第24話【第四章】
【第四章】
俺はゆっくりと目を開けようとして、止めた。異様に眩しかったのだ。
どうやら俺は、気を失って倒れ込んだらしい。それは理解している。だが、こんなに明るい部屋はどこだ?
「姫島さん! 篤が気づいたみたい!」
「さて、見せてもらいましょ」
すると、人の指と思われるものが額と頬に押し当てられ、瞼を無理やり開かれた。
「うん、大丈夫みたい」
「姫島さん、衛生兵みたいですね」
「まあ、医大に通ってたからねえ。今更医者なんて時代遅れの職業だけど」
俺はすっと息を吸い込み、ぎゅっと目を閉じてから問いを投げた。
「ここはどこだ? 俺が気絶してからの時間は? 何か修也や梨華について分かったことは?」
「慌てるんじゃないの!」
姫島の声が、俺の疑問符連投を封じた。
「瀬川くん、あなたは気絶したの。左腕の神経系と脳、それに脊髄に負荷がかかっていたみたい。吐き気はする? 頭痛は? 三半規管は大丈夫そう?」
「そ、そんないっぺんに訊かれても」
「篤、あんたが急に質問を連発するからよ! ねえ、姫島さん」
ようやく俺は、自分の意志で目を開けた。そのまま上半身を起こす。
「俺は、大丈夫だと思います」
「じゃあ、さっきの君の質問に一つずつ答えていこうか」
そこから分かったこと。
一つ目は、ここが姫島宅の隣の部屋だということ。姫島は二部屋を所有し、片方を自宅兼調査室に、もう片方を緊急医療室兼武器置き場に使っているらしい。
二つ目は、俺が気絶してから十数時間が経過したこと。バイタルモニターの復旧まで、あと数時間といったところらしい。
だが、中でも三つ目の答えが最も衝撃的だった。
「疑いの余地はあるんだけれど」
言いかけたのは羽澄だが、珍しく口ごもってしまった。
「何なんです? 何かは掴めたんでしょう?」
代わりに、姫島の方に顔を向ける俺。
姫島は俺を見定めるように俺の目を覗き込んでから、こう言った。
「森田梨華ちゃんは、積極的に修也くんたちに協力している可能性が高いんだよね」
「は……?」
俺は顎が勝手に開き、閉じられなくなった。
その可能性を完全に排除していたわけではない。修也と梨華は面識もあるし、梨華の自由と身の安全のためと言われれば、彼女が修也との同行を承諾するという展開もあり得る。
だが、いざそれを他人に肯定されたショックがこれほどとは。
流石に、今更俺が梨華に好意を抱いているかといえば、異性としてはNOだろう。
それでも、梨華を大切に想う気持ちがなくなったわけでは決してない。修也もきっと、同じ気持ちだろう。
これが、あいつの言っていた『正義』か。
しかし、具体的にどんな行動を取るつもりなのか、皆目見当がつかない。きっと梨華を逃がす算段なのだろうが、陸路、海路、空路のどれなのかも分からない。
「ん……」
俺は眉間に手を遣ろうとして、違和感を覚えた。
「あ?」
上半身が傾き、ベッドに倒れ込む。
「ちょっと、大丈夫?」
羽澄がそっと俺の左肩に手を載せてくれた。それを見る。見つめる。しかし、触覚が機能していない。
「使えるのか? 俺の左腕は。神経系に負荷がかかる、って……」
「厳しいね」
「どっ」
『どういう意味ですか?』と尋ねようとして、思いっきりどもった。表情の変化に乏しい姫島の顔が、明らかに歪んでいる。
羽澄と姫島は顔を見合わせ、どちらからともなく頷いた。
「私が」
短く言葉を発する羽澄。姫島の代わりに、俺の状態について説明してくれるらしい。
「姫島さんが調べてくれたんだけど、篤。あんたの左腕は、医療技術の産物じゃないわ。明らかに軍事転用を前提とした、試作兵器よ」
「そう、か」
それは俺も予想していた答えだ。実験台に傷痍兵を使うのは、戦時中ではよくあること。実際、この左腕のお陰で救われてきた。俺も、羽澄も。
「俺は左腕以外は頑健だし、強化した腕を取りつけて実験台にするにはちょうどよかったんだろ?」
「ええ……」
僅かに視線を泳がせた後、『ただし』と言って羽澄は言葉を続けた。
「今のあんたの左腕は、不調をきたしている」
「そう、みたいだな」
俺はだらり、とぶら下がった左腕を見下ろしながら、小さく呟いた。
「取り敢えず動かせればいい。できますか、姫島さん?」
「不可能じゃないけどねえ。とても勧められないよ」
「具体的には?」
羽澄は唇を噛みしめながら、説明役を姫島に譲った。
「まず、具体的な支障についてだけど。少しだけ、筋肉組織を採取させてもらったんだけどね、細胞分裂が異常に進行しているみたい」
「問題ですか?」
筋肉がつくのは大歓迎だ。銃弾や爆風を防ぎきるほどの強度が得られれば、言うことはない。それで修也の反乱を鎮められるなら一石二鳥だ。しかし、姫島の顔色は優れない。
再び『問題ですか?』と尋ねようとしたが、あまりに姫島が悲愴な顔つきをしているので躊躇われた。その隙を突くようにして、羽澄が顔を上げる。
「あんた、自分のことはどうでもいいの?」
「どういう意味だ?」
「だってあんた、自分が片腕を失ったのに、まだ戦い続けるつもりなの? 親友を相手にしてまで? あんたは十分やったわよ!」
口角泡を飛ばしながら、羽澄は怒鳴った。だが、それに対する俺の態度は、我ながら意外なほど冷淡である。
「十分やった? 冗談じゃない。これは俺にしかできない、進行中の任務だ。他人任せにはできない」
「できない、ですって? できるかできないかの問題じゃないわ、そうするべきか否かの問題よ! 左腕が丸ごと癌細胞になろうとしてるのに、これ以上戦い続けるのは自殺行為よ!」
この言葉には、俺も怯んだ。
「癌、だって?」
「霧崎さん、落ち着いて。あたしの予想だけど」
そう言って、再び会話の主導権を握る姫島。
「最悪の場合、あなたの腕から全身に癌が転移する可能性がある。それを避けるには、すぐさま左腕を切断し、万全の医療処置を受けること。それしかないよ」
「いや、『すぐさま』っていうのは無理です。言いましたよね、任務は進行中だって」
「まあ、あたしに君を引き留める権限はないんだけどね」
姫島は両の掌を上にして、やれやれと言うように肩を竦めた。
「ちょっと! 姫島さん、そんなこと言わないでください!」
羽澄が割って入る。
「さっき約束したじゃないですか! 篤の意識が戻ったら、二人で引き留めようって! なのに――」
「羽澄さん、あたしの職業、忘れた?」
「ッ」
羽澄は急に首を圧迫されたかのように、ぐっと言葉を飲み込んだ。
「自慢じゃないけど、あたしは元・警視庁直属のプロファイラーだったんだよ? 篤くんを止めることはできない。それくらいのことは分かる。彼の目を見てごらんよ、本気だから」
そう言われながらも、羽澄はベッドの足元で視線を彷徨わせ、俺と目を合わせることはなかった。代わりに背を向けて、何やら袖で目元を擦り始めた。
何故羽澄が泣いているのか、俺にはピンと来ない。俺のことを心配してくれているらしいとは分かるのだが。いや、それだって俺の自惚れかもしれない。
声もなく涙を拭い続ける羽澄。俺はできる限り柔らかい口調で、声をかけた。
「俺はいいんだよ、羽澄。たくさんの作戦に身を投じてきて、今こうして生きていられる方が奇跡的なことなんだ。今更その奇跡が中断させられてしまっても、俺は一向に構わない」
「馬鹿!」
羽澄は叫びながら、その場にあった点滴のパックを投じてきた。思わず左腕を上げようとして、俺は失敗する。パックは思いっきり、俺の鼻先に直撃した。投げつけられたのが柔らかいもので助かった。
しかし、そんな呑気なことを言っていられる状況ではない。まるで火がついたかのような勢いで、羽澄は喚き立てた。
「奇跡が起こったってことは、あんた自身がよく分かってるんじゃない! だったら何故生きようとしないの? どうして自分を犠牲にしようとするの? 本当に気でも狂ったんじゃないの?」
ああ、そうだな。俺は胸中で呟いた。俺は気が狂っている。
だが、他者への友愛の情と狂気の境目はどこなのだろう? 俺が修也を心配し、食い止めようとしているのは誤りなのか? 誰からも理解されない、常軌を逸した思いなのか?
その時、ふっと浮かんできた人物の顔がある。森田順平だ。修也が守ろうとしている梨華の実兄にして、唯一の肉親。順平亡き今、彼女の方が天涯孤独の身になってしまった。
話をしなければ。修也とも、梨華ともよく話し合わなければ。暴力で解決できる問題ではない。
「俺もヤキが回ったな」
「何ですって?」
繰り返そうとする羽澄を無視して、俺は動かない左腕を再び見下ろした。
「修也の身柄を確保し、梨華を奪還する。戦ってばかりいては、できない芸当だ」
そのためには、俺には自分と羽澄を守る力が必要になる。
「姫島さん、俺の左腕、もう一度動くようにしてください」
絶句する羽澄を無視して、姫島は瞳だけで『それでいいのか』と問うてきた。俺も無言で頷いてみせる。
「了解。全身麻酔をかけるから、また眠っててもらうよ。バイタルモニター復旧までには手術を完了する」
「頼みます」
微かな痛みが首筋に走り、俺の意識は再び闇に落ちていった。
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