第8話

 ザッ、と音を立てて滑り込む霧崎。すぐにデスクの陰に隠れ、トラップに備える。

 だが、俺はスライドドアを引き開けた姿勢のままで、その場に立ち続けた。


「馬鹿! あんたも隠れなさいよ!」


 控え目な声の霧崎に、俺は口の動きだけで用件を述べる。


「俺が気を惹く。あんたが撃て」

「は、はあっ?」

「腐れ縁とはいえ、修也は俺の親友だ。自分の手で仕留めるほど、冷徹にはなれない」


 そして俺は、埃っぽい空気を思いっきり吸い込み、叫んだ。


「修也! 俺だ! 瀬川篤だ! そこにいるんだろう、出てきてくれ!」


 俺に愛想を尽かしたのか、霧崎は転がるようにデスクの陰を移動した。修也のバイタルモニターをチェックし、死角に入る。

 俺は視界の隅で、霧崎が呼吸を整えるのを捉えた。それ以外に、人の気配の有無は判然としない。


 俺の指示を待つことなく、霧崎は立ち上がった。警告なく発砲。すると、マズルフラッシュで室内がぱっと照らし出された。そこにいたのは、


「修也!」


 紛れもなく、谷修也だった。霧崎の発した弾丸によって、頭部を射抜かれている。

 かと思った直後、ヴン、という風切り音と共にその姿は消え去った。

 はっと息を飲む霧崎。俺は伏せるように叫ぼうとしたが、殺気が感じられないことにすぐ気づいた。この部屋には、俺たち二人しかいない。身を隠す必要はないようだ。


「今のは、り、立体画像?」

「そのようだな。中途半端に人の気配がするな、とは思ったんだが」

「今の映像がその原因だったわけ?」

「ああ」

「だったら早く言いなさいよ!」


 俺は思わずため息をついた。しかし、ここまでずっと『小声で怒鳴る』という芸当を続けた霧崎の技術力は称賛すべきかもしれない。


 拳銃をホルスターに仕舞い、俺は立体画像の修也が立っていた場所に近づいた。携帯端末を取り出し、ライトを点灯。周囲を見渡す。

 

「おっと、こいつは……」

「何かあったの?」

「ああ」


 近づいてきた霧崎に、顎をしゃくって見るべきところを示す。


「こ、これは?」

「バイタルモニターの位置と照合してみろ」

「えっ、嘘……。そんな!」


 そこにあったのは、四方が四十センチほどの黒い箱だった。


「バイタルモニターの座標、ちょうどこの箱の位置と一致してるだろう?」


 霧崎は無言。そんなに驚くべきことだったのか。

 改めて箱、すなわちバイタルモニター偽装発信装置を見下ろす俺。


「修也の奴、とんでもない技術者を仲間にしたようだな。自分のバイタルモニターを無効化し、疑似信号を発する装置なんて、そう簡単に作れるもんじゃない。しかも、その疑似信号を警視庁と国防軍に流してみせた。並の技術でできることじゃない」


 呆然とする霧崎を、これは小突いた。


「こいつは専従捜査でどうにかできるレベルじゃない。この箱を分析してもらわなきゃな。仮に分析できるとすれば、どのくらいかかると思う?」

「ど、どのくらいって……」

「修也本人のバイタルモニターを検知できるように、警察か軍のシステムをアップグレードする。それが目的だ。あんた、全く見込みがつかないわけじゃないんだろう?」

「それは、まあ……。一週間、いえ、五日でやってもらうわ」


 霧崎はじっとこちらを見返した。自分が驚いている間に事態が進展してしまったぶんを、取り戻そうとしているのか。とにかく、強気な霧崎羽澄警部補は復活したらしい。


「じゃあ早速これを運んで――」

「いや、ちょっと待て」


 俺は霧崎を引き留め、箱の裏に手を回してみた。

 軽い金属質な手触りの箱。だが、その裏に回した俺の手が感じ取ったのは、


「こいつは紙か?」

「紙?」


 そう、ちょうど手紙の封筒のような感触だった。

 今時、古風なことをするものだと思ったが、だからこそ目立つ。


「修也からのメッセージかもしれない」

「谷曹長からの?」

「霧崎、照明頼む」


 そう言って、俺は封筒を開き、中の紙片を取り出した。


「なになに……?」


 そっと指でなぞりながら、俺は文面に目を通した。


         ※


 この文書を発見した捜査員、または特殊部隊員へ。


 もし許されるなら、この手紙は瀬川篤軍曹に読んでもらいたい。それまでこの手紙が無事だといいのだが。


 私、谷修也曹長は、正義のために国防軍からの脱出を試みることにした。この『正義』という言葉が何を意味しているのかは、遠からず理解されるはずだ。

 もし警視庁の人間も一枚噛んでいるのなら、話は早いだろう。


 私は、去る十一月三日に発生した政府高官誘拐事件、及びそれに伴うテロリスト掃討作戦において、この国が重大な事実を隠匿していることを知った。それが何なのか、今は明らかにすべきではないだろう。

 一つ言えるのは、この国の行為は、人権を無視した悪逆非道なものである、ということだ。


 今は亡き森田順平軍曹の信念に報いるべく、私は逃走し、今手元にある『機密データと称されるもの』を遠くへ運び去らなければならない。


 残念ながら、今の段階でその『機密データ』が何なのかを告白することは不可能だ。それは、瀬川軍曹に多大な心理的負担を強いる事実となるだろうから。


 もし現段階で、政府関係者、または民間人に被害が出ているとすれば、私にとっては誠に心苦しいことであり、その人物の冥福を心より祈念する他ない。


 もし私に望みがあるとすれば、瀬川軍曹に即刻離脱してほしい、ということだ。親友を二人も亡くして平気でいられるほど、私は頑強な心を持ち合わせてはいない。


 まとまりのない文章であることを詫びると共に、ここでこの手紙の役割が終了したことを明記する。


 以上。


         ※


 俺は震える手で、この紙片を握りしめていた。


「ちょっと、どうしたのよ?」

「あんたも読んだか、この手紙?」

「いえ。あんたが読み終わるのを待ってたのよ」


 角度的に読めなかったのか。もし読めていて、『どうしたのよ?』などと問えるとしたら、この女はあまりに鈍感だ。


「私にも読ませなさい」

「……」

「聞こえないふりをしたって無駄よ。私にも目を通す権利はあるわ」


 そう言って、霧崎は俺の手から手紙を引っ手繰った。そしてほぼ同時に、彼女がはっと息を飲む気配がした。


「こ、これ、谷曹長からあんたに?」

「らしいな」


 霧崎の読む速度は尋常ではなかった。五秒足らずで、残りの文面を読み切ってしまったのだ。にしては、リアクションは実に幼稚だ。

 手紙を俺に突き返した霧崎は、両手を腰に当てて、ふん、と鼻を鳴らした。


「何が『瀬川軍曹に読んでほしい』よ! これは、あんたが自分の跡をつけてくることを予期して書き残したんだわ!」


 ずいっと顔を近づけてくる霧崎。だが、俺は手紙を握った姿勢のまま動けなかった。


「あんたに泣き落としを仕掛けてるのよ、コイツ。相手にする方がどうかしてる。まあ、証拠として取っておこうとは思うけど、それ以上の価値はないわ。この手紙と箱は、私が預かる。いいわね?」


 そう言って、霧崎はコートのポケットに手紙と封筒を慎重に入れた。そのまま、箱を持ち上げようと手をかける。


 まさにその瞬間だった。箱から伸びた細いピアノ線が、俺の目に入ったのは。


「よせ霧崎! ブービートラップだ!」

「え? 何ですって?」


 そう言い終えた頃には、ピアノ線はぷっつりと切れてしまっていた。


「馬鹿野郎!」


 敵性領域に入る際の実践研修を受けていなかったのか、この女は。

 俺は左腕で霧崎の上腕を引っ掴み、容赦なく部屋の反対側へと放り投げた。床に落ちた鈍い音からして、受け身を取ることはできたようだ。


「一体何を――」

「伏せろ!」


 そう叫んだ瞬間、俺の視界に入ってきたのは真っ赤な炎だった。一部の地雷と同じで、配線が切断されると起爆する仕掛け爆弾。それが、この部屋の両壁に仕掛けられていたのだ。


 膨れ上がる爆風が、まるでスローモーションのように見える。これに巻き込まれて、今度こそ俺は死ぬのか。


 気づいた時には、俺は左腕を右肩まで回し、自分を抱き締めるような体勢でしゃがみ込んでいた。何故自分の挙動をここまで察知できたのか、我ながらにしてよく分からない。

 ただ、左腕が『元の身体』を守るために、反射的に動いてくれたのは事実だろうと思う。


 俺は爆風で転がされ、そばにあった椅子やデスクと共に横転。そのまま立ち上がることも叶わず、左右から熱波に襲われた。


 痛みはない。だが、これ以上身体の部位を失い、義体化されてしまうのは勘弁願いたい。

 そう思いながら、俺は頭部を何かで強打し、意識を失った。

 

 その直前に思ったこと。それは、殺傷用トラップにしては威力が低いのではないか、修也は俺を極力傷つけまいとしているのではないか、そういう事柄だった。

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