第6話

 確か、先ほどちらりと視界に入った限りでは、トラックの運転手は修也ではない。

 しかし、敵は俺と霧崎を正確に狙ってきた。修也と何の関係もない、ただの反政府組織の人間だとは思えない。


 俺は両手で拳銃を握りしめ、慎重にトラックと距離を詰めていく。撃鉄を上げ、二発目の発砲に備える。


 俺とトラックの間が五メートルほどに縮まった、その時だった。

 バゴン、と威勢のいい音がして、トラックの助手席側のドアが吹っ飛んだ。蹴り飛ばされたらしい。


「動くな!」


 俺は警告の言葉を発する。極力、無益な殺生は避けなければ。


「武器を捨てて出てこい! さもなければ、この場で貴様を射殺する!」

《瀬川軍曹、何をやっているの⁉》

「あんたもさっさと来い」


 小声でマイクに吹き込み、霧崎が来るまでの時間稼ぎをする。恐らく、修也以外の人物の身柄確保となれば、彼女の領分となるだろうから。


 横転したトラックの助手席から出てきたのは、小柄な男だった。見覚えはない。

 素人目に見れば貧相な人間に見えるだろう。だがそれは、全身に無駄な筋肉がついていないからそう見える、というだけの話だ。

 ちなみに運転席は、横転した拍子に車体の下側になっている。


「あなたは包囲されている! 武器があるなら、すぐに放棄しなさい!」


 ようやく追いついた霧崎が、やはり両手で拳銃を掲げる。

 敵は額を切ったのか、どくどくと頭部から出血していた。まあ、命に別状はないだろう。

 問題は、こいつの身柄の扱いにある。


「霧崎、どうするんだ?」

「どうするって?」

「俺たち二人の極秘任務中に確保した敵だ。署まで連行できるのか?」


 俺が危惧していたのは、


「これだけ派手にやった後だ。第八課や警視庁の内部でも、噂が広がって俺たちの任務内容がバレるかもしれない」


 ということだ。

 しかし、そんな俺たちの場違いな会話を無視して、トラックの運転手は両手を挙げた。


「投降する」


 と、一言告げる運転手。


「よし。そこから地面に飛び降りろ。それから両手を後頭部で組んで、後ろを向け」


 身柄確保の件は、こちらの安全を確保してからだ。


「私が抑える。瀬川軍曹、警戒を怠らないで」


 霧崎がずけずけと、手柄を自分のものにしようとしてくる。単純に正義感からかもしれないが。


 俺が斜め後方から運転手に狙いを定め、接近した霧崎が手錠を取り出した、その時だった。

 運転手は突然しゃがみ込んだ。


「霧崎!」


 叫んだが、時すでに遅し。振り返りざま、運転手は霧崎に思いっきりタックルを見舞った。突き飛ばされた彼女が邪魔で、俺は発砲できない。

 気づいた時には、野次馬と思われる女性に向かって運転手がダッシュしていた。


 俺は情け容赦なく発砲する。狙い通り、運転手の片足を撃ち抜いた。が、奴の動きは止まらない。


「痛覚遮断ドラックか!」


 俺がそう言った直後、甲高い悲鳴が上がった。巧みに女性の背後に回り込んだ運転手が、その女性の首に腕を回したのだ。


「あなたに武器はないわ! 早く彼女を解放しなさい!」


 タックルから立ち直った霧崎が叫ぶ。しかし、


「無駄だ、霧崎」

「どうしてよ?」

「あいつは殺しのプロだ。腕一本で人を殺せる」


 これは俺の直感にすぎなかったのだが、霧崎は思いの外すぐに納得した。


「そのようね。あれだけ敏捷な男なら」


 と、相手を褒めていても始まらない。俺は敵の意図を汲み取ろうと、その目をじっと見返した。そして、違和感を覚えた。


 この男の目の奥には、『犯罪』という概念がない。もっと広い、『正義』とでも言うべきものが、瞳に宿っている。


「瀬川軍曹、あんたも説得に協力してよ!」

「それも無駄だ。奴は正義感に突き動かされている。殉職でも殉教でも、できることは何でもする覚悟のようだ」

「でもあいつ、人質を!」


 そんな悲鳴に近い霧崎の声を聞きながら、俺は納得した。

 修也をそのシンパ共は、犯罪組織として自分たちの利益を上げようとしているのではない。


「やっぱり、何かを信仰しているんだ」


 それでも、俺たちには俺たちで為すべき『正義』がある。利害が一致しないのなら、排除しなければなるまい。


「許せ、修也」


 そう呟いて、俺は無造作に見えるであろう手つきで発砲した。

 弾丸は、寸分たがわず敵の眉間に吸い込まれ、大輪の真っ赤な花を咲かせた。

 周囲の野次馬が、わあっと蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていく。突然解放された反動で、人質の女性はパニックになりながらその場にへたり込んだ。


 それを見つめながら、俺は女性に近づいた。


「自分は国防軍の特殊部隊の人間です。あなたの身柄を保護します」


 女性は、糸の切れた操り人形のようにがくん、と脱力する。そして次の瞬間には、両腕を振り回して俺の接近を拒んだ。


「来ないで、来ないでよぉ! 私、何も悪いことしてないのぉ! 殺さないでぇ!」

「大丈夫、あなたはもう安全よ」


 敵の遺体から女性を引き剥がす霧崎。


「こういう場合は女性の方が落ち着くよな」


 霧崎は女性を宥めるために応答しなかったが、聞こえてはいるだろう。


「俺はこの男の身柄を調べる」


 鑑識でも何でもない俺が下手に触って、証拠を失わせてしまう可能性はあった。

しかし、俺と霧崎はすぐに移動しなければならない。


「せめて何か手がかりになりそうなものは……」


 ヒントは、すぐに見つかった。と同時に、俺を驚愕の底に叩き込んだ。


「こ、こいつ!」

「どうしたの、瀬川軍曹?」


 俺の声が異常だったのか、霧崎も寄ってくる。頭蓋を破砕された遺体に眉を顰めながらも、霧崎は俺と同じものを見、そして驚嘆した。


「この犯人、国防軍特殊作戦群第六課の車両担当官……?」


 そう。この男は、第六課の身分証明書を所持していたのだ。

 違う課の人間だとはいえ、味方であることには変わりないはずだが。


「目だ」

「は?」

「さっき対峙した時、この男の目には、確かに正義の光があった。何かを守るために、自身を犠牲にしたんだ」

「そ、それ、どういう……?」


 困惑する霧崎。しかし、今の俺たちの急務は別にある。


「計画通り、八王子に行くぞ。この人質になった女性の車を拝借しよう」

「え、あ、ああ……」


 中途半端な音を喉から押し出す霧崎。

 本部に救援や増援を求めても無駄なことは、彼女もよく知っているはずだ。繰り返すようだが、これは特異性極まる専従捜査なのだから。


「人質の女性に話を」

「え、ええ。私たちは警察です。都合により車をお借りします」


 すると、人質女性は霧崎よりも現実遊離したような表情で、コクコクと頷いた。


「霧崎、運転頼む」

「命令しないで! 分かってるわよ」


 こうして、俺は自分の左腕に一抹の不安を覚えつつ、霧崎と共に捜査を続行した。


         ※


 俺たちが人質女性から拝借したのは、真っ赤な軽自動車だった。無論、防弾処理などされてはいまい。常に動いていなければ、敵からすればいい的だ。


「ちょっと、あんたはどう思うの?」


 不安を強情さで振り払うように、霧崎が語気を強めてくる。一方、俺は割合落ち着いていた。


「相手は車両扱いのプロだった。だが、修也の仲間はそんなに多くはないはずだ」

「何が言いたいの?」

「これからカーチェイスは起きないだろう、ってことだ。あんな凄腕の運転手、国防軍にも五人とはいないだろうからな」

「あ、そ、そう」


 やはり心配の念は強かったのだろう。霧崎は安堵の色を隠しきれず、肩を大きく上下させた。


「それより、問題は修也に遭遇してからだな」

「そ、そうね。そうよ、どうするつもりよ?」

「何だ? また不安になったのか?」

「はあ? 誰が不安にだなんて……。警戒を怠らないようにしてるだけよ!」

「そうかい」


 俺は適当に応じたが、確かに俺にも懸念事項はあった。


「なあ、霧崎。敵の人数だけでも調べられないか? 俺たちが二人きりであることを悟られたら、一気に攻め込まれるかもしれない」

「とっくに調査してるわよ! もう少し待って。あと二百秒」


 霧崎は、どうやら警視庁ルートで何かを検索したらしい。今はデータのダウンロード完了を待っているようだ。

 

 俺が左手を閉じたり開いたりしていると、二百秒はすぐに過ぎ去った。


「ほら、これ見て。あんたから先に」


 霧崎は腕時計型の立体画像プロジェクターを起動させた。右手でハンドルを握りながら、左腕をこちらに差し出してくる。


「谷修也が、この三日間で携帯端末で遣り取りした相手のリスト。軍用通信は秘匿されてるけど、個人通信はまだ探る余地があると思ったのよ。何か気づくことはある?」

「そうだな……」


 俺はそのリストに見入った。

 主に通信していたのは、同じ国防軍特殊作戦群の兵士たち。その中で、特に通信頻度が高かったのは五人だ。画像をタップして、顔写真を展開する。


「さっきの男がいる。トラックの運転手だ。第六課所属の伍長、佐田信之」

「他には?」

「名前に聞き覚えがないが、皆何かのプロフェッショナルなんだろう。佐田は仕留めたから、残りは四人。いや、修也を含めて五人か」

「了解。どこかで武器を調達する必要があるわね」

「アテがあるのか?」


 俺が顔を向けると、霧崎は俺を一瞥しながら頷いた。


「その前に、もうじき八王子の廃工場に着くわ。バイタルモニターは動いてないようね」


 修也と対面か。ひどく久し振りのような気がする。


「不思議なもんだな……」


 俺はパチパチと両頬を叩き、自らに気合いを入れた。

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