第21話

「二年前、春先のことだ。警視庁の火器装備部門で、大量の武器が消え去った。盗難に遭ったんだ。犯人はほとんど捕まったらしいが、まだ逃亡中の犯人もいる。いや、逃亡中の奴らは、消えた武器の売り付け先とコンタクトを取ったり、犯人たちの逃亡に手を貸したりした輩だな」

「そ、それがこの人?」

「ああ」


 俺は姫島の顔を真正面から見つめた。寝ぼけ眼はそのままだったが、意識が明瞭になったことは察せられる。


「プロファイリングがAI全盛の現在、AI以上に精密な鑑定のできる人間はそうそういない。だから、どうしてこの女が警視庁から追い出されたのか、気になってたんだ」

「むむむ」


 わざとらしく唇を噛みしめる姫島。


「じゃあ、どうしてこの人は捕まってないの? 懲戒免職にさせられた、ってことは、その武器盗難事件に関わっていたことが判明していたんでしょう?」

「司法取引、だよな。姫島さん」


 僅かな沈黙。俺はそれを、姫島が俺の読みを肯定したものと判断した。


「羽澄、あんたは世界中を飛び回ってたから、日本の警察機構の現状に疎いんじゃないか? だから俺が先に気づいた」

「それは……」


 流石に、こんな吹けば飛ぶような話が耳に入ることはなかったか。

 国防軍も警察も、テロリストの取り締まり、検挙、そして戦闘によって、状況が目まぐるしく変わっている。

 当時日本にいなかった人間が、この事件を知らないのも無理はない。


「彼の言ってることは本当なの、姫島さん?」


 か細い声で羽澄が尋ねると、姫島は『むむむぅ~』と唸り声を上げてしゃがみ込み、頭を抱えてしまった。


「でも、よく彼女がその手の人間だって断定できたわね」

「ああ。さっき俺たちに援護の狙撃をしてくれたのは彼女だからな」

「え?」


 俺はやれやれとかぶりを振りながら、親指を立てて窓を指した。羽澄は外を覗いて、納得したように吐息を一つ。俺は説明を続ける。


「ここから見えるだろ? 俺たちが突入したビルの階段の踊り場が」

「ちょっと待って」


 くるりと振り返る羽澄。


「私たちの戦闘に介入したら、この人、また警察に目を付けられるんじゃないの?」

「そっ、それはないよ」


 うずくまっていた姫島が顔を上げ、僅かに潤んだ瞳で俺たちに声をかけてきた。


「あたしの釈放条件の一つに、街の治安維持任務があったの。この対物狙撃銃も、そのために与えられたものなの」


 聞けば、最初の湯田による狙撃があった時点で、姫島は俺と羽澄のことを、市民の味方だと判断したらしい。


「それは有難いが、どうして俺と彼女が政府側の人間だと分かったんだ?」

「歩き方がぎこちなかったんだもの。いかにも警戒してます、って感じで」

「げっ、マジか」


 あんなに気を配っていたつもりだったのに。断言されて、俺の方が凹みそうになる。

 だが、相手は超一流のプロファイラーだ。見破られていても不思議ではないのかもしれない。


「それで、国防軍と警視庁のお若いのが二人で、何のためにあたしに会いに来たの?」


 どうやら俺たちの素性を改めて明かす必要はないようだ。俺と羽澄はそれぞれ名前だけを述べ、修也のこと、そして修也が持ち逃げしたという機密データの正体について、鑑定を頼みたいと述べた。


「何か遺留物は?」

「この手紙だ。三通ある。二通はもう目を通してあるから、こっちから先にプロファイリングを頼みたいんだ」

「ふむぅ」


 姫島は顎に手を遣った。


「りょーかい。やってみるね」

「助かる、姫島さん。羽澄、俺たちは湯田が手にしていた三通目を読んでみるか」


 こくりと頷いた羽澄と共に、俺はテレビの灯りの下で、手紙を開いた。


         ※


 瀬川篤軍曹へ。


 この手紙を読んでいるということは、湯田はもうこの世にはいまい。彼はプライドが高いから、もう自決してしまったかもしれない。仲間を失うことに、『慣れ』というものは存在しない。残念だ。


 現状を悲嘆しても仕方がない。今回俺が伝えたいのは、これ以上、我々が市街地で貴官らに攻撃を加える意志はない、ということだ。信じるか信じないかは、篤に一任する。バディの女性刑事にも、それで納得していただきたい。名前を存じ上げないのは、礼を失する行為だが、今回は許してもらう他ない。


 さて、タイムリミットまであと一日といったところか。知っての通り、バイタルモニターの復旧までの話だ。

 こちらにも諸般の事情があり、もしかしたらお前たちに追いつかれるかもしれない。復旧したバイタルモニターがまともに機能してくれるかどうかは分からないが。


 だが、残念ながらお前たち二人に勝ち目はない。俺たちが掲げた『正義』は、力ない弱者の切なる『祈り』だからだ。これを無下にすることは誰にも許さないし、ましてや篤、お前が反論することはできないだろう。


 お前は必ずや、俺たちの『正義』の前に屈することになる。その背後にいるのが、あまりにもか弱い存在であるが故に。


 繰り返しになるが、賢明な判断を期待する。


 以上。


         ※


「やっぱり泣き落としじゃない!」


 憤慨した様子で、羽澄が言った。


「篤、あんたが自分の親友であることにつけ込んで、戦意を減退させようとしてるのよ!」

「そう、だな」


 俺はぼんやりと呟いた。口では羽澄に同調しつつも、修也がそんな生温い手を使ってくるとは思えない。きっと、本当に切実な『願い』があるのだ。それを、自らを奮い立たせるために『正義』と言い換えているのだろう。


「ちょっと、篤」

「ああ、悪い」


 俺は自分の左腕が、微かに震えているのが分かった。手汗が染み出しかけている。

 プロファイリングにかける以上、これは重要な証拠品となり得る。汚すわけにはいかない。


「姫島さん、これ、三通目です」


 俺は玄関から反対側の、奥の部屋へと呼びかけた。


「分かったー。そのへんに置いといてー」

「そ、そのへんって……」


 仕方がないので、俺は三通目をテレビの前に置いた。画面の中では、ちょうどニュース番組をやっている。内容はもちろん、俺や湯田たちによる市街地戦についてである。


「大した内容はやってないわね。少なくとも、緘口令は敷かれてるみたい」


 胸の前で腕を組み、画面に見入る羽澄。

 俺も同じ向きに視線を遣る。だが、目の焦点は画面よりも手前で留まっている。何の情報も持たない虚空を、ぼんやりと捉えているだけだ。だが、聴覚の方がまだ活きている。


 銃声。悲鳴。爆音。衝突音。どれも散々、聞き慣れたものだ。こんなもの、戦場に行けばいくらでも耳にすることができる。

 それを、こんなにも必死になって取り上げるメディアの様子を見て、俺は思わず笑い出しそうになった。

 あまりに滑稽ではないか。人の命が失われている一方で、それを現実感も持てずに騒ぎ立て、さも特別なことが起こっているのだと強調している。


 俺や修也、それに順平は、青春を捨てて生きてきた。両親の他界や親族の不在によって。信頼できるのは、互いの知恵と勇気だけだった。


 他に生きる道も、あるにはあっただろう。だが、少なくとも俺には、守護者としての遺伝子が宿っていた。父が警官だったように。

 守護者、というのはあまりにも大袈裟かもしれない。しかし、それ以外の生き甲斐というものを、俺は持ち合わせていなかった。もしかしたら、修也も順平もそうだったのかもしれない。


 家族を喪った。それは、俺たち三人にとって、変えようのない共通項だった。

 運命だったのか? 定めだったのか? 俺は、今まで考えないようにしていたことに、顔を向けつつあった。


 それは深い闇のようでいて、あからさまな事実でもあった。


 もしかしたら、これが俺にとっての最後の戦いになるかもしれない。根拠は皆無。だが、順平を死なせ、修也に裏切られた俺に、果たしてこれ以上戦う意味があるだろうか?


 そんなことを沈思黙考していると、リビング奥の扉が開いた。


「どうですか、姫島さん?」


 すぐさま羽澄が、姫島に詰め寄る。

 しかし姫島は、相変わらず眠そうな目をしながら『三通目』と一言。

 俺はテレビの前に置かれた三通目の手紙を取り上げ、羽澄のわきから差し出した。

 手紙を受け取った姫島は、また引っ込んでドアをぴしゃりと閉めてしまう。


「随分不愛想になったわね、彼女」

「本気になったんだろう」


 俺は静かに、羽澄を諫めた。

 俺が思考に沈み込んでしまったからだろう、微妙な間が空いた。だが、羽澄も俺の邪魔をしないように気を遣ってくれたのだろう、下手に文句をつけることはしなかった。もちろん、姫島にも。


 そうだ、霧崎羽澄。彼女もまた、青春などというものとは無縁な生き方をしてきたのだろう。俺は敢えて尋ねることなく、ちらりと彼女の横顔に一瞥をくれるに留めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る