第20話

 会敵の機会は、すぐにやってきた。一階と二階の間に位置する踊り場。そこで、敵の後ろ姿を捉えた。

 

 俺は我ながら、自分の判断が正しかったと感謝する。

 この距離ならば、すぐ後ろをついてきている羽澄も、敵の存在を把握しているはず。俺はするり、と敵を追い越した。羽澄の蹴りに伴う斬撃に巻き込まれないようにしなければ。


 俺は自動小銃を構え、先を行く二人目の敵に照準を合わせようと試みる。

 近い方の敵を羽澄が、遠い方の敵を俺が倒せば、残るは湯田と、もしいるとすれば湯田の護衛係だろう。

 敵も大部隊を展開できるわけではないから、一気に攻め込むことができる。


 短く銃撃し、俺は敵の背中に穴を空けた。ぱっと血飛沫が飛び散る。同時に、横合いからの殺気に合わせて俺がしゃがみ込むと、ちょうどもう一人の敵の上半身がバッサリと斬り飛ばされるところだった。


 よし、次に行くぞ。腕を回し、羽澄に前進を指示しようとした、その時だった。

 上半身だけになった敵の手元に、何かが握られている。これは、手榴弾だ。

 

 俺は咄嗟に右手で羽澄を引っ張り上げ、自分の左腕をかざした。しかしこの近距離だ。左腕だけで爆風を防ぎきることはできまい。ここまでか。

 

 しかし、ピンが抜かれると思われた直前、ゴォン、と特大の鐘を突いたかのような轟音とともに、敵の上半身は粉砕された。


「ひっ!」


 小さく叫び声を上げる羽澄と、彼女の眼前に腕をかざす俺。びちゃり、という異音を立てて、俺は全身が血やら臓物やらで塗れてしまった。


 一体何が起こったんだ?


「篤、あんた、大丈夫? 手榴弾が爆発して……」

「いや、違う」


 俺の目が確かなら、手榴弾のピンは抜かれていない。


「こいつの上半身が消し飛んだのは、多分、銃撃されたからだろう。それも、ロングレンジの対物狙撃銃で」


 赤紫色の肉塊と化した、件の敵の上半身。弾き飛ばされた腕の先には、確かに手榴弾が安全ピン付きで握られたままだった。

 それに対し、踊り場に面したガラスは見事に破砕されている。その先、向かいの集合住宅と思われる窓の一角から、すっと長い銃身の引っ込むのが、俺には見えた。銃口からは、硝煙が上がっている。


「そ、狙撃されたっていうの? 早く伏せなきゃ!」

「いや、それには及ばないらしい。ところで羽澄、姫島亜弥の居場所は?」

「ええっと、向かいのマンション、二階よ」

「ふむ」


 俺は、砕け散ったガラス窓の向こうに目を遣ったまま、呟いた。


「もしかしたら歓迎されるかもな。あるいは完全拒絶か」

「えっ?」

「取り敢えず、今は湯田の身柄確保が最優先だ。すぐに二階の非常階段に――」


 銃口が響いたのは、まさにその直後だった。だが、殺気は感じられない。強いて言えば、殺気の停滞のような感触は得られたのだが。


「まさか」


 俺は自動小銃の弾倉を確認し、ゆっくりと階段を上り切った。T字路のうち、右側を見る。そこには、一人の兵士が倒れていた。見紛うことはない、湯田健斗伍長だった。


「自決、したってこと?」


 恐る恐る尋ねてきた羽澄に、俺は『そのようだな』と一言。


「噂だが、湯田って男は自分の腕に大層な自信を持っていたらしい。さっき俺がマンホールの蓋をぶん投げたから、それが腕に当たって、もう狙撃手が務まらなくなったと思ったんだろう。馬鹿な奴だ」


 俺はトラップの有無を確かめながらゆっくりと近づき、湯田の身体のそばに膝を着いた。

 脈はない。自ら拳銃を咥え、そのまま発砲したようだ。見事なまでの、完璧な自決だ。

 

 しかし、俺の気を惹いたものがある。湯田が握っていた紙片だ。これもまた、修也からのメッセージなのかもしれない。俺はそれを、湯田の指を引き剥がすようにして抜き取り、胸ポケットに仕舞った。


 ちょうどその時、サイレンが四方八方から聞こえてきた。パトカーや救急車のみならず、ドローンも投入されているらしい。


「ったく、うるせえな。現場検証は所轄に任せて構わないだろ。行くぞ」

「行くって、どこへ?」


 俺はため息をつき、振り返ってこう言った。


「姫島亜弥の元にだよ」


         ※


 警察の包囲網は、意外なほどあっさりと突破することができた。先に俺たちが現場を包囲していたことと、俺と羽澄の身分証に記された『特捜』の二文字ががものを言わせたようだ。


 俺たちは、一旦その場を離れた。姫島の元に直行しては、彼女が捜査対象者となってしまい、手続きがややこしくなる恐れがあったのだ。俺と羽澄は、上手く野次馬に紛れ、警官たちの視線を避けつつ、少しずつ現場をあとにした。

 コートは、避難する民間人が脱ぎ捨てたものを拝借。簡単な変装だが、何もしないよりはいい。


 ぐるりと一ブロックを周回し、姫島の部屋の前に立ったのは、湯田が自決したのを確認してから三十分ほど経った頃だ。


「ここでいいのか、羽澄?」

「ええ。でも、今いるのかしら? 自分の立場もあるし、あんな事件が家の前で起きたら逃げ出すんじゃ――」


 俺は羽澄の言葉を聞き終える間もなく、インターフォンを押し込んだ。

 ザザッ、と掠れた雑音が入ったが、応答する声はない。室内とは繋がってはいるはずだが。


「姫島亜弥さん、いらっしゃいますか?」


 慇懃な口調で、俺は壁と一体化したマイクに声を吹き込む。


「宅配便です」

「ちょっと、そんな簡単な嘘で出てくるはずないでしょう?」


 羽澄が突っかかってくるが、俺は無視。どうすればいいのか、頭を回転させる。仕方ない。


「お求めの品です。狙撃用十ミリ爆裂徹甲弾、三パッケージ」


 そう言い終えるよりも早く、ドアの向こうでバタバタと音がした。近づいてくる。

 あまりの速さに戸惑っていると、勢いよくドアがスライドし、何か柔らかいものに顔面を押しつけられた。


「むぐっ!」

「ぶふっ!」


 視界が暗転し、屋内に引きずり込まれる。俺に分かるのは、羽澄も同じ目に遭っているということと、すぐさまドアが閉じられたということくらいだ。

 半ば呼吸困難に陥っていると、俺と羽澄は思いっきり放り投げられた。盛大に尻餅をつく。

 すぐに周囲を見渡すが、暗くて何がどこにあるのかよく分からない。


「羽澄、無事か?」

「いったぁ……」


 どうやら羽澄は無事らしい。

 それを確認した直後、カチリッ、という聞き慣れた音がした。拳銃のセーフティが解除される音だ。


「何者だっ」


 イマイチ覇気に欠ける、女性の声が響く。


「あたしの正体を知ってるんだねっ。何者だっ」

「ま、待て! 撃つな撃つな!」


 俺は左腕を眼前にかざしながら、右腕を挙げて振り回した。


「大丈夫だ、怪しいもんじゃない!」

「何を言うかっ。勝手に人の胸に顔を埋めておいてっ」

「胸?」


 俺が心臓やら肺やらのことを連想していると、眼前で立ち塞がっているらしい人物はこう言い放った。


「お、おっぱいだっ」

「おっぱ……え?」

「何度も言わせるなっ。突然飛び込んできて、人のおっぱいに顔を押し付けるとは何事だっ」


 俺は開いた口が塞がらなかった。俺がいつの間に、そんな変態に成り下がったと?


「それはあんたが俺たちを突然引っ張り込んだんだろうが! 不可抗力だろ!」

「あたしの正体を知って脅しに来たんじゃないのかっ」


 事ここに至って、俺は自分の読みが当たっていたことを確信した。


「あんた……。武器の密売に手を染めてたんだな、やっぱり」

「ちょっと、どういうことなのよ? あ、言っとくけど私も不可抗力だからね! その、頭から他人のお、おっぱいに突っ込むなんて!」

「ちょっと黙ってろ! 言いづらい言葉を連呼するな!」


 暗闇の中で俺は立ち上がり、両腕を広げて場を鎮めようと試みた。

 足元でくしゃり、と音がする。雑誌でも踏みつけたか。


「まずは電気を点けてくれ、姫島さん。あんたの顔を確認しないと、本人かどうか判別できない」

「なんだとっ? スリーサイズは当てにならないのかっ?」

「なるか!」

「むう。仕方ない」


 ぱっと部屋が明るくなった。しかし、照明として点けられたのは、天井のLED蛍光灯ではなくテレビである。それだけでも、この狭い部屋を照らし出すには十分だった。


 だが、周囲の光景よりも先に目に入ってしまったのは、姫島の起伏に富んだボディラインである。今更言うまでもないが、とにかくたわわな胸部をお持ちだ。身長は俺よりも少し高いくらい。

 起床直後のように、半開きの瞳。髪は短く、しかしひどい寝癖が立っている。本当に、俺がインターホンを鳴らすまで寝ていたのかもしれない。手足は長く、すらりとしているが故に、やはり胸が強調されて見えてしまう。


「ちょっと!」

「え、あ?」


 俺は横合いから、思いっきり羽澄に小突かれた。


「胸にばっかり見とれてないで、何か言いなさいよ!」

「わ、悪い」


 思わず視線を下げながら、俺は羽澄に解説した。


「羽澄、よく聞け。この女、姫島亜弥は、二年前に銃器密売の罪で警視庁を懲戒免職になったんだ」


 視線を急に振り向けた羽澄に、俺は解説を始めた。

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