第14話
霧崎は、俺に向かって回し蹴りを見舞った。右足を軸に、左足で相手を横薙ぎする典型的な回し蹴りだ。
鍛えてはいるようだが、実戦レベルには及ばない。今のご時世、普通の兵士や刑事が格闘戦を行う機会など、そうそうないのだが。
などと考えていた俺は、唐突に現実に引き戻された。いつの間にか、霧崎の左足が眼前に迫っていたのだ。
「なっ!」
霧崎の左足が伸縮した? いや、そうではあるまい。何かぎらりと光るものが、俺の目線を通過する。それを、俺の反射神経は見事に捉え、上半身を仰け反らせた。さらにバックステップを行い、距離を取る。
そして、俺ははっきりと見た。霧崎の左足、太腿から膝頭までの部分が、刃になっているということを。
「お、お前、その足……!」
「これで坂田を斬殺したのよ。文句ある?」
「その左足、義足なのか?」
「ええ。原始的ではあるけれど、武器を内蔵した義足を装備した治安維持組織の構成員は、私が最初の世代ね」
血と油を浴び、非常灯に照らされた霧崎の足は、ぬらり、と不気味に輝く。
「じゃ、じゃあ俺は?」
「恐らく第二世代でしょう。その左腕、骨格以外は生体細胞でできてる。きっとあんたが、一般の警官や兵士より強いということを隠すために、培養された筋肉と皮膚で覆われているんでしょう」
そう言えば。
俺は当初、義手は以前の左腕と遜色なく機能するだけのものだと思っていた。自分自身でさえ気づいていなかったのだ。左腕に驚異的な力があることを。
「つ、つまりあれか? どうせ手足を失ったんなら、より便利な武器を仕込んだ義手や義足をつけてやろう、ってのが軍や警察の魂胆だってことか?」
「そういうことね」
俺は、思わず俯いた。自然と左腕を眼前にかざしている。
「俺はもう、ただの人間には戻れないのか」
「ええ。もちろん私も」
何度となく、脳内再生されてきた文言が頭をよぎる。
この左腕は、修也を抹殺するために装備されたのだ、という事実が。
「でも、それにしてはあんた、落ち着いてるな」
「え?」
「その左足、大腿部から欠損して、刃を仕込まれたんだろう? 勝手に身体をいじくられて、悔しくないのか?」
「全然」
霧崎は腰に手を当て、軽くかぶりを振った。
「あんたの問いに答えるには、ここは騒がしいわね」
そう言って霧崎が目を上げると同時。
「全員そこを動くな! 武器を有する者は、床に置いて壁際まで離れろ!」
自動小銃を手にした兵士がやって来た。情報通り、先遣隊の四人。
俺は慌てて坂田の遺体の前に立ち塞がり、その損傷具合を隠した。もし坂田の遺体を検分されたら、霧崎の足のことがバレるかもしれない。
すると、既に刃を格納したらしい霧崎が、ずいっと前に出た。
「警視庁警部補、霧崎羽澄。こちらは国防軍軍曹の瀬川篤。極秘任務を遂行中につき、この場からの離脱を要請します」
「君ら二人が、谷曹長によるバイタルモニター装置の破壊を阻止したのか」
「ええ」
短く答える霧崎。俺はその横でうんうんと頷いてみせる。
「了解。あとは本隊付の鑑識にこの区画を調査してもらう。急ぐのであれば、我々に君らを引き留める権限はない」
「結構。行くわよ、軍曹」
俺は右腕を霧崎の左腕に絡まれながら、この場を後にした。
※
二時間後。
既に日は完全に没し、俺たちは霧崎のいうセーフハウスに向かっていた。
運転中の霧崎と、相変わらず左腕の具合を確かめる俺。
「だんだん馴染んできてるような気がするな」
「義手や義足なんてそんなものよ。今の技術力をもってすればね」
「まあ、そうなんだろうけど」
すると唐突に、霧崎が一言。
「着いたわ」
「着いたって……え?」
先ほどから違和感は感じていた。俺たちは坂田を倒してから、より山の深くに、ではなく市街地へと戻るようなコースで車を走らせていたのだ。
霧崎もまた、義手や義足に関して一家言ある人間なのだと分かってから、俺は周囲のことにあまり注意を払っていなかった。彼女の言った意味を、自分の左腕に置き換えて考えていたのだ。
しかし、いざそのセーフハウスとやらに到着してみると、そこがあまりにも都会的な場所にあるのでびっくりした。
「この高級マンションが、セーフハウスなのか?」
「そうよ。葉を隠すには森、ってね。人口密度の高い場所の方が、敵にこちらの位置を察知されにくいわ」
霧崎はパスワードを入力し、エントランスホールに入る。そのままエレベーターを呼び出して、乗り込んでからはあっという間に中腹の階層、十階に到達した。
過度な装飾は施されておらず、しかし衛生的で機能的。なるほど、隠れやすいし逃げやすい。考えてみれば理に適った場所だ。
霧崎に先導され、俺は霧崎のセーフハウスに足を踏み入れた。
何ということはない、2LDKの造りだった。
「篤、先にシャワー浴びたら?」
「霧崎、お前こそ先に左足の刃を洗った方がいいんじゃないか?」
「あっそう。じゃあ、お言葉に甘えようかしら」
俺はソファの上にどっかりと座り込み、霧崎が風呂から出るのを待った。
坂田の遺体の状況からして、霧崎は膝蹴りを叩き込む要領で彼を真っ二つにしたのだ。刃を洗浄するのに、しばらく時間がかかるだろう。
俺は、ソファの前のテーブルに置かれたグラスを手に取り、リビングを歩き回りながらちびちびと口をつけた。ちなみに烏龍茶だ。
ソファとテーブルの間を通り、薄型立体映像テレビの前を通過。時計回りに歩き続ける。
「まさかあいつも義手義足の実験台だったなんて……」
「あいつって、誰のこと?」
「うわっ!」
俺は思わずのけ反った。ちょうどシャワールームに繋がる廊下の向こうから、霧崎が出てくるところだった。烏龍茶を飲み切って、グラスが空だったのは幸いである。
「シャワー、空いたわ。あんたもさっさと入りなさい。火薬臭いわよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
高級マンションだけあって、シャワールームの使い心地も快適だった。このまま真っ白い清潔なベッドに倒れ込むことができたら、どれほどいいことか。
少なくとも、兵士用の相部屋よりは遥かにストレスは軽減されるはずだ。
そう思いながら、宛がわれたパジャマに四肢を通し、俺はリビングに戻った。
長めのソファには、霧崎が座している。だが、彼女の背中はやたらと縮こまって見えた。気のせいか? いや、そうではあるまい。何かが原因で、落胆しているのだ。
「どうしたんだ、霧崎?」
「きゃっ!」
今度は霧崎が驚く番だった。
「ああ、びっくりした」
「あんたのびっくり度合いには、俺も驚かされたよ」
そう言ってみると、俺は自然と自分の頬が緩むのが分かった。しかし、霧崎の顔色は優れない。
「どうしたんだ、しょげかえって。あんたらしくもな――」
「ごめんなさい」
俺の言葉を遮って、霧崎は立ち上がって頭を下げた。
「お、おいおいどうしたんだよ?」
俺はまた慌てたが、霧崎は一向に顔を上げようとはしない。
霧崎は身体をくの字に折ったまま、語り出した。
「私、言ったわよね。『自分だけが実験台だと思うな』って。言い過ぎたわ。私は自分のことをさておいて、あんたが『自分が義手になった』ことを適当な事実として受け流そうしていることに腹を立てた。そして責め立てたの。感情の行き場がなかったのよ」
「ま、まあ、それはあるかもな」
俺は突然殊勝になった霧崎の態度に翻弄され、応対に困った。
「だから謝るわ」
霧崎はようやく顔を上げ、じっと俺の目を見つめた。思わず、ドキリと鼓動が高鳴る。
考えてみれば、ここはセーフハウスとはいえ、霧崎羽澄という女性が一人暮らしをしている部屋だ。
俺のような異性が踏み込むにあたって、もっと覚悟をしておくべきだった。
俺は話題の変更も兼ねて、霧崎に対する興味関心をぶつけてみることにした。
「な、なあ霧崎、あんたの過去話、聞かせてもらってもいいか?」
「へ?」
いや、流石に切り返しが急すぎたか。しかし、
「いいわよ。あんたは私の相棒なんだから」
と言って、霧崎は快諾した。
「で、どこから話せばいいのかしら?」
「あー、えっと、あんたの出身は?」
「ここ。日本の東京都。お母さんがイギリス人だったから目は青いんだけど、お父さんが日本人だから髪は黒」
「そう、なのか」
ううむ、話題が続かない。どうしたらいいんだ? 『女性の部屋に上がり込んだ』という事実認識が、否応なしに俺の焦燥感を掻き立てる。
だが、特大のトピックは、俺からではなく霧崎の口からもたらされた。
「私の両親、テロで亡くなったの」
「ッ!」
突然話題が重くなり、俺は口をぱくぱくさせた。いきなりそんな話をするのか、霧崎羽澄。
「私の左足も、その時失われたわ。でも、何とか私だけ、一命は取り留めた。何故か分かる?」
「ああ、いや」
俺は身を引きながら首を左右に振る。すると、霧崎はふっと口元を緩めてから、こう言った。
「庇ってくれたからよ、あなたのお父さんが」
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