第3話
※
俺は大佐の部下の手で、右の手首と檻を繋いでいた手錠から解放された。その様子を見ながら、大佐は一つ頷いた。
「君のパートナーは、この先で待っている。警視庁の人間だ」
「警視庁?」
俺は首を傾げた。
「我々は軍属です。警察の人間の力を借りるとなると、命令系統が混乱する恐れがあるのでは?」
隣で大佐の部下が、わざとらしく舌打ちをした。また説明させる気か、とでも言いたいのだろう。
「まあ、そのあたりは彼女に訊いてくれたまえ」
彼女? パートナーは女性の刑事、ということになるのか。
俺が何とか身体の重心を調節しながら歩いていくと、すぐに明るい廊下に出た。壁も床も天井も、石材ではなくコンクリートだ。もちろん、耐熱・耐圧加工が為されているはず。
「眩しくはないかね、瀬川軍曹?」
「はッ、大丈夫であります」
そのまま廊下を歩いていくと、T字路にぶつかった。
「我々はここで失礼する。あまり軍の高官と警視庁の人間が馴れ馴れしくしているのはよくないのでね。そういう意味で、君は特例だ。何としてでも、彼女と共に谷修也の身柄を確保してくれたまえ」
「了解しました」
何とか右手を掲げて敬礼し、突き当たりを右へと向かって行く大佐の背中に敬礼する。
「おっと……」
右腕を下ろすと、急に右半身に重力がかかった。
「またすっ転ぶのも格好悪いよな」
そう呟きながら、突き当たりで左側に身体を向ける。すると、そこには一人の女性が壁に背を預けて立っていた。彼女が件の女性刑事らしい。
その時になって、俺はようやく相手の素性を全く知らないことに気づいた。
バランスを取りながら、ゆっくりと距離を詰めていく。そんな俺の存在に気づいているのかいないのか、女性刑事は全く動こうとしない。
肩まで伸びた短めの髪に、黒いサングラス。ベージュ色のコートの襟を立て、そのポケットに両手を突っ込んでいる。すっと長く伸びた足には、機能性の高そうな無地の黒いズボンを着用していた。
俺はある程度距離を詰め、右手を挙げて敬礼した。
「国防軍特殊作戦群第八課所属、瀬川篤軍曹であります」
刑事は何も答えない。ただただ、冷淡な空気を醸し続ける。サングラスのせいで、彼女がどこを見ているのかすら分からない。
「まさか、聞こえてない、ってことはないよな……」
俺は小声で呟いた。すると、ようやく刑事に動きがあった。微かに顎を廊下の先へと傾けたのだ。顎でしゃくってみせた、とも取れる挙動である。
俺が敬礼を解き、右腕を伸ばして廊下の先を指差すと、
「ったく、ノロいわね」
と一言。
「へ?」
と俺が呟く頃には、彼女は俺の前に立ちはだかっていた。背丈は俺と同じくらいで、鋭利な印象の顔つきをしている。それでいて、サングラスの上の眉からは、相当強い意志を感じ取ることができた。
それでも、どこかあどけなさを残している。年の頃は俺と同じくらいだろうか。
などと観察しているうちに、俺は自分の身体が左側に傾いていくのを感じた。
「うあ⁉」
左肩を壁に着こうとして失敗し、俺は左側頭部を勢いよく壁にぶつけ、そのままずるずると倒れ込んだ。
「やっぱりノロいわね」
その言葉に、俺はようやく自分が彼女に足払いをかけられたのだと悟った。よりにもよって、左足に。
「あ、あんた、突然何するんだ⁉ 俺は怪我人だぞ!」
「私だって好きでこの任務を引き受けたわけじゃないわ。軍の第八課に出向させられて、どうなることかと思ったら。まさか、バディの片腕がないだなんてね」
彼女は俺を見下ろしたまま、パチンと指を鳴らした。すると手元に、立体画像が展開された。警察手帳だ。
「霧崎羽澄、十八歳、階級は……警部補?」
俺が読み上げるのを待って、彼女――霧崎羽澄警部補は、さっと立体画像を消し去った。
「警部補ってあんた、何者なんだ? この歳で警部補だって?」
「悪い?」
霧崎はサングラスを外し、コートのポケットに突っ込んだ。
露わになった両眼は、深い青色だった。体躯は日本人女性のように見えたのだが。
「外国人?」
「見て分からないの?」
「いや、だから確認のために……」
顰めていた眉を一層怪訝なものにする霧崎。
確かに、全く別の機関から出向してきて、不明瞭な点の多い事件を扱う羽目になり、しかも相棒である俺が傷痍兵では不安や不満も募るだろうが。
「だからとっとと行ってきて」
「は?」
「だから『は?』じゃないわよ、『は?』じゃ! この先が先端医療研究所に通じてるから、さっさと左腕を付けてこいって言ってるの!」
右腕を回して、壁にぶつけた左側頭部を押さえていた俺は、『ああ』と中途半端な声を漏らした。さっき顎で廊下の先をしゃくってみせたのはそういう意味か。
霧崎がわきへどくのを待って、のそのそと立ち上がり、彼女の前を横切る。
「取り敢えず、あんたと話す時はタメ口でいいんだな?」
「いいも悪いもないでしょ? こんな協力関係を敷く事件なんて、極めて異例だわ」
「そ、そうだな」
苛立ち紛れに言葉をぶつけてくる霧崎から逃れるように、俺は突き当たりのスライドドアの前に立った。ちょうど顔の高さに、小型カメラがついている。あかんべえをする要領で、俺は自分の右目の網膜をスキャンさせた。
《瀬川篤軍曹、認証しました》
機械音声と共に、扉がスライドする。その先にあったのは手術台と数名の医師、ロボットアーム、それに、高性能クーラーボックスと思しき直方体の箱だ。
「あれに俺の左腕が入ってるのか……」
俺は嬉しいとか、喜ばしいとかいうよりは、どこか不気味なものを見る目でクーラーボックスを眺めた。
「どうなさいました、瀬川軍曹?」
「あっ、いえ、何でもありません」
医師に問いかけられて、俺は咄嗟に言い繕った。まさか、わざわざ取りつけてもらう義手を『不気味だと思った』とは口が裂けても言えない。
「ご懸念はお察ししますよ」
「え?」
件の医師が、続けて声をかけてきた。
「今のご時世、二十一世紀も折り返しですが、義手や義足の装着に不安を感じない人はそうそういません。自ら身体をパーツと見做して、頑丈なものに交換しようという患者にも会ってきましたが、彼らは相当なイレギュラーですね」
俺はこくこくと頷いた。
「一般の方々からすれば、義手や義足の装着は、まだまだ医療行為の延長線上にあるものです。いずれにせよ、あなたは新しい左腕を欲していらっしゃる。我々も最善を尽くしますよ」
「あ、ありがとうございます」
意外なほど饒舌な医師に迎え入れられるようにして、俺はゆっくりと手術台に横たわり、全身麻酔を受けて意識を失った。
※
「ん……」
鋭い光と小鳥のさえずりで、俺は目を覚ました。鋭い光といっても、これは日光だ。どうやら丸一日、寝込んでいたらしい。
すると全く唐突に、横合いから不機嫌そうな顔が視界に入ってきた。
「うわ!」
「何驚いてんのよ、瀬川軍曹。私の顔に文句でも?」
「き、霧崎警部補……」
『顔に文句があるのか』と問うてくるとは、相当な自信だな。にしては服装が地味だが。
「あんた、何か言いたそうな顔してるわね」
「いっ、いや、別に」
「ふぅん?」
すると霧崎は、意外なほどあっさりと顔を引っ込めた。俺を挟んで、ベッドの反対側に声をかける。
「先生、こいつはいつから使えますか?」
「こ、こいつ、って……。仮にも俺はあんたのバディだぞ? それに人間だ、『使えますか』はねえだろう?」
という俺の不平を見事に受け流し、医師はこう言った。
「神経接続は完了していますし、拒絶反応も見られません。今回の手術、極めて高度な成功を収めたと――」
「で、いつから使えるんですか?」
医師の言葉すら遮って、霧崎は問いを重ねた。医師は少しばかり口元をもごもごさせてから、『あと三日もあれば』と答えた。
「三日? 三日ですって? こっちは現在進行形の事件を担当してるんです、リハビリは今日中に終わらせてください」
「お、おい! 医師の判断に逆らってまで動くのは危ねえだろう!」
俺は無意識のうちに、上半身を起こしていた。両腕を使って。
「怪我人は黙ってなさい、捜査権限を委任されてるのは私よ」
「だからって……」
「あんたは腕立てでも何でもやって、さっさと左腕を使えるようにしなさい」
その言葉に、俺はカチンときた。バディを何だと思ってるんだ、この女は?
俺は『左腕を』勢いよく突っ張り、身体を支えながら右腕で霧崎の胸倉を引っ掴んだ。
「ッ!」
霧崎は反射的に、俺の右腕を両手で掴み込んだが、俺は力を緩めなかった。
「お生憎様、腕力では俺が上みたいだな。だが、あんたの言い分は認めよう」
「何ですって?」
「左腕だ。今上半身を支えてるが、何の支障もない」
俺は軽く霧崎を押し返すようにしてから、ベッドに座り込んだ。
「先生、どうやらリハビリは要らないようです。自分も早く事件の捜査に回りたいのですが、退院許可はいただけますか?」
医師は目を丸くしていたが、すぐに『わ、分かりました』と告げて立体画像を展開、そこにサインをしてどこかへ送信した。
「ありがとうございました、先生。ほら行くぞ、霧崎」
「めっ、命令しないでよ! 左腕が戻ったからって……」
「戻せと言ったのはあんただろうが。さっさと捜査させろ」
渋々といった様子で、霧崎は先だって病室を出た。
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