第9話【第二章】

【第二章】


 目を開ける。視界に跳び込んできたのは、真っ黒な空とそれに向かって立ち昇る炎の舌先。その炎は、自らと一体化した黒煙をも照らし出し、赤黒いグロテスクな様相を呈していた。

 

 俺は自分が戦場のど真ん中で、仰向けに倒れていることに気づいた。


「ッ!」


 慌てて上半身を起こし、武器を探す。しかし見つかったのは、ホルスターに収めたリボルバーの拳銃一丁だけだった。


 ねじ曲がった街頭、乗り捨てられた自動車、外壁がボロボロになったビル。偶然だろうか、この光景は、先日のテロリストとの交戦があったプラットホームに似ている。


 違いがあるとすれば、俺以外の人間がいないということだ。

 敵の気配に警戒しつつ、俺はゆっくりと立ち上がり、屈んだ姿勢で近くのビル陰に滑り込んだ。


「一体何がどうなってるんだ?」


 そう呟いた次の瞬間、俺は何者かに足首を掴まれた。うつ伏せになり、腕を伸ばしている。慌てて振り払おうとするが、相手の腕は万力のように、ますます強く俺の足を掴んでくる。


「放しやがれ!」


 そう言ってもう片方の足で相手のヘルメットを蹴り飛ばした、その時。俺は我が目を疑った。


「じゅ、順平、なのか……?」


 俺の足を掴んでいたのは、森田順平だった。

 いや、それはあり得ない。彼は既に戦死したはずだ。それがどうしてこんなところに?


「戸惑うのも無理はない、瀬川篤軍曹」


 謎の声に、俺は振り返る。その声は、個人を特定されないようにするためのフィルターがかけられているようで、しかしどこか聞き覚えのある調子で語られていた。


 いつの間にか、俺の足は順平の手から解放されていた。それどころか、順平の姿そのものが消え去っている。まるで、自分の出番を終えたかのように。

 

 それを確認し、もう一度謎の声の方を振り返ると、そこには男が一人立っていた。

 いや、男なのか? 頭から被せられ、背中にまで流された長いマントのせいで、姿形がよく分からない。特に顔は、完全に影になっている。


「俺は自分の正義を貫かねばならない。お前と会うことはないだろう。いや、それは俺の一方的な願いに過ぎない」

「あ、あんた、何を言ってるんだ?」


 その時になって、俺はようやく武器の必要性を悟った。ホルスターから拳銃を抜き、黒衣の男に向ける。

 すると男は、両腕を広げてみせた。さあ撃ってくれと言わんばかりに。だが、相手の素性も分からないのに、無暗に撃つことはできない。少なくとも俺には。


「撃たないのか、篤?」


 その一言に、俺は半歩、後ずさった。俺を『軍曹』や『瀬川』ではなく『篤』と呼ぶ人間はほとんどいない。いるとすれば。


「お前、修也、なのか?」


 男は長いマントのフードの部分を取り去った。ばさり、と音を立て、地面に落ちる。

 そこに立っていたのは、紛れもなく谷修也その人だった。


 驚きを新たにする俺の前で、修也は振り返った。もう用が済んだとでも言うように。

 無防備な背中が、余計に俺の指先を狂わせようとする。


「止めろ……」


 俺は震える声で、修也の黒い背中に呼びかけた。


「止めてくれ、修也! 機密データを持って投降するんだ! 極刑は免れる!」


 この言葉がただの俺の思いつき、でたらめであることを、修也は察しただろうか? いずれにせよ、修也はこの場を去ろうとしている。


「俺に撃たせないでくれ、頼む! 頼むから……!」


 だが、俺の懇願も虚しく、事態は進展する。俺の左手の人差し指が、一本だけ極端に大きく震えだしたのだ。

 今や俺の利き手となった左手。それが、俺の意志に反して引き金を引こうとしている。

 ひどく震えているにもかかわらず、銃口だけは修也の背中の真ん中からブレようとはしなかった。


「撃つな、止めろおっ!」


 俺が右手を左肘に添えようとした直前、ついに銃弾は発せられた。

 ズドン、という、リボルバー特有の重い発砲音。手応えはあった。

 すると修也の姿は、すぅっと霞みがかかるように薄れ、一瞬のうちに消え去ってしまった。


 俺は自分の左手を見下ろした。握られた拳銃からは、硝煙が上がっている。

 俺が。俺のこの左腕が、修也を殺した。殺した。殺した。殺した。この世に残った、最後の友人を。理解者を。殺してしまった。


 俺はそのままぺたんと座り込み、自分でも説明のつかないような奇声を上げた。

 自分が号泣していることに、気づいたのは――。


         ※


「瀬川軍曹! 篤、篤!」

「うっ!」


 俺は再び、仰向けに寝転がっていた。がばりと上半身を上げ、一気に息を吸い込む。長い奇声を上げたために、肺が酸素を渇望していたのだ。だが、俺のパニックは収まらなかった。


「修也! 行かないでくれ! 消えないでくれよ、修也!」

「とにかく落ち着いて、篤!」

「うわあああ! ああ、あ……」


 俺はようやく、周囲の状況を把握した。といっても、ゆっくり、少しずつではあるが。


「大丈夫、瀬川軍曹?」


 俺の顔を覗き込んでいたのは、霧崎羽澄だった。ということは、俺を下の名前で呼んでいたのも彼女なのだろうか。


「俺は、一体……」

「安心して。ここは国防軍立川支部の病院」

「病院? 立川?」


 妙だ。俺と霧崎は、公式な支援を受けられないはずではなかったのか?

 それに、立川という土地柄も気になる。ここは、国防軍司令本部が置かれている新宿区・市ヶ谷ではない。それなのに、機密性の高い任務にあたる俺たちを保護するだけの余裕があったのだろうか。


「最初にカーチェイスに巻き込まれてから、丸一日経ったところよ。廃工場での爆発からは、半日ってところね」

「瀬川軍曹、お気づきになりましたか?」


 霧崎の説明に割って入る形で、白衣の男性が反対側から近づいてきた。白髪の豊かな男性だ。医師なのだろう。


「俺は、一体……」

「あなたの身柄は安全に確保されました。爆発の規模が小さかったということもありますが、重傷ではありません。幸いでしたね」


 その頃になって、俺はようやく自分が病院にいるのだと実感させられた。清潔な布団と毛布、腕に繋がれた点滴、白を基調とした壁や天井。薬品の匂いもする。


 俺は脳みそを逆回転させ、自分が気を失うまでのことを思い返した。

 そうだ。バイタルモニターを偽装した箱を霧崎が持ち上げた時、ブービートラップに引っ掛かったのだ。


「霧崎、箱は? バイタルモニター偽装の手口を掴まなければ――って、爆発で吹っ飛んじまったか」

「無事よ。外装が少し焼けたくらいで」

「本当か?」


 こくん、と頷く霧崎。


「私の見立て通り、解析には五日かかるそうよ。一日経ったから、あと四日ね」


 俺は医師の方に顔を向けた。


「俺はいつから動けますか?」

「外傷は、浅い切り傷と軽度の火傷が数か所。本来なら二日ほど入院していただくところですが、お急ぎなんでしょう?」


 ゆっくりと頷いてみせる。すると医師は、軽くこめかみのあたりを掻きながらこう言った。


「退院を許可します。私共もあなた方の任務の詳細は関知するところではないですが、緊急性が高いのでしょう」

「はい」


 応じたのは霧崎だ。


「では、あと一時間だけ横になっていてください」


 すると、医師は何やら霧崎に目配せしてから病室を出て行った。パシュン、と軽い音を立てて閉じられる。


「ねえ、篤」

「あん?」

「何か変わったと思わない?」

「ああ。俺の寝床が変わったな。隊員寮よりも寝心地がいい」


 それを聞いて、霧崎はがくっと体勢を崩しながら『あのねえ!』と言って話の主導権を握った。


「私のことなんだけど、いや、だからってそういうわけじゃなくて、その……」


 何を言ってるんだ、この女? 少しばかり頬に朱が差したようにも見えるが。


「わ、私が少しはあんたの心配をするようになったでしょう?」

「はあ」


 それがどうした。

 そう口に出そうとした直前、霧崎は真っ直ぐに俺を見た。


「こ、これからはあんたの言うことも尊重してあげてもいい、っていうか。その……私、実戦経験が浅いから、必要だったらあんたの指示を聞いてあげてもいいわよ」

「当然だろう、そんなこと」


 すると霧崎はピタッ、と動きを止めてから、大きなため息をついた。

 何か悪いことを言っただろうか? 俺が首を捻っていると、霧崎は改めて俺を見つめた。


「あんたは爆発から私を救ってくれたし、警戒も促してくれた。だから、あんたを私と対等な立場だって認めてあげるわ。あ、篤」

「ん?」


 こいつ、俺を下の名前で呼んだのか? いや、それはいいんだが。


「どうしてそんなに恥ずかしそうなんだ?」

「なっ……! し、知らないわよ、私だって!」


『私は待合室にいるから』とだけ言い残し、霧崎は病室から出て行った。


「何だったんだよ、今のは」


 不可解には思ったものの、不快な感じは受けなかった。


「ま、いいか」


 俺は点滴のチューブを眺めながら、再び横になった。

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