第22話
※
やや日が傾いた。分厚いカーテンと床の隙間から、冬の淡い光が差し込んでくる。
俺はテレビの前に座り込み、同じ映像を繰り返す報道番組を観ている。羽澄は立ったまま、壁に背中を預けて目をつむっていた。
それは、実に静かな時間経過だった。エアコンの唸りと、奥の部屋から聞こえてくる電子音を除けば。
その部屋から、がちゃりと音がした。今時珍しい、非スライド式の扉がこちらに開かれる。
俺はすぐに立ち上がり、暗がりの姫島を見つめた。
「どうでしたか、姫島さん」
「まあ、やれるだけのことはやったんだけど」
「聞かせてください、あなたの所見を」
羽澄も振り向き、歩み寄る。そして次の瞬間、姫島の口から発せられたのは、全く不似合いな言葉だった。
「恋をしてるのかもしれない」
「え……?」
「は……?」
俺と羽澄は、『恋』という言葉の前に我が耳を疑った。
「なっ、ななな何言ってるんですか⁉」
僅かな沈黙の後、声を上げたのは羽澄だ。
「べ、別に私は――」
「あなたのことは関係ないよ、警部補さん。修也くんの話」
すると羽澄は『で、ですよね!』と言って両手をぶんぶん振り回した。慌てて俺は距離を取る。
が、待てよ。
「修也が恋をしてるって、一体どういう意味ですか?」
俺も驚かされた。というか、驚いているのに気づいた。
姫島は何も変なところはない、とでも言いたげに肩を竦め、『そのまんまの意味だけど?』と半眼で問い返してくる。
「あの、順を追って説明してもらえます?」
俺の戸惑いが如実に現れていたのだろう、姫島はくすりと笑ってこう言い放った。
「まあ、恋してるっていうのは極論だったけど、修也くんと行動を共にしている人間は、彼にとってとても大切な人物だ、ってことは言えるだろうね」
「そんな……。修也に同行している人間は、彼と同じ『正義』を掲げた戦闘員たちでしょう? 彼らは自分の命を惜しむような真似はしない。それなのに、その中に修也が大切だと思っている人間が混じっているなんて考えづらいんですが」
俺は早口で、一気に言い放った。一歩、姫島ににじり寄る。それに対し、姫島は怯むことなく目をつむり、瞼をぱっと上げた。
「そう。『彼女』は戦闘員ではない。それでいて、修也くんと行動を共にしている。そこから考えられるのは、『彼女』自身が奪われた機密データそのものだ、ということ」
俺は二の句が継げなくなった。機密データが、人間? どういうことだ?
「どんな人物か、絞り込めませんか?」
問うたのは羽澄だ。俺よりは冷静であるらしい。
逆に言えば、俺は正直、ショックを受けて動揺していた。機密データが人間だとすれば、修也は誘拐事件を起こしたことになる。
ただの無機質な物体ではない。標的は、生身の人間だったのだ。
「ちょっと、瀬川くん、聞いてる?」
「あ、す、すみません」
「うむ」
頷いてみせてから、姫島は続けた。
「あたしが武器の密売をするのにあたっていたのは、警視庁と国防軍の人事課だったんだけど。その過程で、不自然な動きがあったんだよ」
「不自然な動き?」
オウム返しに尋ね返す羽澄。
「そう。国防軍特殊作戦群第一課の一ユニットが、誰かの護衛任務にあたっていたみたいなの」
「誰かって?」
「分かれば苦労しないけど。でも、警察ではなく軍の、それも超エリート集団である第一課に護衛させるだけの人物、ってことは言える」
俺は自分なりに解釈をしようと、姫島の言葉を脳内で反芻することを試みた。
そんな状態の俺をより困惑させる言葉が、続けて発せられる。
「あなたたちの関係は分からない。だけど、あたしが修也くんの恋愛事情を鑑みたのは、彼が自分のそばにいる人物をあまりにも大事にしているから。恋は盲目、ってね」
羽澄が刺すような視線をこちらに向ける気配がする。ここまで話が進んでしまっては、俺にしか事情が分からない。
だが、修也の浮いた話など聞いたことが――。
「ある」
「えっ?」
眉を吊り上げる羽澄。俺は自分でも、『彼女』に思い当たったことに驚きを覚えていた。
「どういうこと?」
「森田梨華。俺と修也の親友だった、森田順平軍曹の妹だ。順平は、もうこの世にいない。もしかして、修也は彼女を守ろうとしているんじゃないか?」
「で、でも待って」
羽澄が俺と姫島の間に割り込み、俺と目を合わせた。
「その森田梨華っていう人間は、そんなに重要な人物なの?」
「分からない。彼女のことは、俺たちが軍に入ってから一度も話題にならなかったからな」
苛立たし気に、眉間に手を遣る羽澄。本当に、梨華は今どうしているのだろう?
修也の性格からして、安全に配慮された場所にいるのは間違いない。だが梨華の社会的立場がどんなものだったのかが分からない。
これでは、修也の目的も判然としないままだ。
どうしたらいい? あいつは今、どこで何をしようとしている? 梨華を連れて、どこへ向かおうとしている?
その時、聞き慣れた電子音が手首から発せられた。第八課本部からの通信だ。
《瀬川篤軍曹、聞こえるか? 私だ。沢木拓蔵大佐だ》
「はッ」
俺は咄嗟に敬礼する。返礼してから、大佐は語り出した。
《今朝、国防軍特殊作戦群内部で、幹部会合が開かれた。そこで一つ、決定されたことがある。瀬川篤軍曹、並びに霧崎羽澄警部補。貴官らに、この映像を送る。三分半に及ぶ動画ファイルだ。機密保持のため、三回再生されると自動的に消去される。よく見てくれ。瀬川軍曹なら、気づくこともあるだろう。健闘を祈る。以上だ》
俺は再び敬礼し、音声通信を切った。回線は繋ぎっぱなしだから、どんどん映像データがダウンロードされてくる。完了までの秒数表示を、俺と羽澄、それに姫島は息を飲んで見つめた。
「ダウンロード完了。早速再生するぞ」
※
映像は、六画面に分かれていた。
そのうち四つは固定カメラの映像、二つは手振れの激しい映像だった。手振れが激しくても、俺にはそれが、ヘルメット付属の小型カメラの映像であることが分かる。
固定カメラには、照明が添えられていたらしくフルカラーの映像。小型カメラには、赤外線対応用の緑がかった映像が、それぞれ映されていた。
固定カメラの映像を見ると、それが一つの大きな一軒家の出入り口を捉えたものであると判じられる。いや、これは屋敷か。正面に二つと使用人用出入口、それに裏口の四ヶ所。
移動カメラは、この屋敷の警備を担当する兵士のものらしい。
ふと、六つの画面の表示時刻を確認した。皆、同時刻を示している。
時刻は午前五時十三分。まさに、東側から朝日が顔を出そうとしているところだった。
次の瞬間、思いがけないことが起きた。画面のうちの一つがブラックアウトしたのだ。
俺はぐっと唾を飲み、状況把握に努める。これは、恐らく狙撃だ。
兵士の頭部を一発で撃ち抜いた。名の知れた狙撃手だったらできることだろう。例えば、湯田のような。
《三時方向より敵襲! 狙撃! 総員警戒せよ!》
同時に、牽制射撃だろうか、パタタタッ、という自動小銃の音が朝の空気を震わせた。
眠りを妨げられた鳥たちが、一斉に空へと舞い上がる。
なるほど、この屋敷は多少銃声がしても問題がない、つまり周囲の民家から隔絶された場所にあるのか。具体的な場所は定かでないが。
だが問題は、第一課の狙撃手はどうしたのか、ということだ。
まさか、湯田の狙撃前に仕留められた? とすれば、この護衛ユニットの連中が手を抜いていたのか、あるいは敵の士気が極めて高かったのか。
きっと、その両方だろう。姫島の言う通り、第一課の戦闘力は、個人レベルでもチームレベルでも目を瞠るものがある。それでも一旦油断してしまえば烏合の衆だ。自分たちを買い被りすぎて、ボロが出たのだろう。
《三時方向、敵火力集中! 一旦退きます!》
《それより、早く森田梨華の身を守れ! 彼女の頭脳をテロリストに渡すわけにはいかん!》
すると、固定カメラに動きがあった。
「あっ、あいつ!」
思わず叫ぶ俺。そこに映っていたのは、坂田が遠隔操縦する多脚ロボットだった。
しかも、機関銃ではなく榴弾砲を背負っている。地面に爪を立てるような動作の後、砲弾は放たれた。
爆風とコンクリート片が、周囲の空気を掻き乱す。
《うおわあっ!》
《衛生兵! 衛生兵はどこだ! ぐあ!》
すると、もう一人ぶんの移動カメラが横転し、動かなくなった。狙撃されたのだろう。
その時、半地下になっている駐車場に駆けていく大柄な人影が一つ。誰なのかは分からないが、第一課の装備を身につけている。
その人物が使用人用出入口から乗り込んでいくのに合わせ、あちらこちらから榴弾砲が飛んできた。点と線で戦う第一課に対し、敵は面による攻撃を仕掛けている。しかも、これほど大量の爆薬を以てして。
瞬く間にカメラ映像はぶつぶつとブラックアウトしていき、すぐさま真っ暗になってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます