第5話

「きゃあっ!」

「ぐっ!」


 右側から吹っ飛ばされてきた霧崎の身体を、俺は受け止めた。この突然の衝撃に、彼女の手がハンドルから離れる。


「おい、敵襲だぞ!」

「分かってるわよ!」


 すぐに運転席に座り直す霧崎。そのまま視線を飛ばすと、すぐ右の車線をトラックが走っていた。よく見かける運送業者のトラックだ。荷台が凹んでいることからして、このトラックが体当たりを仕掛けてきたのは明白だ。


 アクション映画でよく見かけるシチュエーションではあるが、俺はすぐにこれが異常であることを察した。もし俺たちを殺すつもりなら、まずは銃撃だろう。

 普通乗用車だと思われていたら、こんな荒っぽい攻撃方法は取らないはず。


「敵は車体を潰そうとしてる! この車が防弾だってバレてるぞ!」

「何ですって?」

「俺たちを仕留めるだけなら、銃撃で済むはずだ。この車をスクラップにする必要はない!」


 にも関わらず、こんな強引な仕留め方を試みているということは。


「俺たちの装備や行動が読まれてる!」

「そんな! あり得ないわ」

「何故そう言えるんだ?」

「これが私とあんたの専従捜査だからよ!」


 確かにそうだ。数十人に及ぶ大規模捜査だったとしたら、どこかで情報が漏れているかもしれないが。


 俺と霧崎の目的地は、俺たち二人しか知らない。修也が潜伏していると思われる、八王子市にある廃工場だ。先ほど判明したばかりである。


 何故、修也の居場所が分かるのか? 理由は単純だ。


「あんたたち第八課の人間って、皆バイタルモニターを体内に仕込まれてるのよね?」

「ああ! どこに仕込まれたかは、本人にも分からない!」


 バイタルモニターとは、その人物の心臓の鼓動を把握することで、生死を確認するためのものだ。同時に、その人物の居場所を第八課の本部に転送する役割も果たしている。

 

「俺たち以外に、今の修也のバイタルモニターを監視できる人間はいないはずだ!」

「じゃあ、どうして出発した私たちの取り得るルートがバレてるわけ?」

「知るか!」


 そう叫んだ直後、二度目の衝撃が俺たちを襲った。逃げ場がない以上、霧崎が運転していようがいまいが関係ない。

 俺は彼女の左肩を押さえて支えつつ、頭を回転させた。


「霧崎、ここは三車線道路だ! 何とかして、あのトラックの右側につけろ!」

「なっ、何する気よ?」

「いいから急げ! この車の助手席と、トラックの運転席を近づけるんだ」


 三度目の衝撃を受ける前に、俺は何とか喋り終えた。危うく舌を噛むところだった。

 俺の狙いは、左腕の強靭な腕力を活かすこと。敵をトラックの運転席から引っ張り出し、無理やりにでもトラックを停車させてやる。


「私たちの武器は拳銃だけよ! 無茶だわ!」

「俺の腕を信じろ!」

「義手でしょうに!」

「いいから! 俺の方が荒事には慣れてるんだ、言う通りにしろ!」


 しかし、敵もそのあたりは読んでいたらしい。四回目の衝突後、トラックは俺たちの車をガードレールに押し付け続けた。ジリジリと、車体が削られていく音がする。


「これじゃあ動けないわ!」

「何とかしろ! 威嚇でいいから、銃撃だ!」


 すると霧崎は、さっとホルスターから拳銃を抜き、右手だけで発砲し始めた。だが、安定しない。やはりエリートコースを歩んできたのだろう。


「訓練所じゃ両手撃ちしか習わなかったのか?」

「当然でしょう!」


 仕方ない。


「俺が運転する! お前は助手席で耐ショック姿勢だ!」


 そう言って俺が霧崎の腕を引くと、意外なことに――そしてもどかしいことに、彼女は動こうとしなかった。


「何やってる、霧崎? どいてろ!」

「嫌よ!」

「はあ⁉」


 何を言ってるんだ、この女? 俺は腕に力を込めたが、あろうことか、霧崎は振り払おうとした。そして、飛び散る火花に目を細めつつ、言った。


「このバディの指揮権は私にあるのよ! 耐ショック姿勢でうずくまってるだけなんて、冗談じゃないわ!」

「な……!」


 一旦トラックが離れ、中央車線のタンクローリーを回避する。その僅かな間に、霧崎はこれほどの御託を並べた。俺はあまりの彼女の傲慢さに、あんぐりと口を開けた。


「馬鹿野郎! 俺たちは命を張ってるんだぞ!」

「軍人は上官に絶対服従なんでしょう⁉」

「俺はあんたを上官だと認めたわけじゃない!」


 そう喚き立てながら、俺は霧崎の足元を蹴った。無理やり彼女の足先をどかし、ブレーキを踏み込む。


「ちょっと!」

「黙れ!」


 凄まじい勢いで失速する俺たちの車体。再び姿勢を崩した霧崎を押し退けるようにして、俺はハンドルを回した。タンクローリーの背後に、車をぴたりと着ける。


「イチかバチかだな。車体を真っ直ぐに走らせろ! 敵の後方につけ!」

「もう、勝手にしなさいよ!」


 再び運転を手動モードにした霧崎は、ガタついた車体を揺らしながらもっとも右の車線に乗り入れた。


「周りに一般車両が少なかったのは幸いだな」

「呑気なこと言ってないで! 策があるんでしょう?」

「天井、開けるぞ!」


 策と言えるほど、大したことではない。背後について、トラックのタイヤを撃つ。それだけだ。

 この策の問題点は、単純明快。


「前の車のタイヤを狙撃するなんて無茶よ!」


 そう。縦列隊形で走っていても、前の車のタイヤを撃ち抜くのは至難の業だ。しかし。


「俺を信じろとは言わない。だがこの左腕なら信用できるだろう?」

「ッ!」


 先ほど締め上げられたのを思い出したのか、霧崎は短い呻き声を上げた。だが、そんなことに頓着している暇はない。


「くそっ、車体が歪んで天井が開かねえ!」

「だから最初から無茶だって――」


 だが、俺は霧崎の言葉を無視。左手の指を助手席の天井に引っかけて、思いっきり力を込めた。すると、メリメリという異様な音を立てて、天井が歪み始めた。


「さっさと開けってんだよ!」


 そう言い終えた直後、天井のパーツが吹っ飛んだ。同時に、俺の左手の爪も。だが、痛みは感じない。痛覚が遮断されているとすれば異常事態だが、それでも今頼れるのはこの左腕だけだ。


「そのままの速度でトラックに接近しろ!」

「了解!」


 開き直ったのか、霧崎が復唱する。同時に、俺の身体がシートに押しつけられる。


「このまま突っ込む勢いでいけ!」


 そう言いながら、俺は自分のホルスターから自前の拳銃を抜く。それを見た霧崎は、はっと息を飲んだ。

 無理もない。今時オートマチックでなく、リボルバーを愛用している人間は絶滅危惧種だ。


「ああもう、何から何まで滅茶苦茶よ!」

「こいつでないと、防弾加工されたタイヤは撃ち抜けない!」


 それだけ言って、俺はシートの上に立ち上がった。こじ開けた天井から、上半身を出す。猛烈な冷風に頬を撫でられ、一瞬目を細めながらも、視界の中央ではトラックの後部を捕捉し続けた。


 一発でいい。精確な一撃を。

 そう念じながら、俺は両手で拳銃を構え、発砲した。


 ズドン、という轟音と共に、反動が手先から肘、肩へと流れていく。手応えは、ある。

 すると、前方を走っていたトラックはバランスを崩した。キュルッ、という鋭い音と共に、蛇行運転をし始める。


 反対側のタイヤも潰してやろうか。俺は再び狙いをつけようとする。その時、トラックは急な減速を開始した。


「マズい! 車線を変えろ! 俺たちを衝突事故に巻き込むつもりだ!」

「ええ、そうね!」


 アスファルトの焼ける異臭が鼻を突く。眼前では、トラックが車体を横に向けてこちらの進路妨害をしていた。悪あがきというわけか。


 タンクローリーは既に抜き去られ、遥か後方を走行中。これならすぐに車線変更できる。

 だが、視界に入っただけでも、三、四台の乗用車が確認された。ここでトラックを回避し、続けざまに乗用車を避け切ることは不可能に近い。


「だったら!」


 俺は両腕で自分の身体を引っ張り上げた。そのまま天井に着地し、立ち上がる。


「な、何をする気なの?」

「あんたはブレーキを踏み続けろ!」


 やれるのか、この左腕で? いや、やるしかない。

 俺はしゃがみ込み、左の掌を勢いよく屋根に押しつけた。車体が悲鳴を上げるが、お構いなしだ。左腕に全体重をかけ、筋肉を圧縮させていく。そして、跳んだ。


 左腕で押さえつけられていた車体は、一気に後方へと流れ去った。同時に、俺の身体は弾丸のようにトラックへと向かって行く。運転手が武器を取り出そうとしていたが、


「させるか!」


 俺は荷台に衝突、トラックを横転させた。確かに偽装トラックだったらしく、荷台には何も積まれていない。俺は勢いを殺しきれず、半ばまで荷台にめり込んでしまった。

 一旦耳を澄ましてみると、周囲の車が急停車するブレーキ音が聞こえてきた。これで、事故の危険はなくなったと言っていい。


 俺は内側から荷台の後部ハッチを蹴り開け、車外に出て運転席に向かった。再び拳銃を握りしめる。


《ちょ、あんた何てことすんのよ!》


 と、耳元のマイクロスピーカーから霧崎の叱責が飛んできたが、無視。俺は、運転席に籠っているであろう妨害者を捕縛するべく、黒煙を上げるトラックの前方に回り込んだ。

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