第7話
※
街灯もない山道を、車のヘッドライトだけを頼りに、俺たちは目的地に向かっていた。
最近は日が沈むのも早い。
「まだ午後六時だってのに、真っ暗だな」
そんなぼやきに反応したのか、霧崎が言った。
「到着まで、あと百五十秒ってところね」
「了解」
俺はホルスターから拳銃を抜き、簡単な整備を済ませた。正確には、ジャムが発生しないかどうかを確かめた、か。
俺が拳銃を引っ込め、顔を上げると、そこには意外にも開けた空間が広がっていた。広大な敷地だ。その中央に、角ばった背の低い建物がある。月光を背後にしているために、よりその影は黒々として見えた。
「あれが、あんたの言ってた廃工場か?」
「ええ。もっと言えば、産業廃棄物の処理場ね」
と、言うことは。
「危険な廃液や汚染された気体が発生している可能性がある、ってことだな」
「そうね。ここで勝負を仕掛けてくる可能性は高いわ。もし、谷修也曹長の通信相手の中に、兵器開発部の人間がいたら」
「いたな」
即答した俺の横で、霧崎は体勢を崩した。
「そういうことは早く言いなさいよ、早く!」
俺は霧崎の苦情を、再び無視する。
代わりに、先ほどのリストを見て、暗記したことをつらつらと述べた。
「国防軍特殊作戦群第三課、坂田哲郎軍曹。新型兵器の開発と、その製造ラインの担当だった。本人の身体が頑強かどうかは不明だが、俺たちを罠に嵌め得る高い知性を持っていることは確かだ」
「でも、そこに谷修也曹長のバイタルモニターの反応があるのよね。行くしかないわ」
「そういうことだ」
そう俺が言い終えたのとタイミングを合わせ、車は緩やかに停車した。工場の敷地に入るギリギリのところだ。
「俺と一緒に来てくれ、霧崎。互いの背後の警戒を怠らないように」
霧崎は無言で車を降りた。俺に従うのにやぶさかではないが、素直な態度を見せたくはない。そんなところだろう。
俺は、自分は後頭部にも目が付いている、という自己暗示をかけながら、ゆっくりと歩を進めた。この程度の建造物であれば、そろそろ外部にある監視カメラに引っ掛かるだろう。
「なあ、この廃工場、システムはどのくらい機能してると思う?」
「全面的な機能自体は、五年前に停止しているわ。でも、谷曹長のバイタルモニターが感知されているから、一部の機能を復旧させて私たちを殺しにかかってくるかも」
俺は胸中で舌打ちした。
「何か対策はないか? この工場の見取り図があれば、まだ対処の仕様がある」
「そう言われると思ったわよ」
霧崎は再び左腕を差し出し、右手に握った双眼鏡で工場の方を観察した。
「この監視カメラの配置なら、私たちの接近はまだ気づかれてないわね。どう? 何か作戦はある?」
「ここだ」
双眼鏡を下ろす霧崎。視線を下ろして地図に見入る。すると、すぐに彼女も納得した。
「この工場には、外部に非常電源供給装置が付随している。こいつをぶち壊せば、工場内のあらゆる電気設備を無力化できる」
「そのようね。だったら、これの出番かしら」
「これ?」
一旦車内に戻った霧崎。彼女が持ってきたは、野球ボール大の球体だった。
一見すると手榴弾のようだが、対人殺傷用でないことは何となく分かった。
「電波妨害用の手榴弾よ。これで非常電源を潰せれば」
「工場内の安全は確保できる、か」
「そういうこと。念のため、あそこの監視カメラは壊しておきたいんだけれど」
霧崎が指差したのは、工場角にあるカメラだ。
「任せろ」
俺は拳銃を抜き、左手で握って狙いをつけた。
もう、俺の利き腕は右手から左手に移ってしまったらしい。それも、なんの違和感もなく。
「ちょっと、何やってるのよ? 早く撃ってよ」
「ああ」
俺は中途半端な声を上げつつ、だが狙いは精確に発砲した。監視カメラは、一発で破砕された。
「これで接近できるわね。手榴弾は任せて」
霧崎が駆け足で工場外壁に近づき、手榴弾の投擲を試みる。その時だった。
わきの山林から凄まじい殺気が膨れ上がるのを、俺は感じた。間違いなく、電源設備を破壊しようとする人間を狙っている。つまり、霧崎のことを。
しまった、罠だ。敵は、こちらが電源設備を破壊しようとすることを見越して、殺害しようとしていたのだ。
声をかけたのでは間に合わない。俺はダッシュで霧崎の背後に接近しようと身構えた。しかし。
俺が地面に着いたのは、足ではなく左の掌だった。無意識のうちの挙動だ。そして、これまた無意識のうちに、俺は左腕で跳躍した。
自分でも何をしているのか、よく分からない。だが、脚力より左腕の腕力を信用したことは確かだ。
俺はそのまま空中で前転し、背後から霧崎を押し倒した。
「きゃっ!」
華奢な体躯の霧崎。その身体は、呆気なく地面に押しつけられた。俺は彼女の後頭部を押し付ける。立ち上がらないように動きを封じたのだ。すると、直前まで俺の頭部があったところでコンクリート片が舞った。
間違いなく、狙撃だ。
微かに目を上げる。すると、手榴弾は霧崎の手を離れていた。電源設備の下に滑り込むところだ。
『目を閉じろ』と言うのももどかしく、俺は余計に霧崎の顔を地面に押しつけた。俺自身もまた、目をぎゅっと閉じて顔を逸らす。
すると、バシュン、という爆発音と共に真っ白な閃光が走った。バリバリという電気音が続く。
「霧崎、お前は寝てろ!」
「ちょっ、何なのよ⁉」
恐らく敵は、遮光板をスコープに装着しているはずだ。今の閃光が目くらましになったとは思えない。次弾を叩き込まれる前に応戦しなければ。
「霧崎、手榴弾借りるからな!」
「はあ⁉」
俺は閃光手榴弾を、霧崎の腰元から外した。何とか相手の目を潰さなければ。
木々の間に放り込む。すると、がさりと明確な音がした。流石に眼前で閃光が走れば、遮光板も役に立つまい。
俺は再び目を覆ったが、敵にそんな暇はなかった。というより、俺たちが閃光手榴弾を有していることは知らなかったようだ。
大まかな敵の位置は、さっきの狙撃弾の軌道から察せられる。俺は右腕で自分の目を覆い、左腕に拳銃を握らせた。そして、続けざまに発砲。残弾を全て撃ち切ったが、手ごたえはなかった。
しかし、殺気もまた消え去っていた。どうやら、是が非でもこの場で俺たちを仕留める、という気はなかったらしい。
修也の仲間は残り四人のままだが、果たして。
「この工場の中に修也はいるのか……?」
そう呟いた直後。
「ちょ、ちょっとあんた! いい加減どきなさいよ! 口に泥が入ったじゃない!」
「それがどうした。戦場じゃしょっちゅうあることだ」
俺は周囲に気を張り詰めさせたが、やはり殺気は感じられない。
霧崎は泥を唾棄しながら、自前の拳銃を抜いた。
「で、何があったの?」
「狙撃された。怪我はないか?」
「狙撃ですって?」
目を丸くする霧崎。これなら無傷だろう。だが、狙撃されたことに今更気づくとは。
「やれやれ……」
「なっ、何よその呆れた仕草は!」
俺は霧崎の落ち着きのなさを再び無視し、角を曲がって工場のエントランスに回った。バイタルモニターが正しければ、修也は地下一階、第一試験室という場所にいる。深く踏み込む必要はなさそうだ。
「行くぞ、警部補殿」
「だから待ちなさいって!」
駆け足でついてくる霧崎。周囲の安全は確保できたと思うのだが、それでもまだこんな奴のお守りをしなければならない。
本当にやれやれだ。俺は眉間に手を遣りたくなったが、何とか自重した。
※
入り口の扉を俺が蹴り開け、霧崎が銃口を建物奥へと向ける。拳銃に装備された簡易照明が、工場の廊下の闇を切り取り、そこに人がいないことを明らかにする。突入は呆気なく成功した。
俺は無言のまま、霧崎に手信号で階段を下りるように示す。頷き返す霧崎に並び、俺は援護体勢を取りながら階段に足をかけた。
第一試験室というパネルは、すぐに見つかった。外から見ても、大体三十畳くらいの広さであることは分かる。
入り口となるスライドドアの前に立つ霧崎に、俺は小声で言った。
「俺が気を惹くから、あんたが撃て」
「どうして?」
「何でもいいだろう、理由なんて」
内心、俺は焦っていた。怒っていた。そして、悲しんでいた。いや、無理やり言葉に置き換えようとすること自体、無粋な行為なのだろう。
はっきりしているのは、俺が修也を撃つのは困難だということだ。脱走兵とはいえ、俺の友人に変わりはない。俺が修也を撃つということは、作戦に私情を挟むことになる。この左腕だって、鈍るかもしれない。
修也が視界に入らなければ、まだ動くことができるだろう。俺はスライドドアに左腕をかけ、霧崎に頷いてみせた。そして、思いっきり引き開けた。
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