気まぐれな正体
エドガーには、申し出を受けられないとだけ記して返事を出した。その後は何の連絡もない。
キースの方からもリリーナを婚約者として正式に発表する準備がある為、不用意な真似はやめるよう書面を送ったようだ。そしてやはりエドガーからの返信はないことも同様だった。
心配しなくていい。
キースがそう言ってくれたから、いくぶんか心配も不安も和らいでいる。それに部屋のある区画こそキースと違えど、リリーナも王城内に住まうのだ。たとえエドガーであっても――むしろ異性であるからこそ簡単に手紙を出すことも出来なくなる。
「こちらがリリーナ様の私室となります」
侍女の後について部屋に通されたリリーナは、その広さに圧倒されて足を止めた。
客室も兼ねているとは言え、この部屋だけでもリリーナの自室の倍近くある。そして当然のように一室で終わりいうことはなく、続き部屋に繋がっていると思しき扉まであった。内装こそ要望通りにアイボリーで統一されてはいるものの、今日からここが自室だと言われても戸惑いが勝ってしまう。
奥の続き部屋は先程の部屋よりは若干狭い。とは言えドレッサーとソファーが置かれているだけで、それを思えば十分に広かった。また、正面にはさらに奥へと通じる扉も見える。
侍女の説明によれば、左右の壁は一面の全てを使ったクローゼットになっているらしい。部屋自体が狭く見えるのもそのせいだ。
これだけ大きなクローゼットに何が入っているのか。自分の為に用意されたものへの好奇心に駆られ、右手側の壁に歩み寄ってスライド扉を開ける。中には、全てに袖を通そうと思ったら一日に何回着替えたらいいのか分からないくらいのドレスがかけられていた。
リリーナのドレスのサイズを知ったのは十二月の中旬のはずだ。しかも当初の予定では年が明けてすぐに王城に移り住むことになっていた。予定が一か月ほどずれ込んで猶予が出来たとしても、これだけのドレスを仕立てるのはとんでもない早さだった。
右手側にドレスしかないということは、靴や帽子といった小物はおそらく左手側に収められているのだろう。さすがにこれ以上ドレスがあっても着られる気はしない。そう思うと少し安心した。
そしてクローゼットの端に、濃紺のドレスがかけられている。年明け早々の夜会でお披露目するはずが、階段から転落したせいで二度と陽の目を見せてあげることが出来なくなってしまったあのドレスだ。アメリがリリーナの為に縫ってくれたのに、その労力を思えば申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
リリーナにとっても思い入れのある、大切なドレスだ。だから人前で着る機会は二度とないのだとしても、クローゼットに入れてくれるよう頼んでいた。
もう失態を見せたりはしない。
濃紺のドレスは綺麗な思い出の品であると同時に自らを戒める品でもあった。
「リリーナ様……どうぞあまり、お気になさりませぬよう」
ドレスを見つめたっきり押し黙るリリーナに、背後からメイドが気遣わしげに声をかける。
そんなに落ち込んで見えただろうか。リリーナは扉を閉め、侍女に向かって微笑んだ。
「大丈夫よ。それより、お天気も良いし早速だけど少し中庭を散策したいの。見て来てもいいかしら」
アンドリューかレイノルドが一緒なら、リリーナが住む区画内を自由に行動する許可は得ている。キースと散策した庭園より規模は小さいが、花々の咲き誇る庭があることも聞いていた。
「畏まりました。王太子殿下よりお話は承っております。護衛の方々をお呼びしますから少々お待ち下さいませ」
すぐに駆けつけたレイノルドに護衛を頼み、中庭に出る。確かに庭園と比べると全体的にこじんまりとした印象を受けるが、それでも王城内なだけあって立派なものだ。花壇にはキースが贈り続けてくれた花々と同じものもたくさん咲いており、凛とした冬の空気を引き立てる彩りが目を愉しませてくれる。
整備された石畳に沿って歩きながら、リリーナは足を止めた。
前方に子供が二人いる。双子なのだろうか。二人は遠目にも良く似ていた。髪型はショートとセミロングと違えど、くるくるとカールした髪は淡い黄緑色の印象そのままにとても柔らかそうだ。
白から明るい緑色へとグラデーションを描く袖のない服は丈も膝までと短く、腰の辺りにはベルト代わりに細いリボンが結ばれていた。長く伸びたリボンの端が、風を受けて揺らめく様も愛らしかった。
特筆すべきは肌の色だろう。透けるように白く――いや。
リリーナは目をしばたたかせた。
(透けてる?)
そして靴を履いていない足元は、地面からほんのわずか浮いているようだった。
「リリーナ様?」
足を止めたリリーナをレイノルドが訝しんで声をかける。同時に、前方の子供たちも驚いたようにリリーナを見つめ、大きな目を丸くした。
気のせいじゃない。今、彼らと確かに目が合った。それから二人はお互いに顔を見合わせて短く言葉を交わし、リリーナへ向けて笑顔で駆け――正確に言うなら中空を飛び――寄って来る。
「リリーナ!」
「ねえ、私たちのこと、見えるようになったの!」
鈴を転がしたような声を張り上げ、双子は先を争うようにリリーナの腰に抱きついた。
二人の子供が勢いよく飛び込んで来たにも拘わらず、重さを全く感じさせない。代わりに一陣の風が、リリーナの髪やワンピースの裾をふわりと優しく舞い上がらせた。
何だか胸がいっぱいになる。上手く言えないけれどキースとはまた別の繋がりを双子から強く感じた。
嬉しそうにリリーナを見上げる瞳も緑色で――より正確に言うのなら、翠と言った方が良いのかもしれない。その青みを帯びた深く澄んだ輝きは、まさにエメラルドのようだった。
思わず両手でそれぞれの身体を抱き留めると、双子たちはさらに顔を綻ばせる。よく見るとリリーナの指先はその透き通った肌の向こうに見えていたけれど、不思議と温かな感触が伝わって来た。
「僕たちまだリリーナとの繋がりがしっかりしてなかったから、ちゃんと守ってあげられなくて本当にごめんね」
「ごめんねリリーナ。とても痛かったでしょう?」
一転して泣きそうな顔をして謝罪の言葉を口にする。リリーナが階段から落ちたことを言っているのだろう。
でもそれはもちろん双子たちのせいではない。だからリリーナはやんわりと首を振った。けれども双子たちはやはり気が済まないようで、眉尻を下げて何度もごめんねと謝り続ける。
「キース様がすぐ駆けつけて下さったし、本当に大丈夫なの。私を守ろうとしてくれてありがとう」
「守るって、そんなの当たり前だよ」
「私たち、リリーナを守る為にいるんだもの」
リリーナは屈み込んで双子たちと視線を合わせた。
「植木鉢が落ちて来ることを教えてくれたり――渡せずにいたキース様への贈り物を渡してくれたのも、あなたたちでしょう?」
「そうだよ!」
「リリーナは今度こそ幸せにならないとだめなんだから!」
「あの時も、ありがとう」
双子は首を左右に振り、得意げに胸を反らす。
「今はまだ建物の外でしかリリーナの力になれないけれど、絶対に守るからね」
「だから私たちを信じて欲しいの」
「――リリーナ様」
躊躇いがちに名を呼ばれ、リリーナはレイノルドも一緒にいることを思い出した。
この様子ではレイノルドに双子の姿は見えてはいないのだろう。そんな中、リリーナがいきなり何かと話し出したのだ。今になって頭を打った後遺症が現れはじめたのか。そんな不安を感じられても仕方ない。
リリーナはレイノルドを右手で指し示して尋ねてみる。
「レイノルド――あの護衛のお兄さんに、あなたたちの姿を見せてあげることは無理かしら?」
「繋がりがない人には僕たちは見えないんだよ」
「声も聞かせられないの」
「そうなの……。無理を言ってごめんなさい」
双子は再び首を振って眉尻を下げた。
「ううん」
「私たちこそ、リリーナとお話出来るようになったのが嬉しくてごめんなさい」
たちまち意気消沈する二人にリリーナは微笑んでみせる。触れることは出来ないけれど頭を撫で、レイノルドに向き直った。
「姿を見せられないんですって」
「ああ、いえ。それは構わないのですが何と言うか……驚きました」
それはそうだろう。
本当に他に言葉が思いつかなかった様子のレイノルドに、リリーナはつい口元を綻ばせてしまった。
でも、立場的にそうするわけにはいかないのだとしても、リリーナの言葉を疑わずにいてくれるのはとても嬉しい。
「ねえ、僕たちがいるって証明出来たらいいんだよね?」
「それなら出来ると思うの!」
「え、ええ……そういうことになるのかしら」
提案をされて戸惑いながらも返事をすると、双子は顔を見合わせて頷き合った。それから手を繋ぎ、もう片方の手をそれぞれ掲げる。
風がレイノルドの周囲に吹いた。先程リリーナの髪やワンピースの裾が舞い上がったように、レイノルドの明るい茶色の髪や騎士団の礼装がたなびく。レイノルドは唖然とした表情を浮かべたものの、双子たちはどこか納得が行かない様子で相談を重ねた。
「もうちょっと強い方が良かったかな?」
「じゃあ、今度は強めにしてみましょうよ」
うん、と小さな二つの頭が縦に振られるやいなや、突風がレイノルドに襲いかかった。
小さな竜巻が足元の土や草花まで勢いよく中空に舞い上がらせ、見えない何かに押されたかのようにレイノルドの上体が大きくぐらつく。さすがに倒れることはなかったけれど、相当な強さではあったらしい。鍛え上げられている王宮騎士ですら風の威力に煽られて数歩
誰がどう見ても不自然な風だ。
「これは……本当に」
双子だけでなく、何故かレイノルドも納得が行ったように
「風の精霊が、リリーナ様のお傍にいらっしゃるということでしょうか」
双子の声はレイノルドに聞こえずとも、レイノルドの声は双子にも聞こえるらしい。表情を輝かせて何度も頷いている。推察は当たっているということだろう。
レイノルドには見えない双子が普通の人間の子供ではないことくらい分かる。
でも、精霊と言われるとにわかには信じられなかった。リリーナだってエスメラルダいわく魂に"淡く輝く満月の紋章"を持っているらしいし、当のエスメラルダは世界に数少ない魔力を持つ存在だ。特別なことが特別ではない環境に置かれてはいる。
それでも精霊というものは、あまりにもかけ離れた存在だった。
「あっ、そうだ。僕はフィールだよ!」
「私はシルティアっていうの!」
風の精霊の双子は無邪気に名乗り、よろしくねと口を揃えた。
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