キースという色

 陽の光の下で見る王城内は、息を飲むような美しさだった。

 ほんの数回とは言え舞踏会に招待されて何度か足を運んだことはあるが、その時は全て陽が沈んだ後の時間だ。同じ建物に同じ内装であるはずが、時間帯が変わるだけで印象がまるで違って見える。

 夜に見る王城がどこか儚げで優しく包み込んでくれそうな雰囲気を持つのに対し、昼はやはり王都の中心たる建築物だけあって雄々しく悠然と構えていた。


 そうして、絢爛豪華な王城と威厳に溢れた国王夫妻の佇まいに圧倒されているうちに謁見は終わった。


 もっとも今回は顔合わせを主な目的としているようで、父と揃って挨拶を済ませた後も取り立てて大した話はしていない。

 年が明けた一月七日に婚約発表の正式な席を設けること、以降は王城に移り住んで王太子妃教育を受けること、それまでは日曜日にリリーナのみ登城すること。それくらいだ。


 当人であるキースとリリーナも交えた話はそれだけだったが、父は国王とまだ話があるらしい。キースに連れられて席を後にする際、縋るような目を向けられた。

 父の性格を思えば気持ちは分からないでもない。けれどリリーナがこの場に残ったところで、父の役に立つどころか話の進行を妨げてしまうだろう。


 そうするとなし崩し的に後は若い二人だけで……という雰囲気になり、リリーナは庭園へと案内されることになった。

 父がまだ王城に残る以上、家の馬車でリリーナ一人が先に帰るわけにも行かない。そうでなくても、最初からキースが家まで送る予定ではあったようだ。


(分かってはいたけれど……あれが何々だよとか、案内もして下さらない)


 リリーナの数歩前を歩くキースは、歩きながら気さくに話しかけて来たりすることはない。ただの義務でそうするのだと言うように無言だ。

 けれど今日もリリーナの歩幅に合わせてくれていた。相変わらず不愛想で素っ気ない割にはちゃんと気を遣ってくれているらしい。


 そして黒を基調とした礼装を身に纏っている。改めて見ると姿勢や歩き方もすらりとした痩身にはとても良く似合っていたが、これで黒のイメージを持つなと言われるのは理不尽な気がした。


 それとも、他の人は黒以外を纏うキースの姿の方こそ見慣れているのだろうか。


「キース様は、黒以外のお召し物を所有してはいらっしゃらないのですか」


 特に深い考えもなく思うまま口にしてから、リリーナは自分でもぎょっとした。

 何てことを尋ねたのだろう。

 本当に、何も考えてなかったとしか言い様がない。


 謝ろうと口を開きかけ、やめる。

 いつ着くとも分からない目的地まで、押し黙ったまま二人で歩くよりはずっと良いかもしれない。どうせ本人に言ってしまったことは取り消せないのだし、なるようになれと思った。


「何故?」


 キースは足を止めることも振り向くこともせず問いかける。

 それこそ怒らせて当然の発言だったが、気分を害した様子も特になかった。

 意外と気が長いのか、リリーナの言動で心に波風が立つこともないほどに無関心なのか――その二択なら、間違いなく後者なのだろう。


 自分が勝手にした推測にほんの少し胸が痛んだ。でも、いきなり失礼な発言をした罰だと受け止めて言葉を続ける。


「いつも黒いお召し物ですからそういうことなのかと」


 そういえば、六月の夜会で見た時はどうだっただろうか。記憶を手繰たぐってみたが、あの時はまさかキースと婚約することになるなんて夢にも思っていなかったから、顔以外に見た覚えがなかった。

 懸命に思い出そうとしても、バーバラの誕生パーティーや今みたいに目の当たりにした記憶にどうしても引きずられてしまう。


「いつもと言われても、これで二度目だと思うが」


 キースの声色がわずかに変わった気がする。さすがにたった二回の出来事から、全てがそうだと判断されることは気に触ったらしい。もっともな言い分である。

 リリーナとしても怒らせたくて発言したわけではない。後でちゃんと謝罪するべきだろう。けれど、自分の言動がキースの感情を揺らしたのであれば、それを嬉しく思うこともまた事実だった。


「でも私にとっては二度もです」


 “まだ二度しかない”と言うような口振りをされようと、その”たった二度”の印象があまりにも強すぎるのだ。

 二度目である今日の分まで数に入れるには、確かにまだ早すぎるかもしれない。でも黒髪が印象的な王太子が、黒以外を身に纏う姿は想像がつかなかった。

 とても強い綺麗な色だから、頭の中で思い描くだけではどんな色も負けてしまうのだ。


「黒以外が見たいのか」

「えっ」


 キースから質問されるとは思いもせず、一瞬、聞かれた意味が分からずに間の抜けた声が上がった。

 言葉が消えてしまう前にかろうじて捕まえて意味を理解し、口を開く。


「見たいかどうかと問われれば見たいと思います。でもキース様が私には見せたくないと思われていらっしゃるのであれば、見たくないとお答えするしかありません」


 多分、深く考えても答えは出せない。

 リリーナとの間に一線を引いているような雰囲気も相俟って、結局はキースの意思を尊重するという、模範的だけれど面白くはない姿勢を見せる以外はないと思った。本人が見せたくはないものを、無邪気なわがままを装って無理強い出来るような間柄でもない。


「キース様が二度とも黒いお召し物を選ばれた理由は、私がお伺いしてもよろしいのでしょうか」

「――別に、他意はない」


 せめて質問を重ねるくらいは許されるだろうかと、尋ねる。

 ほんのわずかな躊躇いが見える答え方は、他意があると言外に告げているようなものだ。嘘をつくのが意外と下手なのか、それとも嘘をついていると思わせたくてわざとそんな言い方をしたのだろうか。

 リリーナはキースの真意を見抜けられる段階にはなく、それっきり無言になってしまった。



 沈黙に耐える時間はさほど長くならずに済んだ。


 少し進めば回廊に出て、中庭の様子が一望出来る。城内も陽の光をふんだんに取り入れていたおかげで十分に明るかったが、自然の作り出す光をさえぎるものがない庭は眩しさが全然違った。


「素敵……!」


 細部まで万全の手入れが行き届いた庭を見るや否や、リリーナの唇から感嘆の吐息が思わずこぼれる。もう十一月も下旬に差し掛かっていると言うのに、バラの花を中心とした秋の花々が未だ色合いも鮮やかに咲き誇っていた。


 リリーナは前方にあるキースの横顔をちらりとのぞき見る。

 これだけたくさんの色の中でもキースの髪は一際目を引いた。むしろ逆にたくさんの色の中だからこそ、目を引くのかもしれない。


 きっと、どんなに遠くにいたとしてもキースを見つけられるだろう。

 そして何物にも染まることのない純然とした黒は、不思議とリリーナを安心させた。


 寒い時期でも庭園の眺めを楽しむ為だろう。広く張り出したテラスの一角にはガラスで囲まれた温室のようなスペースがあり、白いテーブルセットが置かれている。今日は晴天で風もないからか、目をこらせば扉と思しきものが開け放たれているのが見えた。


 リリーナがここに通されることも予め決められていたらしい。数人のメイドがお茶の準備をしているところだった。

 さすが王家に仕えるだけあって、どのメイドも年若いが動きに無駄がなく洗練されている。彼女たちの所作は下手をしたらリリーナよりも美しいかもしれない。王太子妃の教育を受ければ彼女たちと同等か、あるいはそれ以上に優雅な所作が身につくだろうか。


 前を歩くキースが不意に足を止めて振り返った。


「リリーナ嬢、手を」

「手?」


 左手を差し伸べられ、驚きで丸くした目を向けてしまう。

 キースにそんなことを言われるなんて、全く思ってもみなかった。なおも反応に困っていると、焦れたようにキースが言葉を続ける。


「この先に少しだが段差がある」

「え、あ……。はい」


 リリーナはおずおずと右手を重ねた。

 レースの手袋越しとは言え、初めて触れたキースの手は十一月という季節のせいか彼自身の体温のせいか、少しひんやりとしている。イメージ通りと言えばその通りだ。そして自分の手は、キースの手が冷たいせいか緊張のせいか普段と比べて少し熱い気がする。


 そんな熱に、自分でも気がつかないうちに心を浮かされてしまっていたのだろうか。

 段差があると言われ、さらには手まで引いてもらっているにも拘わらず、リリーナは最後の段差につまずいてしまった。


「あ……っ」


 バランスを失ってよろめく。みっともなく転んでしまうかと思われた身体は、キースの腕で抱き留められた。


 耳まで一気に赤く染まるのが分かる。


 エスコートしてもらっているのに転びそうになる不注意な自分や、支えてくれているキースが細身の外見とは裏腹に意外と逞しいことも、この状況の何もかもが恥ずかしかった。


 ――意外と。


 今日すでに何度もそう感じていることに気がつき、見た目から勝手にそう判断しているだけで本当のキースのことは何も知らないのだと思い知らされる。


「ご、ごめんなさい!」


 リリーナは謝罪の言葉を告げ、逆に失礼な態度と取られかねない勢いで身体を離した。

 キースの顔を見ることも出来ない。


 でもキースが何て返すのか、それはリリーナも唯一知っていた。


「気にしてない」


 少しは気にしてくれてもいいのに。


 リリーナは、再び触れ合うことのない手を胸の前で握りしめた。


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