第11話
「随分と複雑な造りだな、ここは」
「ええ」
俺と霧崎は、暗視ゴーグルを通した緑色の視界を頼りに、階段を下りていた。
霧崎のダウンロードしたこの建物の構造データは、俺の腕時計型端末にも転送されている。
電波妨害は主に通信無線の遣り取りを弱体化させるためのもので、画像や映像の通信にはあまり効果がないらしい。何故そんな、面倒な妨害装置を使っているんだ?
思案する俺を横目に、霧崎は鋭いツッコミをくれた。
「あんた、自分の所属してる組織の建物なのに、構造を知らないわけ?」
訝し気に尋ねてくるが、俺は『現場で矢面に立つ役回りなんでね』と言い返した。
「本部が市ヶ谷にあること以外、関連施設の情報は入ってこない。万が一、俺たち兵士がクーデターでも起こしたとするだろ? もしその時に、俺たちを制御する施設の場所や構造が漏れていたら、真っ先に標的にされてしまう。だから現場の人間には、その時々の情報しか下りてこないんだ」
「あっそう。まあ、この事件も半分クーデターみたいなもんだけど」
霧崎の口調は淡白だが、的を射ていることは認めざるを得まい。俺は左手に握らせた拳銃をT字路に突き出し、敵の気配がないのを確かめてから右折した。
「管制室はこっちでいいんだな?」
「そう。この先の突き当たりを左折すれば、主管制室に辿り着くわ」
「ふむ」
いや、待てよ。
「修也やその仲間は、俺が追ってくることを予期しているはずだ。しかも、極めて少人数で部隊編成をしている」
「それがどうしたのよ?」
「ッ! そういうことか! 嵌められた!」
俺は慌てて無線機を手に取ったが、電波妨害は継続中だった。本隊との情報共有はできない。
「こちら瀬川、誰か応答してくれ! おい!」
「ちょっと! 大声を出さないでよ! 敵に気づかれるわ!」
「こいつはトラップだ!」
「そうね、電波妨害は――」
「そっちじゃない! 主管制室を主力部隊が制圧するであろうことは、誰にだって想像がつく! そんな場所に、僅かな戦力で立てこもりなんかするはずないだろう?」
はっと、霧崎は目を見開いた。
「ということは……!」
「さっきの坂田の映像、再生できるか?」
「ええ」
俺は霧崎が手首に巻いた端末を掴み上げ、映像を凝視した。
《今ここで、我々は自分たちの正義のために、ある作戦を実行中である――》
「ストップ!」
俺の緊張感が伝染したのか、霧崎は素早く端末を操作。一時停止をかけた。
「坂田の後ろ、見てみろ」
俺に促され、霧崎も映像に見入る。
「こ、ここは……主管制室じゃないわ! モニターも通信装置も映り込んでないなんて」
「ああ。主管制室はきっともぬけの殻だ。今、坂田のいる場所は違う。こんな背景のある場所に、心当たりはあるか?」
「背景ってそんな、初めて踏み込んだ建物のことを訊かれても……」
「これには刑事の勘が要る。どこか見当つかないか?」
霧崎は髪を軽く掻き上げながら、停止画像に注目した。俺もまた、視線を集中させる。ただし、背景にではなく、中央に映っている坂田哲郎と思しき人物に、だ。
坂田は、どことなく柔和な顔つきをしていた。修也が身分証明写真で、自分の性格を隠しきれていなかったように。
年齢は俺たちよりだいぶ上、四十代くらいだろうか。無精髭を生やした細面だ。こういった外見を観察することで、いざ勝負となった時に、自分を有利に立たせることができることもある。
一通り、坂田の人物像を脳内で描いてから、俺は横目で霧崎を一瞥した。
彼女は、顎に手を遣って考え込んでいる。その視線は、ちょうど坂田の輪郭の外側をなぞるように動いていた。
「ちょっと続き、再生するわよ」
「あ、ああ」
俺が応じるや否や、霧崎は映像の続きをじっと見つめだした。何か掴みかけているようだ。
「副管制室でもないようね。管制システムを司るには、造りの荒い部屋だわ」
俺もまた、背景を覗き込む。
「部屋……? いや、違う。ここはもっと広い場所よ。工場みたいね。それも今稼働中の」
すると、今度は霧崎の方が早く気づいた。
「しまった!」
「どうしたんだ?」
「私、考えていたのよ。どうして無線通信は妨害されるのに、画像や映像の遣り取りは可能なのか、って」
「ああ、それなら俺も考えてた。きっと、犯行声明を出すために――」
「それならもう済ませたわ。だったらさっさと、画像通信も妨害すればいいのに」
確かに。って、待てよ。まさか。
「これって」
「きっと、突入部隊の本隊を誘導したいのよ! 今自分がいる区画に!」
霧崎はぱっと顔を上げた。
「ああ、俺もそう言おうと思ってた」
「主管制室に坂田がいないことが分かったら、本隊もこの映像を解析して、坂田のいる区画に殺到する。彼らをいっぺんに罠に嵌めるつもりなのよ!」
「なっ!」
今度は俺が目を見開く番だった。
「ねえ、あんたたち特殊作戦群の人間って、どんなトラップを仕掛けるの?」
「そう訊かれてもな、課によって任務内容も大きく異なるし」
「ああもう! 私たちが行って、トラップを解除するわよ! 本隊がここに突入する前に!」
「ま、待てよ!」
俺は、振り返って駆け出そうとした霧崎の腕を掴んだ。
「ここがどこなのか、あんたは分かったのか?」
「ええ。地下三階に、広大なフロアがあるわ。地下二階は吹き抜けになってて、キャットウォークが張り巡らされてる。きっとそこよ!」
俺は再び、映像の背景を観察した。
「なるほど、言われてみれば」
「でしょう?」
続けざまに、霧崎は根拠を並べた。
映り込んでいる空調設備。壁に描かれた『3』の文字。そして、坂田の後方に広がる空間の広さ。
「確かに、わざわざこんな広い空間を、機密性の高い建物内に造る、ってこと自体おかしいよな」
「何か思い当たることはある? これだけの空間を使うことで、大人数の兵士たちを足止めさせるトラップ」
俺は胸の前で腕を組み、すぐさま解いた。
「そうか!」
両手の拳をバチン、とぶつけ合う。
「何? 分かったの?」
「ああ。このフロアはきっと、軍事用機材の通信試験場だ」
※
俺と霧崎は、階段を飛ばし飛ばしで下りながら、地下三階を目指していた。
「でも分からないわね」
「何が?」
「どうして第八課の兵士たちのバイタルモニターを確認する施設で、軍事用機材の通信試験なんてやるわけ?」
「バイタルモニターの偽装は極めて困難なんだ。それと同じセキュリティを持たせようとするなら、一つの建物内でやっちまった方が早いだろう」
「ふぅん?」
言葉を交わしながら、階段を下り終えた俺たちは、曲がり角で一旦足を止めた。
「坂田はきっと、大勢の進入を想定してトラップを仕掛けてる。これを封じるには、敵に気づかれないように忍び込むしかない」
「奇襲、ってわけ?」
「ああ。装備に不安は残るが、仕方ない」
俺はちらりと上を見上げた。監視カメラは、止まっている。電波妨害は、敵からしても自身の首を絞めるようなものになっているようだ。
「ここよ」
視線を戻すと、霧崎がスライドドアの前に立ち、拳銃を構えていた。このぶんだと、ドアの開閉プログラムも起動していないだろう。
俺は下がっているように霧崎に指示してから、左腕を把手にかけた。その時だった。
「ん?」
左手の指先。カーチェイスで剥がれたはずの爪が、綺麗に生え揃っている。
俺は思わず見入りそうになったが、今突入に備えている霧崎の気持ちを逸らすべきではなかろう。
軽く左腕に力を込める。なんだ、この程度なのか。柔いドアだな。あるいは、俺の左腕がそれほどの怪力を秘めているのか。
俺は再度、霧崎と目を合わせた。どうやら俺の逡巡は、霧崎には伝わらなかったらしい。交互に頷いてみせる。
彼女の目が銃口と重なったタイミングで、俺は勢いよくドアを引き開けた。
すぐに壁に背を押しつけ、両手で拳銃を構え直す霧崎。それを援護すべく、俺は左手に拳銃を握り直して掲げる。
「なるほど」
俺は小声で呟いた。
このフロアに並んでいたのは、いずれも対人を超えた対物兵器だった。三十ミリガトリング砲、地対空短距離ミサイル、対戦車徹甲弾仕様のライフル。
それらの隙間から、人の気配を窺う。坂田は間違いなく近くにいる。だが、流石にトラップの真ん中に陣取っているわけではないだろう。
すると、ちょいちょいと肘を突かれた。無論霧崎に、である。彼女は俺が踏み込んださらに奥の方を指差し、眉を歪めた。
「戦場配備型多脚マシンだ」
四本足の動物のような金属体がずらりと並んでいる。骨格だけ見ると、頭部と尻尾のない犬に見えなくもない。
だが、生身の生き物と異なるのは、その身体の構成材質だけではない。
「物騒なもん背負ってやがるな」
二門の小口径機関銃を装備している。もしこのフロア内からであれば、無線操縦ができるだろう。もしかしたら、搭載されたAIに攻撃命令を出し、突入班の本隊を迎撃させることも。
「坂田の身柄を捜索して仕留めよう。さもなきゃ、死傷者がわんさか出るぞ」
その言葉に納得したのか、霧崎は頷いて拳銃を構え直した。
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