王子と半分こ
瀬月ゆな
第一部
運命の相手をもたらす縁結びの逆姫
誕生日を先日迎え、十七歳になったばかりのディアモント伯爵家長女・リリーナには、あまり嬉しくない二つ名がある。
いつ、誰が呼びはじめたのかは分からない。
けれどその二つ名に相応しい出来事が短期間のうちに立て続けに起こり、少なくとも呼び名に対して表立って異論を唱える者はいなくなった。
"婚約者に運命の相手をもたらす
誰とは特定出来ないけれど、これまでリリーナと関わりのあった人物が言い出したものだとは思われる。姫と名付けたのは彼の、気持ちばかりの良心の呵責の表れだろうか。
どちらにしろ、たった二年の間に社交界へ完全に浸透してしまった今となってはどうでもいいことだ。
リリーナも世の令嬢たちの例に漏れず、十五歳でデビューを果たした。
眩いばかりに輝く明るい金色の髪、大きな青い目、バラ色の頬。可愛らしい見た目に快活そうな雰囲気が好ましいものと受け止められ、リリーナは瞬く間に評判となった。
故にデビューとほぼ同時にはじめた結婚相手探しもきっとすぐ終わるだろう。周囲からはそう思われていた。
「すごいよ、リリーナ! 君宛てにね、侯爵家から婚約の申し込みが来たんだ!」
興奮に息を弾ませた父がディアモント伯爵家と親交の深い侯爵家からの書状を手に居間に駆け込んで来たのも、デビューから間もない頃だった。
信じられないような良縁の話だが、もちろんリリーナ側から断りを入れる理由はどこにもない。とんとん拍子に話は進められ、美男美女カップルの誕生に両家だけでなく、社交界も暖かな祝福ムードに包まれる……はずだった、のだが。
いよいよ正式に婚約関係を結ぶという段階になり、先方から一通の書状が届けられた。中を改めたディアモント伯爵は顔色と言葉を失い、半ば呆然と書かれた文面を眺める。その後何通も同じような文面の書状が届くことになるのだが、この時の伯爵には知る術もない。
「はあ……困ったねえ」
書状を手に、父が深々と溜め息をつく。
つまるところ「婚約の話はなかったことにしてほしい」という内容だ。
しかし相手の方が高位貴族だとは言え内容が内容だけに、はいそうですかと黙って引き下がるというわけにもいかない。書状が届くなり父はすぐ侯爵家に宛て、破談にすると決めた理由を聞かせて欲しいと返信を送った。
何か失礼なことをしでかしてしまったのなら謝罪しなければならないし、そうでなくとも自慢の娘という親の欲目が働いて判断が曇っているのならば、それも改めて行く必要がある。
ところが、二週間後に侯爵家から届けられた返事はさらに歯切れが悪かった。
リリーナは何も悪くない、非はこちらにある、誠意を持って相応の謝罪をするから今回は退いて欲しい。
謝罪させたくて書面を送ったわけではない父は戸惑った。ただ、話がほとんどまとまりかけていた婚約を一方的に解消するという、大きな決断に至る説明が欲しかっただけなのだ。それがどうだろうか。肝心な部分には何一つとして触れられていない。
しかも話はそれだけでは済まなかった。追い打ちをかけるかのごとく、一月後にさらなる事件が起こったのだ。
「……とんでもないことになったね」
そう告げる父の顔は蒼白を通り越し、色そのものを失くしていた。どちらかと言えば精神的な疲弊を隠し切れずに右手で顔の半分を覆いながら天井を仰ぐ。
父の態度は無理もない。
リリーナと婚約するはずだった侯爵家嫡男が他家の令嬢との婚約を書面で発表した。しかも二人は三月前にとある夜会で出会ったばかりという、父の言葉通りとんでもないおまけつきだ。
三月前と言えばリリーナとの婚約を解消するより少し前の時期になる。道理で侯爵家の反応はリリーナは何も悪くない、非はこちらにあると一点張りだったわけだ。
おかげで先方の態度に納得は行った。婚約寸前で他の令嬢に目移りしたとあっては体面が悪いどころではない。
それでも後になって人を通して真実を知らされるより、当人の口から聞いた方がまだましではないだろうか。
「災難だったわね」
「あまり気を落とすこともないわよ」
「きっとまたすぐに良縁に恵まれるわ」
公の場に出れば、普段さして親しくもない令嬢たちも含めて、慰めの言葉を次々とかけられた。
正直なところリリーナ自身は破談に際し、さほどショックを受けてはいなかった。
伴侶となる侯爵家嫡男に多少なりとも好意を持っていたが、それは異性に対するものとして育ってはいなかったからだ。そして相手も同じ気持ちだろうと薄々察してもいた。
だから心を寄せる相手が出来たのなら、破談になるのもしょうがないと思った。
侯爵家嫡男の気持ちはリリーナにも分かる。
リリーナだって、出来れば想い想われる相手と結ばれて幸せになりたい。問題はそんな相手が今はいないことと、現れる気もしないことなのだが、それとこれとは話が別だ。
けれど、事情だけは隠さずに話して欲しいというリリーナの考え方に理屈として筋が通っていたとしても、感情として実行はしにくいことなのだろう。
(確かにとても言いにくいことではあるもの)
一方的な都合で土壇場になって婚約を白紙したこと、それによって不誠実の誹りを受けることはどちらにしろ変わらないのだ。ならば無責任な噂話というものに責任を丸投げしてしまおうと考えるのも、もしかしたら自然な流れなのかもしれない。
それに考え方によっては、不誠実な一面を持つ相手と愛のない結婚をしなくて済んだのだ。結果的に良かったと思った方が気も楽だった。
何より過ぎたことをいつまでも引きずっていても仕方ない。
侯爵家嫡男もディアモント家への体面を尊重してか侯爵家から除名されたうえ、王都より離れた領地の一部に移ったと噂で聞いた。確かにあれほどの騒ぎを起こしたとあっては、王都には居づらいだろう。
そもそも、嫡男でありながら大々的に婚約を発表しなかった時点で侯爵家なりに、何らかの話し合いが行われたに違いない。結果、侯爵家の跡取りという地位を捨ててまで添い遂げたいのであれば、リリーナと結婚したところで誰一人幸せにはなれない。
「私は大丈夫ですから、お父様もお母様も気になさらないで下さい」
「無理はしなくて良いんだよ、リリーナ」
リリーナは縁がなかったのだとすっぱり諦め、気丈にも次の相手を探しはじめた。両親にはなおもわだかまりがある様子だったが、当のリリーナ本人は特に何を思うでもなかった。
侯爵家嫡男を異性として好きではなかった以上、未練も何もないのだし、何よりも婚約を結ぶのはリリーナだ。いつまでも立ち止まっていたら、あっという間に適齢期だって終わってしまうかもしれない。
今回はたまたま運がなくて上手く行かなかっただけだ。
リリーナはとても前向きに、そう思っていた。
「つらくなったら、いつでも相談しておくれ」
「ありがとうお父様。でも私なら本当に大丈夫ですから」
本人以上に引きずる両親を説得し、お相手探しを再開したリリーナの評価は、最初の婚約が破談になった後も下がることはなかった。
もしかしたら、そこにも侯爵家の
家柄にも本人の見た目や性格にも問題がないことは変わらず、悪評が立つどころかむしろ侯爵家嫡男から理不尽に破談を申し渡された悲劇の令嬢として同情の目すら向けられた。
人から同情されることは決して良い気分になることではないが、本人に非はなかろうと逆恨みであらぬ噂を立てられ、
ましてや格上の侯爵家が最後まで誠実な態度を示してくれたことは不幸中の幸いと言っても良かった。侯爵家は侯爵家で、リリーナとはまた違う方向で被害を被ってはいる。恥をかかされ、面子を潰されたと慰謝料を要求して来るケースもあるのだと後で知った。
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