初めての贈り物

 本人いわく”種も仕掛けもある魔法の扉”は、リリーナが帰る時もやはり誰の手も借りずに開閉した。勝手に開閉するその仕組みが気になることには変わりなかったが、種も仕掛けもあるということはリリーナが知らない技術が用いられているのだろう。

 とりあえず、そう思うことで納得はした。


 そして占い師の家から戻ったリリーナは自室のソファーに腰を下ろして、無言のまま考えごとに耽っている。


 自分一人の意思や力でキースとの結婚をくつがえすことは到底出来ない。かと言って、さすがの王家でもどうしようもない……むしろ、当事者であるキース以外の王家側が状況を歓迎しているように思える……とあっては、手の打ちようもなかった。


 ならば諦めて顔を伏せたまま生きて行くより、少しでも幸せになりたいと願って前向きに生きて行こうとする方が楽しいだろう。


 どうしたら幸せになれるのかはまだ分からない。

 けれどもし、その方法をキースも一緒に探してくれるのであればとても心強いし、何より、愛はなくても夫婦として良い形を作れる気がする。

 もっとも、キースとの間にそんな信頼関係を築くことは愛情が芽生えることと同じか、それ以上に大変な道のりであることは想像に難くなかった。


 結局のところ具体的な解決策など何も見つからず、リリーナは何度目とも知れない大きなため息をつく。

 同時に扉をノックする音が聞こえた。ソファーから立ち上がって扉を開ければメイドが一人、ひどく緊張した面持ちで立っている。


「どうしたの?」


 リリーナから用件を尋ねると、メイドはさらに緊張を色濃くしてリリーナに告げた。


「王太子殿下のお使いの方がいらっしゃいました」

「クレフ様が?」

「はい」


 まさか考えごとをしているなんて理由で追い返すわけにも行かない。

 リリーナはメイドの後について客間へと向かった。



 何の用だろう。

 父と一緒に王城に上がる日はすでにキースから聞いている。他に用はないはずだが、クレフが来るということは予定を変えて欲しいとでもいうのだろうか。


「クレフ様失礼致します、リリーナ・ディアモントです」


 ノックをしてから扉を開けた途端、甘い花の香りが応接室からあふれた。

 バラの香りだと気がつくのと同時に、真っ赤なバラの花束を抱えたクレフが中で立っているのが見える。

 一抱えもあるバラの花束を持つクレフは気障きざすぎず嫌味ったらしくもなく、実に様になっていた。ここが社交場であったなら、あの花束を受け取る幸運な令嬢は誰なのかと視線と話題をさらっていたに違いない。


「お待たせして申し訳ありません」

「いえ、こちらこそ突然の訪問にて失礼致します」


 軽い挨拶の後、リリーナが来客用のソファーを勧めると、クレフはやんわりと首を振って辞退した。


「本日は殿下からの贈り物をお届けに参っただけですので」


 そう言って差し出されたバラの花束を受け取れば、リリーナの視界はたちまち鮮やかな真紅一色に染まった。

 かぐわしい香りを一度吸い込み、クレフの顔が見える程度には花束をずらしてその顔を見上げる。


「あの、贈り物とは一体」

「先日のシャルドネイト家での夜会を騒がせた謝罪と、婚約者となったリリーナ様への信愛の証に、と殿下はおおせでした」

「まあ……」


 リリーナは驚きで思わず目を見開いてしまった。


 正直に言えば、あのキースにそんな殊勝な気持ちがあるようにはとても見えない。

 けれど異性からプレゼントとして花束をもらうなんて一度も経験がなかったから、戸惑う反面、とても嬉しかった。


 リリーナに異性から花束を贈られるのは、婚約の申し込みに来た時だけだ。

 もちろん、他にも色んな場面で男性から女性に贈られるものであることくらいは知っている。

 それでもリリーナは他のシチュエーションでもらったことはなかった。


(私が特定の殿方から二度目の接触を受けるのは、たいていが婚約を解消したいと一方的に言われる時だけだもの)


 改めて考えると本当にとんでもない話だった。

 生まれたその時点で運命によって決められ、魂で結ばれた唯一の相手がいる。

 耳触りが良くロマンチックな言葉のように思わせながら、実際は想像以上にシビアなものだった。


 リリーナは誰と巡り合おうが運命の相手以外とは決して結ばれない。

 婚約を申し込みに来た令息とどれだけ気が合っても、誠実そうに見えても優しくされても、それらの時間が嘘だったかのように、泡沫の夢であったかのように彼らは揃って他の令嬢を選ぶ。

 そしてリリーナとは結婚は出来ないと申し訳なさそうな顔で告げ、示し合わせているかのように同じ言葉を続けるのだ。


 リリーナには自分なんかよりもっと相応しい相手がいる、と。


「どこかお加減がよろしくないのですか?」


 心配そうに尋ねられて我に返る。

 悔しさで思わず泣いたりしてはいないかとさりげなく目尻に指を押し当てたが、涙は浮かんではいなかった。


 クレフに気づかれないようお腹に力を入れ、自らを叱咤する。


 幸せになると決めたのだ。結ばれるべき運命の相手も見つかった以上、後ろ向きに悲観して泣いてなんかいられない。


「とても綺麗なバラを目にして本当に感動してしまって。どうぞキース殿下にとても喜んでいたとお伝え下さい」

「リリーナ様の心のお慰めとなれたのなら何よりです。殿下もさぞお喜びになられることでしょう」


 それとも、今すぐクレフに伝えた言葉を自筆でしたためて届けてもらった方が良いのだろうか。

 花束に限らず異性に贈り物をされた経験そのものがないから作法が全く分からない。

 けれど、礼儀としてはやはり素敵な贈り物をいただいたら、嬉しかったと自分の言葉そのままに伝えた方が良い気がする。


「クレフ様、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか」

「もちろんですとも」


 優しげな笑みで頷くクレフはリリーナの意図を悟ってくれたようだ。リリーナは一礼して客間を退室すると小走りで自室に戻り、机からお気に入りのレターセットを取り出した。


 初めてのことだから、いざ便箋を前にすると文面をどうするべきか迷ってしまう。


 クレフに伝えてもらおうとした言葉だけでは少し味気なくないか。

 でもリリーナの近況を書いても興味がないだろうし、そもそも昨日の今日で変わったことなどエスメラルダの下を訪ねたことしかない。そのことだってきっと、エスメラルダからキースに伝わっているだろう。


 ペンを手に、しばし唸る。

 あまり迷ってクレフを待たせ続けるわけにも行かない。

 リリーナは結局、バラに感動したこと、嬉しかったこと、そして……王太子妃として相応しい淑女になれるよう精一杯努力すると締めて封をした。


 客間に戻り、お礼状をクレフに渡せば必ずやキースに届けると約束してくれる。

 受け取ったとして、キースは読んでくれるだろうか。

 それは分からなかったけれど、読まれないのならそれでもいいと思った。




 翌日、リリーナは王城に行く際に身につける髪飾りを買いに街へ出た。

 ドレス自体はすでに決まっている。さすがに約二週間では細やかな意匠を凝らしたものを一からあつらえる余裕はなかったが、登城して国王夫妻の眼前へ出ることに恥ずかしくない程度には綺麗なドレスを母が率先して用意してくれた。


 おそらく、一人で気軽に街を出歩けるのもこれが最後の機会だろう。

 正式にキースの、王太子の婚約者になれば万が一の事態すら起こらぬよう護衛がつき、リリーナの行動も制限されるに違いない。

 でも今が自由すぎる部分もあるのだろうし、リリーナが今後立たされることになる場の重大さを思えば仕方のないことだ。


 たとえそれが、リリーナが望んだことではないのだとしても。


 髪飾りも運良く気に入ったものを見つけ帰ろうかという時、リリーナの目に一本のタイピンが留まった。

 金色の細いピンに黒曜石のはめられたシンプルなものだ。黒はやはりどうしても、あの特徴的な髪と瞳とを思い出してしまう。


(キース様と同じ、純粋な黒)


 タイピンに手を伸ばしかけ、思い留まった。


 紅いバラの花束のお返しにキースに贈るのは迷惑だろうか。

 あまり高いものではないようだから気兼ねなく贈ることは出来る。

 けれど逆に言えばそれは普段使い用だとしても、王太子が身につけるものとしては格が落ちる安物ということだ。

 何より、キースの好みとは合わない可能性もある。


 キースに贈り物をすること自体に抵抗はない。

 ただ贈るからには喜んで欲しいとは思う。

 あの仏頂面で無感動そうな王太子殿下の心をたやすく揺さぶれるような品など、リリーナに用意することは出来ないかもしれないけれど。点数稼ぎを目的に媚びを売っていると思われてしまうだろうか。


 どうしよう。

 リリーナからの贈り物を受け取ったキースが喜ぶ顔は全く想像出来ない。


 でも目が合ってしまった。


 夫となる相手を象徴する色に、気を取られてしまった。


 リリーナは肩で大きく息をつき、幼い頃から顔馴染みの女性店主に声をかけた。




 そうして買い物も済ませ、店を出る。

 馬車は大通りの入り口に止めてあった。途中にある店のショーウィンドウを時折のぞいてみたりしながら、馬車までの道を一人歩く。


「危ない!」

「止まって!」


 リリーナに向けて発せられたものなのだろうか。子供の男女のそれらしい声が聞こえたかと思うと突然、強い風が吹いた。

 お気に入りの帽子がふわりと浮き上がり、飛ばされては困るとリリーナは咄嗟に足を止めて帽子を押さえる。


 次いで聞こえて来た派手な物音に思わず身がすくんだ。

 何が起こったのか分からずに辺りを見渡せば、大きな植木鉢が割れた状態で足元に落ちている。


 もちろん、先程まではこんな場所に割れた植木鉢なんてなかった。


 リリーナは顔を上げる。

 扉に”本日定休日”の札のかけられた建物は窓も鎧戸が閉ざされ、小さなベランダにも屋根にもそれらしき人影はない。

 故意かどうかは別として人が落としたものではないのなら、偶然落ちて来たものということになる。けれど、ふとした弾みで落下する危険のある場所に植木鉢を置くだろうか。


 そういえば、と再び辺りを見回す。

 子供の男女らしき声が危険を知らせてくれなかったら、植木鉢がリリーナに直撃していたことは想像に難くない。

 せめて一言くらいはお礼を言いたいと思ったのだが、周囲に集まっているのは大人ばかりだ。


 リリーナの無事を見て立ち去った後なのか、それらしき姿はどこにも見えなかった。


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