Abyss of Springtime -青春の地獄譚-

岩井喬

第1話【プロローグ】

【プロローグ】


 顔を上げると、そこはまさに戦場だった。

 あちこちに上がる火の手。大きくえぐられた地面。崩落寸前のビル。まさか日本で、しかも国内テロリストがこれほどの戦力を有していたとは。


 それに対し、こちらは要人救出任務のための装備しか有していない。鍔のないヘルメットに暗視ゴーグル、防弾ベストに自動小銃と手榴弾をいくつか。

 俺たちはレスキュー部隊だったはずだ。兵士ではない、という意味で。


 夜空に舞う火の粉の下では、打ち倒された仲間やテロリストの遺体が転がっている。いや、それが『遺体』として認識されるのはまだいい方だ。バラバラ死体になってしまっていては、どれが誰かも分からない。


 幸いなのは、ここが廃棄された洋上プラットホームであり、民間人がいなかったということだ。


「おい、伏せてろ篤!」


 そう声をかけてきたのは、俺と同じビルの陰に潜んでいた谷修也だった。巨漢の彼は、俺の後ろ襟を引っ掴み、軽々と俺をビル陰に引っ張り込んだ。


「なっ、何すんだよ修也! ここからじゃ敵が見えない!」

「だから焦るなって、瀬川篤軍曹。生憎、お前のような優秀な兵士を、易々と危険に晒すわけにはいかなくてな。上官の言葉は聞いておくもんだ」


 俺はぐっと唾を飲んだ。幼馴染である修也だが、階級は俺より一つ上の曹長。逆らうことはできない。


 すると、ビル陰の反対側から、もう一つの人影が転がり込んできた。修也とは対照的に、随分と細身だ。


「全く酷い状態だな、これじゃあまるで戦場だ」

「そう愚痴るな、森田順平軍曹! 報告書を書くのは上官である俺なんだ、今は任務に集中しろ」


 順平は『了解』と応じながら、ヘルメットの位置を正した。

 彼もまた、俺や修也との幼馴染だ。こんな物騒な仕事まで一緒にこなしているところを見ると、どうやら腐れ縁という言葉がぴったりくるようである。


 すると、修也が左耳に手を当て、襟元のマイクに『どうした?』と吹き込んだ。無線の向こうの混乱した様子は、俺の耳にもしっかり入ってくる。


《こちら第二小隊、敵に包囲されました! 至急応援を要請します!》

「了解、第三、第五班をそちらに向かわせる。援護ヘリが到着するまでの辛抱だ、なんとか持ちこたえろ」

《了解!》


 今日の俺たちの任務。それは、テロリストに拉致された政府高官の救出だ。しかし、その高官とやらは、俺たちを引っ張り出すための餌に過ぎなかったらしい。

 テロリストはあっさりとその高官を射殺し、俺たちがこのプラットホームに散開するのを待って、猛攻に出た。


 重機関銃、対戦車バズーカ、それに点々と仕掛けられた地雷。これだけ準備していれば、今回の作戦に投入された俺たちを返り討ちにするには十分だ。つまり、俺たちは敵の掌中で踊らされることになってしまった、と言えるだろう。


「で、どうするんだ、谷曹長?」


 順平が自動小銃の弾倉を取り替えながら問う。


「今、作戦司令部に空対地ヘリの出動を要請した。俺たちはできるだけ、敵を一ヶ所に追い込む必要がある」

「それは無茶だ、曹長」


 すぐに修也の言葉を否定する順平。


「俺もそう思うな、修也……じゃなくて曹長。これだけ俺たちの部隊が展開しながら、敵は各個迎撃に出ているみたいだ。こんなところで機銃掃射をされたら、俺たちだってバラバラだ」


 俺も順平に追随する。同士討ちは何とか防がなければ。


「蛍光発煙筒の使用を許可する。敵に向かって放り投げて、自分たちはすぐに頑丈な建物や地下に避難するんだ」


 なるほど。それがいい。


「ヘリの到着までは?」


 抜け目のない順平の問いかけに、修也は『残り三百秒』と応じる。あと五分、この防衛線を守ればいいわけか。


 しかし、一概に『防衛線を守る』といっても、そこには困難がつきまとう。簡単に言えば、こちらも応戦しない限り、敵はどんどん攻め込んできて、防衛線の意味がなくなってしまうということだ。


「俺が前衛に出る」


 と、俺は修也と順平に告げた。既に片膝を立て、いつでも飛び出せるようにしている。


「分かった。順平、お前は篤を援護しろ。俺もすぐに出る。閃光手榴弾を使うから、ゴーグルは外しておけ。敵の銃撃に対する遮蔽物は、各自で見つけてくれ」


 俺と順平は、揃って復唱した。


「では、スリーカウントで飛び出すぞ。三、二、一!」


 俺は自動小銃をフルオートに設定。ビルの陰から顔と銃口だけを出して、弾丸をばら撒いた。足元では、落下した薬莢がチリチリと高い音を立てている。

 テロリストたちは、既に二十メートル前方まで接近してきていた。お陰で狙いやすいといえばそうなのだが。俺の乱射は、敵一名を殺害、二名に手傷を負わせる結果となった。閃光手榴弾で目潰しをかけたのが功を奏した形だ。


 俺の後ろから、身を屈めつつ修也と順平が飛び出す。真っ赤な炎が燃え盛る中、二人の姿は逆光で真っ黒に見えた。

 修也は道路上に放棄された自動車を、順平はその先の自動販売機を遮蔽物とした。俺は同じビル陰から、しかし今度は三発ずつ短く掃射することで、敵を仕留めていく。


 その時だった。


「ん?」


 逆光が一際強くなった。目を凝らすと、トラックが一台、道路上の廃車を突き飛ばしながら猛進してくるところだった。きっと、荷台には爆薬を積んでいるのだろう。あれを止めなければ、修也と順平の身が危ない。


 俺は咄嗟に飛び出した。対人殺傷用手榴弾を腰元から取り、低い軌道で放り投げる。すると、手榴弾は見事にトラックの下に潜り込んだ。


「伏せろ!」


 喉が掻き切れんばかりの勢いで、二人に注意を促す。直後、ドン、という鈍い音と共にトラックの運転席が持ち上がり、衝撃で荷台が爆発した。やはり、爆薬を満載しての特攻だったか。夜空がより明るく橙色に染まる。


 ちょうどその時、俺のヘルメットに内蔵されたスピーカーに通信が入った。


《こちらホーク・ワン、現場上空に到達。機銃掃射を開始する。地上の戦闘員は、直ちに屋内または地下に避難せよ》

「よし!」


 俺は小声で呟いて、またビルの陰に引っ込もうとした。

 その時だった。残ったテロリストの一人が、携行用地対空ミサイルを掲げるのが目に入った。戦闘ヘリを落とすために開発されたバズーカ砲だ。


 俺は、口より先に身体が動いた。あんなところでホバリングしていては、間違いなく撃墜される。何とかして、あのテロリストを止めなければ。

 俺が自動小銃を構えて飛び出した、次の瞬間だった。


「え?」


 俺の眼前で、血飛沫が舞った。もちろん、俺の血ではない。が、味方であることは間違いない。俺がその場で腹這いになり、顔を上げると、テロリストには仲間がいた。味方がバズーカ砲を撃つ間、彼を護衛するのが目的なのだろう。まさか、こちらがヘリを出動させることまで計算に入っていたとは。


 俺は倒れた仲間のことまで頭が回らず、護衛役のテロリストに銃撃した。顔面にぱっと

 赤い華が咲く。しかし、それは誤りだった。先にバズーカ砲を構えている敵を撃たなければ、本末転倒ではないか。


 今更ながら、俺は自分が常に独断専行で動いてしまうことを呪った。ヘリに警告するのが、何が何でも最初だろうに。


「ホーク・ワン、地上からバズーカ砲で狙われてるぞ! 高度を上げろ!」


 そう言い切るのと、バズーカ砲が発射されるのは同時だった。そして、まさに俺の頭上で、ヘリは爆発四散した。

 ぐるぐると回転しながら、落ちてくる戦闘ヘリ。俺は腹這いの姿勢のまま、これを回避しようと試みた。


 結果的には、間に合わなかった。俺の左腕が、ヘリのコクピット部分に擦り潰されたのだ。あまりの激痛に、悲鳴も上げられない。


 早く止血しなければ。いや、そんなことをしている余裕はない。だんだんと遠のいていく意識の中、修也の顔が真横から視界に入ってきた。どうやら俺が無事かどうかを確かめているらしい。だが、それよりも俺には救出してほしい人物がいた。


 順平だ。俺のせいで彼は被弾した。俺が不用意に、ヘリを守ろうとしたから。助けるなら、どうか彼を先に。


 この思いのうち、どれほどを言葉にできたかは分からない。だが、修也は順平の元へと駆け寄り、俺には別な衛生兵がついた。耳を澄ましてみると、確かに複数のヘリがこのプラットホーム上を飛行している。衛生兵を運んできたヘリもあったことだろう。


 俺が右側に顔を向けると、修也が何やら、順平に向かって大きく頷いてみせていた。最期を看取るつもりなのか。と、いうことは、俺は助かるのか?


 俺は自分が担架に、そして担架ごと医療ヘリに収容されるのを感じた。

作戦はどうなるのだろうか。順平は助かるのだろうか。修也は何をあんなに熱心に、順平の言葉を聞いていたのだろう。

 などなど、気がかりなことはたくさんあったが、俺の意識はそこでブラックアウトした。

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