第23話
俺たちは目を皿のようにして、三回目の映像を観終わった。同時に、投影されていた六つの画面に、それぞれ『データ消去』という文字が浮かび上がり、真っ暗になって消え去った。
「これで終わりね」
『私から先に気づいたことを言わせてもらうけど』と前置きし、羽澄が語り出した。
「このタイプの建造物は、防弾・防爆仕様がなされている。要人宅専用の造りになってるわ。それも、国家レベルで見た時の上層部の住居のような」
「つまり、総理大臣とか軍上層部、警視総監や公安部のお偉方なんかが住むために設計されてる、ってことか?」
「ええ。首相官邸なんてお飾りで、総理がどこで寝泊まりしているかはトップシークレットになってるのよ」
「そこにこれだけの火力で攻め入ってきた敵、ってのは、それは承知していたと考えていいのか?」
「そうね」
羽澄は映像の消去された先の空間を見つめている。
「ということは、爆薬を使っても中は安全だってことを知っていて、派手に仕掛けた、ってことだな?」
「そう。これでも十分、安全を配慮した結果の攻め込み方だったんだと思うわ」
「じゃあ、梨華は一体何をやっていたんだ? それほど重要な人物にまで上り詰めた、ってことだろう? 挙句、修也に拉致されるような形になってまで」
つと、羽澄は俺と目を合わせた。
「谷曹長の姿は補足できたの?」
「ああ。三回目で確信した。あいつは、第一課の装備をまとって屋敷に潜入したんだ。そんな人影があった」
「え? 第一課の装備を? だったらどうして、その人物が谷曹長だって分かったわけ?」
「歩き方に癖がある。戦場でのあいつの立ち回り方を見てれば、誰だってピンとくるさ。それに、俺の幼馴染だしな」
「男の勘、なんて当てにしないわよ」
「好きにしてくれ。で、姫島さん。もう一つ頼まれてほしいんですが、これらの映像と三枚の手紙だけで、森田梨華のプロファイリングは可能ですか?」
「むむぅ」
糸のように目を細め、姫島は唸った。
「そんな! これっぽっちの根拠で、森田梨華本人からの声明もないのに、どうやってプロファイリングをするっていうの?」
「やってみる」
姫島は目を細めたまま、こちらに向き直った。
「少し時間を頂戴。あと、あなたも気づいたことがあるんでしょう、篤くん」
「はい」
自分にも教えてくれと騒ぎ立てる羽澄の前で、俺はゆっくり語り出した。
「この建物の警護にあたっている兵士の映像があった。二人分だ。だが、様子がおかしかった」
「どんな風に?」
「向きだ」
目を丸くする羽澄。肘を壁に当て、体重を預けながら聞き入る姫島。
「普通、護衛任務にあたるなら、屋敷の外に目を向けていなくちゃならない。それなのに、二人のカメラ映像は屋敷自体を捉えていた。これこそ男の勘だが、もしかして屋敷の主――森田梨華は、護衛されているんじゃなくて、軟禁されてたんじゃないか?」
羽澄は『軟禁』という言葉を、口内で繰り返す。姫島は無言で、俺に続けるよう促した。
「まだはっきりとは言えない。だが」
俺も、修也からの手紙に遭った言葉を脳内で反芻する。『弱者』そして『祈り』。
「修也は順平から、妹の梨華を助けてくれと頼まれたんじゃないか? だから、さっきの映像にあった戦闘は、誘拐でも拉致でもなく『救出』を目的とした作戦だったんだ」
「きゅ、救出って言ったって、一体誰から?」
ふん、と短く息を吐いて、俺は漠然とした言葉を口にした。
「この国、からかな」
「それも男の勘?」
「違う。修也も散々書いていただろう? 『国家レベル』での許されざる行為が為されていると」
「敵の言葉を信じるわけ?」
俺は俯きながらも、キッと眼球を向けて羽澄を睨んだ。
「確かに、あんたにとっては敵かもしれない。だが、俺とっては親友だ。かつても、今も」
「呆れた!」
羽澄は腰に手を当て、ずいっと上半身を乗り出してきた。
「今更臆病風に吹かれたんじゃないでしょうね? そんなんで、谷曹長を撃てるの? 戦って食い止めることができるの?」
「知るか‼」
気づいた時には、俺は声を張り上げていた。
はっとして首を振り向けると、羽澄は目線を下げて『ごめんなさい』と呟くところだった。なんだ、殊勝じゃないか。
だが、俺は違和感を覚えた。羽澄が言葉を続けてこないのだ。
「あー、悪い。いきなり怒鳴っちまって」
「いえ、悪いのは、きっと私」
「どうしたんだよ? らしくないじゃないか」
すると再び顔を上げ、羽澄は息を吸い込み、しかし静かに言った。
「だってあなた、泣いてるんだもの」
今日一番の沈黙が、俺たち三人の間に降ってきた。泣いてる? 俺が? どうしたことか。
俺は姫島に助け船を出してもらいたかったが、どうやら彼女にもそんなつもりはないらしい。仕方なく、恐る恐る目元に手を遣る。すると確かに、指先に液体が触れる感触があった。
一旦指を離し、その指先を見つめる。既に利き腕となった左手の指先に、僅かな光を受けて輝く透明な液体。
『おい、冗談だろ』とでも言い放つつもりだった。だが、喉の奥からせり上がってきたのは、紛れもない嗚咽だった。
自分で制御しきれない、心臓の鼓動。それに従って、まるで不整脈にでも陥ったかのように、不規則に、しかし確実に息と涙は湧いてくる。
「う、ぁ」
微かに声帯を震わせたのがまずかった。腹の底から、怒涛の勢いで負の感情そのものが飛び出した。
「うわあああああああっ‼」
俺は膝から床に崩れ落ち、そのまま両の掌をついた。手の甲には、際限ないのではないかと思うほどの落涙。
幸いだったのは、羽澄も姫島も声をかけては来なかった、という一点。そこに尽きるだろう。誰かに声をかけられたら、それも異性からだったとしたら、俺は縋りついてしまっていたかもしれない。精神的な意味でも。
すると、ふっと羽澄が動く気配がした。姫島に無言で指示されたのか、そっと俺のそばを離れる。俺は危うく、彼女の足に手を伸ばすところだった。
そんな事態が起こらなかったのは、姫島による俺の観察と、『対処しない』という処置方法によるのだろう。今の俺には、『自分から助けを求める』力すらなかったのだから。
俺はそのままうずくまり、胎児のように丸くなって泣いた。泣き続けた。涙に引っ張り出されるかのように、乱れた息が吐き出され、頭の中では現在と過去がごちゃ混ぜになって様々な人の顔が浮かんでは消えて行った。
親父。軍の教官。今まで仕留めた敵。修也。順平。そして梨華。
かつて微かな恋心を抱いた、そして五年前、俺が軍に入ってから忘れ去っていた、幼い日の梨華。そうか、あの頃はまだ、彼女は八歳だったか。
森田梨華は、大した秀才だった。義務教育課程において、飛び級ができるほどに。兄の順平は、言葉にこそしなかったものの、彼女を誇りに思い、同時に愛していることは明らかだった。
そんな梨華が、どうして誘拐されなければならなかったんだ?
その疑問にぶち当たり、俺はある可能性に思いが至った。
「まさか……」
梨華は、実は天才的な頭脳の持ち主で、国にその存在をマークされていたのではないか。
返済不要の奨学金を受け取っていたというから、その才能の芽が発見されるのに大した時間はかからなかっただろう。
軍拡競争が再び台頭し、かつての平和主義から脱した日本は、とりわけサイバー空間における防御と先制攻撃に注力していた。
密かに才能のある子供たち、若者たちを洗脳し、研究に没頭させていたとしてもおかしくはない。
仮に、そのサイバー空間戦略部隊に梨華が組み込まれていたとしたら、そしてそれを知ったら、修也は、順平はどう思うだろう。
それこそ、梨華の居場所さえ分かれば、強硬手段に訴えてでも救出に向かったかもしれない。
そう、これこそ『救出』だ。誘拐でもなく拉致でもなく、修也は梨華を救出に向かったのだ。
だが、どうして今なのか? そしてこれからどうするつもりなのか?
俺がゆっくりと顔を上げると、ちょうどその先に、姫島のプロファイリング・ルームがあった。
梨華がどう洗脳されたかにもよるが、今の俺の疑問は、何かの取っ掛かりになるかもしれない。
俺は左腕ですっと涙を拭い、力の入らない膝を叩いて立ち上がった。壁に掌を当て、ぐらぐらする頭を押さえながら、ゆっくりと奥の部屋へと向かって歩き出す。
今俺が思いついたことが、プロファイリングの何らかのヒントになるかもしれない。そして、これからの修也たちの行動を見極めるきっかけにも。
俺は壁に当てていた左の掌を離し、一歩ずつゆっくりと奥の部屋へと進んでいく。
しかし、自分でも意識しないうちに、俺は体勢を崩していた。再び両膝をつく。同時に目眩がし始め、テーブル上の空き缶やら空き瓶やらを薙ぎ倒すようにして、俺の意識は一瞬にして闇に落ちて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます