドガーはリリーナの友人であるバーバラ・シャルドネイトとの交流はあったようだが、リリーナに接していた形跡はなかった。初めてリリーナと直接顔を合わせたのはキースと同じく、バーバラ・シャルドネイトの誕生日パーティーの最中だ。


 ふと気がつく。


(どうして同じ日にした?)


 バーバラと親しいのなら、リリーナと接触する機会はいくらでもあったはずだ。利用したと思われたくないが為に紹介を頼めなかったなど、そんな殊勝な理由はエドガーの性格的に考えられない。


(――接触したくても出来なかったのか?)


 キースもそうであったように、リリーナが探し続けている彼女だと確信を持てずにいた。

 だから彼女自身が自らの魂について知り、キースが動くまで待つしかなかったのではないか。

 そう考えると、最も納得が行く。

 もっとも、納得が行くというだけであくまでもキースの推察に過ぎない。そして面と向かって問い質したところで、あのエドガーがおとなしく言うとも思えなかった。


 本当に厄介な相手だ。

 話し合いの場は設けるべきだろう。だが話し合いで解決するとは全く思えない。

 何とかしなければいけないと分かってはいても、肝心の方法がまるで分からなかった。


「殿下」


 思案に耽るキースにアンドリューが声をかけた。


「発言の許可をいただけますでしょうか」


 許可など普段は求めないくせに、改まった様子のアンドリューに無言のまま視線を向ける。それを許可だと受け止め、アンドリューは口を開いた。


「リリーナ様は、とても強い不安を感じておられるように見受けられます」

「不安?」

「あの方が我々の前で不安を抱くことがあるのなら、殿下絡み以外には考えられませんが」

「ずいぶんとリリーナ嬢に肩入れしているようだが」


 思えば彼らは以前からそうだった。リリーナへの態度を見ては「殿下は婚約者殿に冷たすぎる」だの「もっと自然にエスコートして差し上げるべき」だの、主に対して好き勝手な発言を何度もしていた。

 多少なりともキース本人も自覚があったから特に咎めずにいたものの、本来なら度が過ぎると処罰されてもおかしくはない。もっとも彼らとしては、キースが処罰しないと分かっているから言っていたわけだが。


「打算なしに殿下の役に立ちたいと思われる王太子妃殿下に肩入れして、仲睦まじい未来の国王夫妻お二人の姿を拝見したいと願うのは、臣下として当然のことでございましょう」


 そして彼らはようやく婚約者の出来たキースに幸せになって欲しいと思っている。そこに偽りがないのが伝わるから余計に面白くない部分もあった。


「もっと、分かりやすく殿下の気持ちをお伝えして差し上げて下さい」


 結局はそれを聞き入れる自分も、自覚する以上に彼女に肩入れはしているのだろう。

 その日、花束に添えられたカードにはいつもの送り主を示す署名だけではなく、心配しなくていいとキースの直筆の言葉も書き綴られた。



 


「殿下、エスメラルダ様が到着なさいました」

「通してくれ」


 翌日の午前中、エスメラルダの来訪をクレフが告げる。

 エドガーも気になるが、他にも確認しておきたいことがあった。その為に昨日、エスメラルダの登城をクレフに要請しに行ってもらっていたのだ。


 普段は何をしているのか不明だが本人いわく多忙らしい占い師は、この時間なら空いているとの返事をクレフに伝えた。

 キースとしても早い方が都合が良い。かくして返事をしないことで了承の意としたのだった。


 クレフの案内でキースの執務室に足を踏み入れ、エスメラルダはにこりと微笑む。


「久し振りさね。最後に会ったのは六月の夜会だったかえ?」


 キースは目の前の女性を胡乱うろんげに見つめた。

 自称・よわい五百を超えるという彼女は、今日もその年齢をまるで感じさせない。そして相変わらず身体のラインに沿った鮮やかな色合いのドレスを好んでいるようだ。紫がかった赤いドレスに暖かそうな毛足の長い白銀のストールを羽織り、まるでこの部屋の主のように堂々と椅子に腰を下ろす。

 遠慮するような性格ではないし、そこで無駄な時間を取られるのも面倒だ。だからキースもエスメラルダの行動には何も口出しはしなかった。


 最低限の礼儀としてお茶を振る舞い、人払いを済ませるとキースは口を開いた。


「単刀直入に聞く。リリーナは本当になのか」

「ほほ。わざわざ呼び出して何の用かと思えば面白いことを言いなさる。今となっては真実は私なぞより殿下の方がよほどお詳しかろうに」


 エスメラルダは目を細め、喉の奥で笑った。金銀のラメが散った派手な赤いマニキュアの乗る指先で口元を抑える。


「すでにあのお嬢さんの魂の形を知ったうえで、私に聞きたいことがあるから呼んだのかとばかり。――ああ」


 何かに思い至ったらしい。そこでエスメラルダは一度言葉を切り、柔らかな笑みを浮かべた。


「確信が欲しいのは殿下じゃなくてあのお嬢さんの方かな。それなら本当に殿下の運命の相手だから、何も心配することはないと安心させてあげると良い」


 キースは当然、昨日のうちに同じ内容の文面をリリーナに送ったとは言わなかった。とは言え希代の魔女でもある占い師はそんなことなどお見通しのようだ。キースに向けてにんまりと人の悪い笑みを見せる。この状況を楽しんでいるのはあきらかだった。


「おお怖い怖い。せっかくの色男がそんな顔をしなさんな」


 キースの冷ややかな一瞥を受け、思ってもいないことをうそぶいて肩をすくませる。けれども重要な用事があって呼ばれたことを忘れてはいないようで、ストールの端を弄びながら話題を変えた。


「それで殿下ご自身は何を気にかけているんだい」


 例の一件以来、キースには強く疑問を抱いていることがあった。

 階段の上から落ちたリリーナが比較的軽傷で済んだのは奇跡なのか。

 それとも、空想上の概念に等しい魔術によるものなのか。

 もしそうであれば、とうの昔に形骸化したものだと思っていた精霊の加護はリリーナにも働いているということだ。


(――いや)


 キースの口元が自嘲気味の笑みでわずかに歪む。

 精霊の加護が形骸化していないことなど、良く知っているではないか。


「リリーナにも精霊の加護は与えられているのか?」

「一の王妃は土。二の王妃は水だったかえ。ならば三の王妃――あのお嬢さんは風か火の加護を得ているだろうね」


 エスメラルダの言葉を引き金に、キースの脳裏をとある光景がよぎった。


 リリーナが初めて登城した日。庭園で強い風が吹いた。今思えばあの風はどこか不自然な吹き方だった。

 リリーナはキースへの贈り物を用意していて、渡せずに困っていた。それを一陣の突風がキースの手元に届けたのだ。が働きでもしたかのように。


 あれが精霊の加護によるものでないのなら、どう説明をつける。

 リリーナがそれまでしっかりと持っていたポーチを偶然落とし、ちゃんと閉じられていたポーチの口が偶然開いて中身が散乱し、リリーナがキースに渡したかったものだけが偶然キースの足元に転がった。

 リリーナの反応を見るに、それらが全て偶然の連続であることに間違いはないだろう。


 だがリリーナには風か火の精霊がついていると聞き、確信に変わった。


「どうやら殿下には心当たりがおありで?」


 エスメラルダは興味深そうに問いかける。


「今はまだ一つだけだ。だが多分……風の精霊が彼女の近くにいる気配はある」

「ほほう。ではお茶の効果が出はじめたということになるさね」

「お茶の効果?」


 初めて聞く情報だ。エスメラルダは軽く頷く。


「あのお嬢さんが最初に私の元を訪ねた時、特殊なお茶を飲んでもらったのさ。もちろん身体に害があるものじゃないよ。ただほんの少し、精霊との繋がりを得やすいようにしただけさね」

「それは誰であっても効果が出るものなのか」

「元々、精霊との繋がりがあればね」


 キースは思わず息を一つついた。


 リリーナがキースの運命の相手であることは、これでもう疑いようもない。エドガーの強気な発言もおそらくはブラフだろう。


(だが)


「ようやく探し求めていた相手と巡り会えたのに浮かない顔だね」


 どこまでも魔女は目ざとい。自分の手には余る感情と分かっているから、キースは取り繕わずに答えた。


「二度も、彼女一人を犠牲にはしたくない」


 精霊の加護を持つ王妃を娶る王の下に、国の繁栄が約束される。

 それは言い換えればつまり、巫女である王妃を神に捧げるということだ。

 現にはそうだった。弱くなった精霊の加護を強める為に、最も深い繋がりを持つの魂が必要とされた。要は生贄だ。そして同じ魂を持つリリーナがそうならない保証はどこにもない。


 もう自覚はあった。

 キースは、再び彼女を失うことを恐れているのだ。


「心配しなくていいと、あのお嬢さんに言ったんだろう? だったら殿下も心配はしなさんな」


 キースは目の前の魔女を見た。

 過去のキースとリリーナをその目で知る存在は、ただ慈しむような表情でキースの視線を受け止める。


「まあ今はこの国も安定して、良くも悪くも精霊信仰そのものが薄れて来てはいるからね。殿下が危惧するような事態はまず起こらないと思っていいよ。それに、何よりも」


 そして今度はキースの逃げ道を塞ぐよう、しっかりとした口調で言い募った。


「あのお嬢さんは殿下と幸せになりたいんだ。その願いを叶えてやれるのは誰なのか、ようく考えてみることさね」




 エスメラルダが帰り、一人になったキースは右手で顔を覆う。

 自分の思っていることだ。何一つ嘘をついてはいない。


 ただ、嘘ではないからこそ、勢いに任せてとんでもないことを口にした気がした。


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