繋がりはじめるもの

 温室仕様のテラスは天気に恵まれたこともあってとても暖かい。

 そんな中にあって、会話のないリリーナとキースの周りの空気はどことなく寒々しいものだった。


 リリーナは静かにため息をつく。


(次から質問するなんて悠長に構えてないで、やっぱり今この場から質問するべきだったかも)


 でも、キースのことを本人の口から知る最初の質問なのだ。当たり障りがない月並みなものになるのだとしても時間に追われながら考えるより、少しでも良く考えて決めたかった。


 これがたとえばリリーナの両親のように長い時を連れ添った夫婦であったなら、沈黙でさえかけがえのない愛おしいものに違いない。

 もっとも、そんな領域に至るどころか足元にさえ及ぶべくもない今のリリーナでは、時間を持て余して気持ちばかりが焦ってしまう悪循環にはまる一方だ。


 出会ったばかりの頃の両親はどんな雰囲気だったのだろう。あの二人のことだから最初から穏やかで友好的な関係を無全ていたような気がする。

 聞くのなら友人たちに、初めて婚約者と初めて顔を合わせた日のことを聞いた方が感覚は近いように思う。ただ本題に入る前に彼女たちの耳にも当然入っているであろう、バーバラの誕生日パーティーでの騒動について質問責めにされるのだろうけれど。


「……あ」


 ――そういえば。

 リリーナは肝心なことを未だ確認していないのを思い出して小さく声を上げる。


「婚約に関することで一つ、キース様のご指示を仰ぎたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」


 キースへの個人的な質問とは違い、それは今後の身の振り方を決める為にどうしても確認しておかなければいけない。それでもリリーナはキースに従う意味も込めて質問をする許可を求めた。

 おそらくはキースも、リリーナが何を聞きたいかは分かっているだろう。軽く視線を向けるだけだ。


 駄目だと言われなければ、それは良いということ。


 リリーナはこのわずかな時間で定めた自分なりの解釈にのっとって口を開いた。


「エスメラルダ様にお会いして、婚約に至った本当の理由は周囲の方々には明かさない方が良いと伺いました。それは構わないのですが、先日のシャルドネイト邸での一件もありますし、正式な発表の前にも理由を尋ねられる機会はあるかと思います。そのような場合、私はどう返答するべきなのでしょうか」


 王太子妃に相応しい令嬢は他にもたくさんいながら、何の後ろ盾もない伯爵家の長女であるリリーナが選ばれたのだ。何らかの裏事情があると言っているに等しい。それこそキースの言葉ではないが、あらぬ誤解や詮索を産む原因に十分なり得る。

 キースとリリーナの言動が一致しないことはどう考えても不自然このうえなく、口裏を合わせる必要もあるだろう。


「六月の夜会で俺が君に一目惚れをして、どうしても妃に望んだと言えばいい」


 キースがこともなげに言うから聞き間違いだと思った。どう反応したら良いか戸惑うリリーナを眺め、キースはカップに口をつける。

 黒で統一された見た目と、赤いバラの描かれた白いカップとのコントラストがとても綺麗だ。なんてどうでもいいことを思った。


「周囲を納得させ、黙らせるだけの理由を君がでっち上げられるのであれば任せるが」

「それは……」


 ようやく我に返り、リリーナは俯きながら首を振る。

 身分の高い相手に見初められること自体は、ありえるかありえないかの二択で言えば普通にありえる話だ。リリーナが六月の夜会に出ていたことも事実だし、下手な理由を重ねて取り繕ったところでぼろを出しては意味がない。何より、よほど簡単で説得力もあった。

 原因は良く分からないけれど何故かキースに見初められた。リリーナはその一点張りを貫いて、後は全てキースに丸投げをしてしまえばいいのだ。


 ただリリーナが納得していないというだけの話で。


 王太子妃の座を狙う令嬢たちだって、そんな理由では納得はしないし信じたくはないだろうとたやすく想像はつく。

 本当の理由を明かせないが為に用意された建前でしかないのだ。信憑性なんて最初からなくて当然だろう。けれど他に良い理由がないことも、また確かだった。


「分かりました。この婚約はキース様が望まれたものだと、それ以外のことを私は一切口にしないとお約束致します」


 リリーナはテーブルの下で強く拳を握り、頷いた。

 そもそも、隠し通そうとしている本当の理由に現実味がない時点で、何をどうしたってどこかに綻びが生じるのは避けられないだろう。ならばいちばん破綻する要素の少ない選択を取るしかなかった。


「そうしてもらえればこちらも助かる。ディアモント伯爵にも父から同じ話が行っているはずだ」

「父や私が紋章のことを口外していたら、その時はどうなさるおつもりだったのですか」


 ふと疑問に思った仮定を尋ねると、黒い目がわずかに細められた。


「くだらない仮定話だな」

「それは……仰る通りですが」


 リリーナは反論とも言い訳ともつかない言葉を返そうと口を開きかけ、すぐに息と共に飲み込んだ。

 実際、言う相手がいなかったというのもあるが父もリリーナも口外はしなかった。そうして過ぎたことに「もしも」を後から重ねたところで、何がどうなるというものでもない。


「君や伯爵が軽々しく他人に言いふらすような人間なら、早いうちに釘を刺している」


 それは、つまり。

 キースも国王もリリーナと父の口が固いと最低限の評価はしてくれていると思っても良いのだろうか。


「ありがとう、ございます」


 リリーナは俯いた。

 頬が熱い。それに何だか気持ちが落ち着かなくなって来た。悪い感情ではなく、そわそわとした、浮足立つような気恥ずかしさだ。

 短い時間の中で考えることが増えすぎて処理が上手く追いつかなかった。頭をフル回転させて今しなければいけない、優先させるべきことを考える。キースに質問、それは家に持ち帰る宿題でいい。後は……タイピンを渡したいけれど帰る間際の方が良いだろう。


 出来るだけ、キースのことを知りたい。

 最終的にそれだけが残り、リリーナは未だ熱の引かない顔を上げた。このまま座っているよりは動いた方がましだと判断し、提案してみる。


「もしよろしければ、お庭を案内していただけないでしょうか」


 キースはしばし無言でリリーナを見つめ、それからおもむろに立ち上がった。


「分かった。後をついて来るといい」

「ありがとうございます」


 リリーナが安堵の笑みでお礼を告げるのと同時に、キースは先程の女性を呼んだ。


「これからリリーナ嬢に庭園を案内して来る」

「畏まりました。護衛もそのように手配致します」

「ああ。リリーナ嬢、行こう」

「は、はい」


 護衛の配置なんて考えてもみなかった。あのままテラスでおとなしくお茶を飲んでいた方が、負担をかけずに済んだかもしれない。

 今度からはもう少し周囲の状況にも気を配ろう。リリーナは決意を固め、キースの後に続いた。


 ふいに刺すような視線を感じる。足を止めてさりげなく辺りを見回したが、女性はキースの傍を離れてメイドたちに素早く指示を与えているし、メイドたちもそれを受けてきびきびと働いている。リリーナに剣呑な視線を投げつけたと思しき人物はいなかった。


「リリーナ嬢?」

「申し訳ありません、少しつまずきそうになってしまって」


 怪訝そうな目を向けるキースへ微笑みを返すとテラスを出る。外へ出た途端に心地良い風が頬を撫でた。扉は開いていたけれど、屋内と屋外では風の感じ方がやはり全然違う。

 風に当たっているとキースの手が差し出された。


「リリーナ嬢、手を」


 先程も聞いた言葉だ。意図が分からずにキースを見ると唇の端を上げられた。少し意地悪そうで――楽しそうな表情だった。


「また段差があるし、君は意外と足元が不安定なようだから」

「よろしいのですか?」

「駄目なら最初から手を差し出さない」


 最初の言葉は良いものではなかったけれど、確かに手を取られて困るのなら自ら差し出したりしないだろう。

 話している間に気が変わってしまうかもしれない。ご厚意に甘えて失礼致します、そう前置きをしてリリーナはおずおずとキースの手を取った。

 前を歩き出すキースの顔を斜め後ろの角度から眺め、ひっそりと息を吐く。


 正面からその顔を見つめなくてはいけない気恥ずかしさがないからか、あるいは触れている手の温かさからだろうか。リリーナの心も次第に落ち着きを取り戻して来ていた。


 先程テーブルで向き合って話をしていた時、気がついたことがある。

 キースは、最初こそ何を見ているのか全く分からなかったけれど、リリーナが話している時はちゃんとリリーナの目を見ていてくれた。上の空で適当に相槌を打つということは一度たりともしなかった。

 だとしたら、思っているよりは歩み寄れるかもしれない。


(それに……何故かしら) 


 手を繋ぐと言うよりは重ね合わせると言った状態だけれど、キースの手に触れているだけでだんだん暖かな気持ちになって来る。

 “運命の人”だから、なのだろうか。


 とても心地が良くて、庭園に咲き誇る花たちもずっと、色鮮やかに見える気がした。


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