二つの"運命"
その夜、あの夢と同じもの、あるいは前後の繋がりがあると思われる夢を見られはしないかと期待した。けれどそんな都合の良いことが簡単に起こるはずもなく、夢と思しきものですら見られなかった。
もっとも、そんなに重要な夢ならもっと早くから、断片的にでも何度か見ていたに違いない。それがないということは意味深であったというだけで、さほどの意味はないのだろう。
何より一人で考えていたって正解が分かりようがないのだから、どうしようもなかった。
ただ、何でもないと割り切るには難しいのも事実だ。しばらくの間はすっきりとしない思いを抱え続けることにはなるだろう。
とりあえず、キースには一度だけ尋ねてはみるつもりだ。それで知らないと言われたとしても疑って深い追及はしない。
そうして当面の身の振り方を固めた時、ドアがノックされた。返事をすると少しの間を空けて頬をほんのりと染めたメイドが顔を見せる。年頃の少女であるメイドたちがこういう表情を浮かべるということは、クレフがキースの命で訪ねて来たのだろうか。
けれど、思い当たる用件も特にない。
首を傾げるリリーナにメイドは声高に告げた。
「グラヴィット家ご令息のエドガー様が、お嬢様にお会いしたいとおいでになられました」
デートの誘いを断る旨を記した封書はすでにエドガーの元に届けられたはずだ。そのうえでリリーナにまだ何かの用事があるとは思えないが、あまり待たせておくわけにも行かず足早に客室へ向かった。
「お待たせして申し訳ありませんエドガー様。リリーナ・ディアモントです」
ドア越しに名乗ってから軽く二度ノックをする。中から耳馴染みの良い声で「どうぞ」と返って来た。ドアを開けて室内に入ると、エドガーはやはりソファーに腰を下ろしていた。
「そんなに待ってないし、待つ時間も楽しいから急がなくて良かったのに」
「そういうわけにも参りません」
エドガーが立ち上がるより先に歩み寄り、正面のソファーに座る。リリーナは悟られぬよう唇を固く引き結んだ。元々リリーナが気安く接することが出来るような立場の相手ではないけれど、今後はより一層と線引きは明確にしておかなければいけない。
「また何の先触れもなく訪れてごめんね」
「いえ。相変わらず、大したおもてなしも出来ずこちらこそ申し訳ありません」
簡単なやりとりを済ませ、紅茶の準備を終えたメイドが静かに下がった後もリリーナは自分から口を開けないでいた。
今日訪れた理由は何なのかを素直に問いかければ良いのだろう。けれど一度拒絶の意を示した以上、深くは関わらない方がお互いの為だ。それに正直なところ、リリーナから何をどう話しかければ良いのか分からない。
エドガーは無言を貫くリリーナの心を窺うように見つめ、形の良い眉を下げる。
「可哀想なリリーナちゃん。君はいつも、あいつのせいで悲しい思いばかりしてるね」
――いつも? あいつのせい?
「エドガー様……何か、ご存知なのですか?」
そんなのは気を引く為の思わせぶりな出まかせだ。そう分かってはいるのに、あんな夢を見た後だからエドガーの言葉に乗ってしまった。
リリーナの反応にエドガーは気を良くしたように目を細める。この柔らかな笑みに、これまで何人の令嬢が骨抜きにされたのだろうか。
エドガーはそうして、とっておきの秘密を打ち明けるかのように身を乗り出して囁きかける。
「君がそんなに気になるのなら、教えてあげてもいいよ」
「本当ですか?」
「うん。今度こそ俺を選ぶと誓えるのならね」
今度こそという単語に引っかかりを覚えつつ、リリーナはエドガーを見つめ返した。穏やかな表情は逆に、その裏に何かを重要なこと隠しているからのようにも見える。初めてエドガーに対して強い警戒心が芽生えた。
「どうして、私にそんなに肩入れなさるのですか? エドガー様みたいに素敵な方なら、お似合いの令嬢が他に……」
出来る限り平静を装って尋ねてみたものの、駆け引きなんてまともにやったことがないから声のわずかな震えまでは誤魔化せない。エドガーはさらに笑みを深め、リリーナの言葉の意図が分からないとでも言うように首を傾げた。
「君が俺の運命の相手だから。それ以上の理由は必要なのかな」
「そんなはずありません。だって、私の」
「キースが、対になる紋章を魂に刻まれた運命の相手だから?」
言葉を途中で遮ったエドガーの声は、どこか追い詰められた様子のリリーナとは対照的な余裕に満ちたものだった。これまでに一度も聞いたことがないほど酷薄な色を含んだそれを受け、リリーナは弾かれたように口を閉ざしてエドガーから目を背ける。
紋章のことは国王と王妃、それから当人である王子にしか知らされない。それほどこの国にとって重要な位置にある機密情報なのだとエスメラルダは言っていた。だから、いくらグラヴィット公爵夫人と王妃が姉妹関係にあると言っても、機密事項を明かす例外になるとは考えられない。
もちろん、ただの当てずっぽうで偶然言い当てたなんてこともないだろう。
リリーナは唇を固く引き結び、再びエドガーを見据えた。訝しむリリーナの視線を真っすぐに受け止めるエドガーの表情は、何ら変わらないものだった。それは少なくともリリーナも知る温和な表情で、先程冷淡な物言いをした人物と同一の存在だとは思えない。
「確かに、リリーナちゃんとキースの魂には対になる紋章が刻まれているかもしれないね。でもそれは伴侶として結ばれるべき相手だとは限らないんじゃないかな」
どうしてエドガーが知っているのだろう。
どこまでエドガーは知っているのだろう。
それを探り出すまでは迂闊なことは言えない気がして、リリーナは押し黙って話を聞くしかなかった。もっとも、エドガーが持つ情報と対等に渡り合えるだけの情報を持ってはいないのだから、何も言えないと言った方が正しいかもしれない。
エドガーは立ち上がるとリリーナの元へ歩み寄った。
「……エドガー、様……」
かろうじて声を絞り出して名を呼べば、片膝をついてリリーナを見上げる。そうして何も言えずにいるリリーナと目を合わせたまま、
「こう見えて俺は結構気が長いから、リリーナちゃんがその気になるまでずっと待っていても構わないよ。君を本当に幸せに出来る、君にとっての本当の運命の相手は俺なのだから」
敬愛する女王へ忠誠を誓う騎士のように手の甲に口づけ、エドガーは誰しもが見惚れるほどに美しい笑顔を浮かべた。
けれど。
「ごめんなさい……」
リリーナは拒絶の意を込めて首を振るしか出来なかった。
それから日曜を迎えるまで、リリーナは時間さえあれば夢と、エドガーの言葉の意味を考えていた。
もちろん一人で考えていたところで答えなど分かるはずもない。それでも考えずにはいられなかった。
真意は分からずとも、エドガーがリリーナの運命の相手だと本人がはっきりと明言した以上、キースには相談する必要がある。でもどう切り出せば良いのか、そのタイミングも含めて未だ迷い続けていた。
いつものお茶の席に着くと気持ちを落ち着ける為に紅茶を一口飲んだ。柑橘系の爽やかな香りはリリーナの決意を知ってか知らずか、わずかに波打っていた心を凪いで行くようだった。
カップを戻し、姿勢を正す。
どんな答えが返って来ても静かに受け入れる。
強い覚悟にも似た意思を固め、口を開いた。
「突拍子もないことを言っていると思ったら、笑い飛ばして下さって構いません。それでも、どうしてもキース様に確認したいことが一つだけあるのです」
「俺に確認したいこと?」
「私がつい先日見た、夢の話です」
「――それで?」
話を聞く態勢になってくれたキースを前に、リリーナは深呼吸を一つする。見たこと感じたこと、思ったことをそのまま伝えることは出来る気がしない。でも、少しでも伝えなければいけないことだ。
リリーナがおぼろげな記憶を必死に手繰り、かろうじて引っかけることの出来た単語はあの三つから増えてはいない。それを一つずつ挙げるにつれて、キースの表情が徐々に険しいものになって行く。
その反応に、あの夢にはやはりキースも大きく関わっているのだと思った。
「――目が覚めた状態で、私の記憶に残ったものは以上です。もしかしたらキース様も、私と同じ記憶の断片を所持していらっしゃるのではないのですか」
全てを伝え終え、キースの言葉を待つ。
嘘をつかれたとしても、リリーナにそれを判断する術はない。それでも、ちゃんと真実を答えてくれるだろうか。
キースとの間に流れる沈黙は重い。けれどいつか、この関係も冬を越えて春を迎えられたらいいと、リリーナはそう思っている。
「君はかつてこの国の王妃だった女性の……生まれ変わりなだけだ」
あきらかにキースは何かを言いかけてやめた。ひどく苦々しい表情を浮かべ、リリーナからわずかに視線を逸らす。
王妃には当然、配偶者として国王がいるはずだ。そしてその国王こそが過去のキースだったのではないのか。
淡い期待にも似た想像は、けれど声に出すことは叶わなかった。何かを堪えるように眉を寄せ、キースが先に言葉を紡ぐ。
「そんな過去に縛られて婚約が破談続きになっていたとか、君自身には何の落ち度もないのに気分は悪いだろう」
キースの言葉は、リリーナの心を揺らした。
ほんの少しでもリリーナのことを気にかけてくれている。それだけのことですら、胸がいっぱいになった。
「前にも申し上げたと思いますが私も貴族の娘です。両親の探してくれた良い縁談をお受けして、家の繁栄の為に婚姻を結ぶことは十分に起こり得ると思っていました。――けれど、私は」
リリーナは一度口を閉ざし、自分の中にすでに芽生えている想いと改めて向き合う。
過去にも婚姻関係にあったのが本当だとしても、リリーナにはその記憶はどこにもない。
この想いがそこに起因しているのだとしても、リリーナは今この瞬間においても「リリーナ・ディアモント」として生きて来た。
過去の自分でありながら、その名すら知らぬ王妃じゃない。
リリーナが抱く気持ちは、ディアモント伯爵家長女として生まれた「リリーナ・ディアモント」だけのものだ。それはまごうことなき真実だと神に誓ってもいい。
「過去の私が早くに死んでしまっていたのだとしても、今のキース様はもちろん、過去のキース様の責任ではありません。私はいつだって私です。私がそうしたいと思ったことをする、それだけのことです」
キースの目を真っすぐに見つめ返して断言する。
キースとエドガーの話を聞いて、リリーナははっきりと自覚した。
過去の記憶なんてなくても、リリーナはキースを好ましいと思った。キースに恋をした。だから過去なんて今のリリーナを形成する要素には何一つ影響なんてしていない。
魂がお互いを引き寄せ合っている?
でも記憶のあるらしいキースはリリーナを愛してくれてはいなかった。魂に刻まれた紋章なんて所詮、エドガーが言ったように相手を見つけ出す為の目印でしかないのだ。
そういえば、エスメラルダも初めて会った時に言っていた。リリーナが幸せになる為の目印だと。
たった二年の間に十六回も、縁談がまとまりかけては相手の都合で解消され続けたことは確かに寂しかったし悲しくもあった。でもそのおかげでリリーナはキースと出会えて、好意を抱いた。
キースがリリーナを、対になる紋章を魂に持つ運命の相手としてではなく、リリーナ個人として見てくれているからだ。
だから運命の相手なんて付加要素は何の関係もなしに惹かれた。
同じ想いを返してくれなくてもいい。
リリーナはキースが好きだという、それだけのことだ。
意味も分からないままずっと持たされていた重い荷物をようやく下ろしたように、リリーナの心は軽くなる。
そう。そんな簡単なことだったのだ。
「エドガー様はキース様ではなく、ご自身こそが私の本当の運命の相手だと仰いました」
キースの眉が、注意深く見ていなければ気がつかないほど小さくひそめられた。
報告を受け、何を思ったのだろう。気にならないと言えば嘘になる。けれど、それについては何も言わずにリリーナは微笑んで見せた。
「でも私は運命の相手ではなかったとしても、キース様をお慕いしています」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます