第10話
※
ベッドに横たわっている間、俺はさっきの夢(にしてはあまりに明確だが)のことを考えていた。
あの夢の中であったように、俺の左腕はいつしか暴走し、殺めるべきでない人物の命を奪ってしまうのだろうか? そう、とりわけ修也の命を?
そう思うと、背筋に氷柱を差し込まれたような気分に陥った。風邪を引いているわけでもないのに、寒気がする。かといって、部屋の壁に設置されたエアコンの指定温度を見ると、二十二度を指している。
「ん……」
俺は左腕を上げかけて、引っ込めた。俺は、自身の左腕を完全に信用したわけではない。使いこなしているとも言えない状況だ。
代わりに右手で、額から鼻先、顎に至るまでの汗を拭った。病室内は適温、適湿度が保たれている。にも関わらず、右の掌には脂汗がべったりと貼りついてくる。
やはり、俺は自分が不安に陥り、自己肯定感が下がっているのだと理解した。
「こんなんで戦えるのかよ、俺は」
そう呟いた時のこと。
「おや、お目覚めでしたか、瀬川軍曹」
先ほどの医師がやって来た。
「霧崎羽澄警部補でしたら、小会議室であなたをお待ちのようです。もうすぐに出動されますか?」
「あっ、いえ。まだ相手の手がかりが掴めていなくて――」
と言いかけて、俺は慌てて口元に手を遣った。案の定、先に動いたのは左手だ。
しかし、医師はこのような患者の対応に慣れているのか、『私は口が堅い方ですよ』などと呑気なことをのたまう。
「取り敢えず、霧崎警部補とは合流します。案内していただけますか?」
「ええ。では点滴を外しますね」
そうこうしているうちに、俺は変わり映えのしないスライドドアの前に立っていた。
「この部屋に監視カメラはありませんし、盗聴用マイクも仕掛けられてはいません。防音性能は完璧ですので、安心してご利用ください」
「ありがとうございます」
俺が医師にお辞儀をし、顔を上げようとしたその時だった。
スライドドアが、室内から開いた。と同時に、俺の胸倉に腕が伸ばされる。
「き、霧崎?」
「緊急事態よ! これ見て!」
俺は無理やり、小会議室に引っ張り込まれた。
会議室といっても、『小』とつくだけあって手狭な空間だった。中央にデスクがあり、そこに映像配信用の端末が設置されている。ちょうど、刑事による取り調べが行われるような部屋だ。
「霧崎、一体どうしたんだ?」
「見れば分かるわ。今何が起こっているか」
ぶっきら棒な尋ね方をしたら、そのままの調子で返された。只事ではあるまい。
俺は映像端末に目を遣り、同時に我が目と耳を疑った。
映像の中央には一人の男性の顔がアップで映され、その人物が語りかけている。
《繰り返す。こちらは国防軍特殊作戦群第八課、通信指令本部。この建物と設備は、我々の手中にある》
「こ、こいつは……」
「知ってるの、この男?」
俺はテーブルに両手をつきながら語った。
「坂田哲郎軍曹だ。所属は第三課。昨日、廃工場で俺たちを襲ってくるんじゃないかと思っていた男だ。あんたの情報端末の立体画像で顔を見知っただけだが……」
問いを重ねようとした霧崎の横で、俺はポンと手を打った。
「そうか! 昨日わざわざ廃工場を舞台にしながら狙撃しかしてこなかったのは、こいつが今日のこの事件の準備にあたっていたからだ」
坂田とは別に、凄腕の狙撃手がいることは確認済みである。
映像の中で、坂田は言葉を続けた。
《今ここで、我々は自分たちの正義のために、ある作戦を実行中である。作戦が終了すれば、人質を解放して直ちにここから離脱する。関係各員には、懸命な決断を下していただきたい》
「正義、正義って、こいつら一体何がしたいのよ?」
俺は敢えて独り言を語ることで、自分の考えをまとめようと試みた。
「カーチェイスの時、敵の目は正義感で溢れていた。でなければ、あんな無茶はできないだろうが、それだけじゃない。やはり目的意識が、それも極めて高尚な理念があるに違いない。人権を無視した非道な行為をこの国が行っていると、修也も言っていた。この国は裏で何をしている? そして修也たちは何を知ったんだ?」
「あーもう! 私たちも現場に急ぐわよ!」
いつもの調子に戻った霧崎は、俺の右腕を取って部屋を出た。
駐車場には、一応頑丈な部類に入るであろう、車体の高い四輪駆動車が置かれていた。赤い軽自動車はお払い箱らしい。
「これが、俺たちの新しい愛車か?」
「ええ。さっきの医師に頼んで、裏ルートから準備してもらった」
「う、裏ルートって……」
俺が怪訝な顔をしながらシートベルトを締めると、霧崎は『安心して。犯罪組織との癒着はないから』とあっさり言い切った。
「そう願いたいね」
俺の嫌味を無視して、霧崎は車を急発進させた。
※
車で走ること、数時間。もうすぐ太陽が沈む頃になって、俺たちは現場に到着した。
修也と関わりがある以上、俺たちもこの事件に対処する権利と義務が生じる。
敵対対象である坂田の言っていた『ここ』。それは、第八課のバイタルモニターの管制塔だった。付近には警察車両が数十台規模で停車され、上空は観測ヘリと偵察用ドローンが飛び交っている。
「塔、って感じじゃないわね」
「主要な機器や設備は地下にあるんだ。ここを潰されたら、仮にあの箱の謎が解けたとしても、修也の位置情報はキャッチできない」
俺たちが車を降りた、その時だった。
一人の兵士が、俺たちの方に駆け寄ってきた。階級は伍長。俺より階級が低いので、先に敬礼をされた上で、こちらも返礼する。
「瀬川篤軍曹、霧崎羽澄警部補、沢木拓蔵大佐より命令です。主力部隊がエレベーターを使って侵入を試みるため、裏口から突入してそれを援護しろ、とのことです」
「了解。俺と霧崎以外の人員は?」
「それが」
伍長はやや言い淀んだが、すぐに顔を上げた。
「お二人は専従調査中とのことなので、公式に増援を手配することはできないそうです」
「何ですって?」
怒りを露わにしたのは、霧崎だった。
「敵の規模は分からないんでしょう? トラップだって仕掛けられているかも」
「お、お二人なら制圧可能であると、大佐は判断されたようで……」
「そんな無責任な!」
「やめとけ、霧崎」
俺はわざと左腕を使い、彼女の言葉を遮った。
「今説明された通りだ。兵隊は命令に従うもんだと、あんたは言ったよな。それがこういうわけだよ」
俺と霧崎の間で、あたふたと視線を左右させる伍長。
「報告ご苦労。了解したと、大佐に伝えてくれ」
「はッ」
すると伍長は一方的に敬礼して、すぐに走り去っていった。
「突入開始まで、あと三百秒!」
そんな号令が響く中で、俺は霧崎に問うた。
「あんた、命が惜しいのか?」
すると霧崎は、あからさまに動揺した。だがすぐにホルスターから拳銃を取り出し、
「命が惜しいんじゃなくて、命が失われるプロセスが怖いのよ!」
と述べた。
俺はふたたび『やれやれモード』に入ってしまった。命が惜しくてこんな仕事が務まるものか。
だが霧崎は、命が失われる『プロセス』という言葉を使った。銃撃されて痛みを感じるとか、意識が朦朧とするとか、そうしたことを恐れているのか。
「まあ、分からないでもないけどな」
しかし、俺がそう応えた時には、霧崎は既に歩を進めていた。あれだけの啖呵を切っておきながら、命令は遵守する。苦労が絶えないな、俺もあいつも。
※
待機時間だった三百秒は、あっという間に経過した。
俺と霧崎が誘導されたのは、平べったい建物のメインエントランスの反対側。電子ロックのかかった、狭いドアの前だ。
先ほどの伍長が、パスワードを打ち込んで開錠する。廃工場に突入した時と異なるのは、事前に暗視ゴーグルが俺たちにも支給された、ということだ。
「これで少しは視界を確保できるわね」
「そうだな」
相槌も適当なまま、俺は素早くゴーグルを装着し、拡大・縮小の手順や感度の調整方法を確認した。
「霧崎、あんた、暗視ゴーグルを使った訓練は受けてきたか?」
「ええ。百時間ほどはね」
「短いな」
「はあ?」
再び喚き出そうとした霧崎を、俺は人差し指を唇に当てる動作で黙らせた。
「もうドアは開いてる。行くぞ」
パシュッ、という短い音と共に、管制塔の裏口は開いた。
※
いざ突入してみると、特にこれといった危険性は感じなかった。トラップの形跡もなし。厄介なのは、軽い電波障害があって、本隊との連携が取れないところだが、仕方ない。
塵一つない清潔な廊下を、ゆっくりと進む。その先にあったのは、狭い階段だ。当然、照明は点いていない。
俺は前方に拳銃を構え、霧崎が端末からこの管制塔のマップ情報をダウンロードする間、警戒にあたった。
何故突入前に確認しなかったのかと言えば、本隊の突入後に、何らかの動きがあるかもしれないと踏んでのことだ。しかし。
「駄目ね。大まかなマップは表示できるけど、犯人や人質の位置は確認できないわ」
「ただただ進めってことなんだろうさ」
俺はそう言いながら、霧崎に前進を促した。
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