突き放す手

 準備用の控室に案内されたリリーナは、等身大のトルソーが纏うドレスを見て感嘆のため息をついた。


 先月二十日に布とレースの染色が終わったと連絡が入り、その翌日に一人で仕立て屋に足を運んで仮縫いを済ませている。さらにはつい三日前の木曜日――二通目の脅迫状が届いた前日だ――にも最終チェックをした状態だった。

 だからすでに二度、このドレスに袖を通してはいる。けれど、それでもアメリが丹精込めて作り上げてくれた完成品はより一層と美しかった。袖を通す度に、得も言われぬ新たな感動をリリーナに与えてくれる。


「本日、リリーナ様のお手伝いをさせていただきますセイラ・ハミルトンと申します。どうぞよろしくお願い致します」


 先に部屋に控えていたメイドが一歩前に進み、深々と頭を下げた。


 いよいよ今日が夜会当日だ。

 脅迫状は届いたその日のうちにキースの元に送られてはいるものの、いかんせん情報が少なすぎる。まともな手がかりはないに等しく、そんな有様では差出人の特定には至りようもなかった。


 脅迫状を出すだけに留まらず、もし本当に何らかの行動を起こすつもりであれば、今日を置いて他にないだろう。警備自体は王城よりディアモント家の方が比べるでもなく手薄だ。しかしその分、人の出入りも少ない。見慣れない人物がディアモント家近辺を歩き回るのは悪目立ちがすぎる。

 でも具体的に何をどうしようとしているのか。嫌がらせ感覚で脅迫状を出し、怖がらせたいだけかもしれない。

 そんなことを考えてしまうくらい、リリーナに悪意を持つ何者かの目的は未だ全く見えてはいなかった。


「何かありましたら大きな声でお呼び下さい」

「ええ、ありがとう」


 いくら警護を強めたい状況ではあっても、男性のレイノルドとアンドリューは着替えの場に居合わせるわけには行かない。すぐ駆けつけられることを念押しし、部屋を出た。


 リリーナは肩で息を一つ吐いてセイラに向き直った。まだ王城に勤めはじめて日が浅いのだろうか。大きな夜会を前に緊張しているように見える。


「大丈夫?」


 様子を尋ねれば、びくりと身をすくめられた。それからハッとしたようにものすごい勢いで頭を下げられる。逆に何か悪いことでもしてしまっただろうかと、リリーナも目をしばたたかせた。


「も、申し訳ありません! 大丈夫ですっ!」


 よく見れば身体を小刻みに震わせているし、とても大丈夫なようにも見えない。けれど逆に、夜会の準備にここまでの緊張を見せるセイラには脅迫状を送りつけるなんて大それたことは出来ないと、身の潔白の証明になっている気がする。

 問題があるとすればメイクもセイラが施す場合だろうか。あまりにも緊張の度合いがひどいようなら、その時は自分で頑張ろうとリリーナは決めた。



 オフショルダーのドレスは日没直後の空のような、淡い菫色の混ざった青で染められている。身頃は至ってシンプルに絹で織られた生地が持つハリと光沢を活かし、中央にショール留めを兼ねた濃紺のバラのコサージュを飾るだけに留めた。


 一方でスカート部分は上身頃とは対照的に細く絞った腰から裾へ、生地を何枚も縫い合わせて自然なボリュームを出してある。そして、柔らかく広がるシルエットを崩すことのないように、パニエを重ねて内側からも膨らませていた。

 開花寸前の青いバラの蕾にも似たスカートを、一段ごとに微妙に色を変えて染めた幅広のレースが覆う。裾へ向かうにつれ色合いを濃くした藍色は上品なグラデーションを描き、シルエットを重視したデザインのドレスを華やかに彩った。


 レースにはたくさんのスパンコールやパールが惜しげもなく縫いつけられ、無数の星が瞬く夜空さながらの輝きを放つ。アメリが提案したように、中にはアクセントとして漆黒に輝くものもあった。その結果ともすれば地味な印象になりがちな藍色が、リリーナの明るい金色の髪と補い合って美しい夜色のドレスとして煌めいていた。


「リリーナ様、王太子殿下よりこちらをお預かりしております」


 ドレスを着替え終わり、ラビットファーで出来た純白のショールを羽織るリリーナに落ち着きを取り戻した様子のセイラが箱を差し出す。捧げ持つ両手とほぼ同じ大きさをした箱の中には、一輪のバラが入っていた。


 リリーナの目が驚きで見開かれる。

 細い金細工で作られたバラの輪郭には、ステンドグラスのように花弁一つ一つに鮮やかな色のついた薄いガラスが入っていた。その色を見たリリーナの心が甘く波打つ。バラは、ドレスのグラデーションと同じ色合いだったからだ。


 キースと初めて仕立て屋に行った時の光景が蘇る。

 リリーナがアメリと一緒にドレスのデザインを考えている間、キースは支配人の紳士と話していた。そうしてリリーナが戻るのを見た支配人は満面の笑みを浮かべ、キースは苦々しげな表情だった。


 あれはもしかして、ドレスと合わせた髪飾りを作る相談をしていたのだろうか。


「髪を少し結い上げて、お差し致しますね」

「お願い」


 セイラはリリーナをドレッサーの椅子へと導いた。両サイドの髪を一房ずつ取るとあっという間に結い上げ、髪飾りを差し込む。後頭部の高い位置に、じんわりと優しい重みがかかるのが分かった。

 キースが贈ってくれた一輪のバラが、リリーナの髪の上で花開いている。それはリリーナ自身が見ることは叶わないけれど、うっとりとした声色でセイラが「素敵……」と呟くのが聞こえたから、とても誇らしい気持ちになった。


「リリーナ様、ご準備はよろしいでしょうか」


 ノックの後に聞き覚えのある声がして、セイラが慌てたように背筋を正す。扉を開くと外に向けて深く頭を下げた。


「申し訳ありません、エマ様。あと少しで終わります」


 セイラの報告を受け、声の主が部屋の中に姿を見せる。

 庭園の茶席を取り仕切る彼女はエマと言う名らしい。それまで話す機会も、キースが名を呼んだりすることもなかったから今まで知るよしもなかった。

 エマも場の大きさに気を引き締めているのか。普段よりも険しい表情でリリーナに目を向けてからセイラへと尋ねる。


「メイクはまだ済ませられてはいらっしゃらないのですか?」

「申し訳ありません。ただ今」


 セイラはてきぱきと言うよりは追い立てられているような動きで、ドレッサーの引き出しからメイクパレットを次々と取り出しては並べて行った。懸命に手の震えを堪え、今にも泣き出しそうな表情にリリーナの方が居たたまれない気持ちになる。


 けれどリリーナがこの場でセイラを庇い立てすることは出来なかった。彼女たちはディアモント家ではなく王家に仕えるメイドなのだ。外からは見えないしきたりや流儀があることだろう。それにエマの言動は理不尽にセイラをいびったりするようなものではない。

 部外者のリリーナが、訳知り顔で正義感を振りかざして良い場面ではないのだ。


 それでも鏡越しにセイラに微笑みかけ、そっと目を伏せる。

 目を閉じたのは、そうした方がセイラもメイクをしやすいと思ったからだ。

 もっとも、目を閉じたら閉じたでエマが強い視線を向けていることが伝わって来る。ただならぬ気配に強張りそうになるのを、キースに会ってドレス姿を見てもらいたい一心で抑えた。


 ディアモント家を出る前に施した薄化粧を落とし、バラの香りがするクリームを顔と首筋に塗られる。メイクが好きなのか、次第にセイラの手から張り詰めた緊張感が抜けて行くのが分かった。これなら最後まで上手くやってくれそうだ。


 さらに塗り重ねられたのは、おそらくファンデーションだろうか。そうしてパウダーを全体にはたいてから、まぶたや頬を柔らかなブラシが羽のような軽やかさで滑って行く。

 王家の女性たちを飾るメイクはどんな感じなのだろう。リリーナはあまり化粧っ気はないものの、年頃の女の子として興味はあった。


「リリーナ様、終わりました」


 しばらくして、紅筆を置く小さな物音と共にセイラがメイクが終わったことを告げる。リリーナは目を開け、鏡に映る自分と視線を合わせた。

 まだ成人前だからか、やはり薄化粧であることには変わりない。ドレスと合わせた淡い菫色に深い藍色を重ねて目元を飾り、頬と唇とを彩る紅は優しいピンク色を差してある。良く見ると目のラインと唇にさりげなく金色のラメが入れられているらしく、ほのかな輝きを放っていた。


「ありがとう。とっても素敵に仕上げてくれたのね」

「恐れ入ります」


 振り返り、満面の笑顔でお礼を言う。セイラもはにかんだ表情で答えてくれた。


「そろそろホールへ向かった方がいいかしら?」

「そうですね。殿下も支度を終えてホールでお待ちかと思います」

「……あ、」


 エマに確認を取って部屋を出ようとすると、セイラが小さな声をあげる。けれどリリーナとエマと、二人分の視線を受けて萎縮してしまったのか、すぐに身を縮こませながら「いえ……」と首を振った。


 部屋を出て、リリーナも今や強い信頼を置く衛兵二人と再び合流する。彼らはリリーナを見るや揃って表情を和らげた。


「とてもよくお似合いですよリリーナ様」

「早く殿下にもお見せしましょう」


 夜会が開かれる大ホールは一階にある。人の出入りの激しい一階は大小のホールやサロン、厨房に使用人たちの部屋と、まがりなりにも王太子妃となるリリーナが使うのに適した部屋が一切ない。

 リリーナ自身は空いている小部屋でもあればそこで十分ではあった。しかし、王家の面子やプライドなどと言った体面的な問題を避けることは出来ず、二階の客室の一つを宛がわれた。その為、ホールへ移動するにはどうあっても階段を下りて行くしかない。

 キースもそこを懸念したようだが普段通り、最も信頼の置ける衛兵をリリーナの護衛につけることで折れるしかなかった。


 前をレイルノドとセイラ、後ろをアンドリューとエマに挟まれながら、夜会の会場となるホールへと向かう。

 まだ早めの時間であるうえにリリーナのいた部屋が王家用の部屋だったからか、他の賓客たちとすれ違うと言ったことはなかった。静かな通路に不規則な五人分の足音だけが響き、それが漠然とした不安を誘う。


 ようやく踊り場に差し掛かると、思わず安堵の息をついた。眼前では先程と同じようにレイノルドとセイラが先に階段を下りて行く。

 リリーナが足を踏み出すとセイラが足をもつれさせた。前を歩くレイノルドの背中にぶつかり、金属音が鳴る。幸いと言うべきかセイラの身体はレイノルドに支えられ、二人共階段を落ちるには至らずに済んだ。


 けれど。


 完全に気を取られていたリリーナの身体が、斜め後ろから階下に向かって勢いよく突き飛ばされた。


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