第25話


         ※


 再び俺が目を覚ますと、左腕は問題なく動くようになっていた。先ほどとは違う。いや、義手にしてからのデフォルトの状態に戻ったといった方がいい。


《篤くん、目は覚めた?》


 顔を向けると、そこには液晶ディスプレイがあり、姫島の顔が映っていた。


《左腕の感触はどう、篤?》


 羽澄も映像に割り込んでくる。


「ああ、大丈夫だ。ところで、お前は何をしてるんだ?」

《武器の調達よ》

 

 武器、か。確かに必要だ。

 修也は俺を試している節がある、ということは、疑いようのない事実だ。完全に丸腰では、こちらの訴えを聞かせる前に、俺たちの方がハチの巣にされかねない。

 まずは本気で立ち向かい、修也を戦闘不能の状況にまで追い込む必要がある。


「姫島さん、どんな武器がありますか?」

《第一課の標準装備だね。国産の自動小銃、拳銃、手榴弾、コンバットナイフ。そうそう、篤くんは今もリボルバーを使ってるんだって? だったら規格外だけど、大口径のものが用意できるよ》

「ありがとうございます。手榴弾は、殺傷用だけですか?」

《まさか。ちゃーんと非殺傷用の閃光手榴弾も込みだよ》

「分かりました」


 俺は、画面の向こうで振り返った姫島に頷いた。


《篤、あんたもこっちに来て。防弾ベストと関節部のプロテクターを選ばないといけないから》

「了解だ、羽澄。今から向かう」


 向かうといっても、同じ建造物の隣室である。俺は念のため、屈みこんだ姿勢で共用の廊下を渡り、慎重にインターフォンを押して入室した。


 いや、待てよ。俺が寝かされていたのは、武器の倉庫も兼ねた方の部屋だったはず。それなのに、どうして羽澄は違う方の部屋、すなわち俺たちが最初に姫島に遭遇した部屋で装備を整えているのだろう?


「さあさあ、篤くんもおいで」

「はあ」


 リビングまで入ると、そこには確かに、二人分の装備が並べられていた。


「あの、姫島さん。武器置き場って、隣の部屋だったんじゃないんですか?」

「うん。そうだよ」


 すると姫島は、出来の悪い生徒の疑問点を把握した教師のような態度でこう言った。


「ああ、そういうことね。この部屋と武器庫は、壁を改造して繋げてあるんだ。こっちの部屋が制圧されても、すぐに武器を取れるようにね」


 なるほど。この話は他言無用だな。


「ほら、篤」


 羽澄が防弾ベストを投げて寄越した。咄嗟に左手が先に出たが、動きに衰えはない。俺は左手で、それから右手を添えて、しっかりと防弾ベストを受け取った。


 その時だった。俺の通信端末が、緊急無線を傍受した。秘匿回線だ。


《瀬川軍曹、聞こえるか? こちらは沢木大佐だ。バイタルモニターの受信システムが復旧した》

「ほ、本当ですか?」


 俺は敬礼するのも忘れ、立体ディスプレイに顔を近づけた。


《谷曹長の現在地を送る。逐次ダウンロードできるようにしておくから、何としてでも彼の暴走を食い止めてくれ。以上だ》


 結局、敬礼も返礼もないままに、今回の通信は終わってしまった。


「で、谷曹長は今どこにいるの?」

「横須賀だ」


 反射的に、俺は答えた。俺も羽澄も、視界の中央に立体ディスプレイを据えている。修也を示す赤い点には、ほとんど動きがない。


「海路か」

「そうね」


 俺と羽澄は、短く確認し合った。

 横須賀の旧米軍施設に、修也のマーカーがある。だが、それだけだ。


「谷曹長と森田梨華は、二人っきりなのかしら?」

「いや、そうとも言い切れないな」


 バイタルモニターは、特殊作戦群の各課によって異なる信号を遣り取りしている。今この状況で、第八課の兵士以外の人物を捕捉することは不可能だ。


「姫島さん」

「はあい?」


 間延びした返答をくれる姫島。だが、実際は俺たちを心底心配しているということは察せられる。俺のような、プロファイリングの経験のない一兵卒にも。


「この事件、仕留めてきます」


 そこで、姫島は微かに笑みをこぼした。


「修也くんを殺すのではなく、真実を明らかにしてこの事件を終結させる。そういう意味だね?」

「はい」


 すると、姫島は羽澄と肩を組み、同時に俺の背中にも腕を回してきた。


「ちょ、姫島さん!」


 俺は再び、顔に胸を押し付けられる形になってしまった。だが、そんなことはお構いなしに、姫島は言葉を紡ぐ。


「地下鉄爆破テロであたしがプロファイリングを担当したのは、あたしもあの場にいたからなんだ。爆破された車両の反対のホームで、あたしははっきり見た。篤くん、あなたのお父様が、女の子を勢いよく突き飛ばしたのを」

「え……?」


 俺は顔を上げ、姫島の鋭い瞳と視線を交わした。しかしその目は、すぐに羽澄へと向け直される。


「その女の子って、まさか」

「そうそう、羽澄さん。あなたのこと」


 姫島は、目を丸くしている俺と羽澄を解放し、俺たちの頭に手を載せた。


「まああたしは落ちぶれて、武器の密売なんてやっちゃったけど、正規のプロファイラーだったら、こうしてあなたたちの助けになることはできなかったでしょう。あたしもこの事件の解決を、心から願ってる。そしてあなたたちには、それができると信じてる」

「姫島さん……」


 返答に窮した羽澄の代わりに、俺は踵を揃え、姫島に敬礼した。


「この度の貴官のご助力に、感謝致します」

「ふふっ」


 姫島は俺と羽澄の髪をすっと撫でて、厚手のコートを差し出した。


「これで自動小銃を隠していくといい。礼は要らないよ。最善を尽くしてくれさえすれば」


 羽澄もまた、姫島に敬礼して俺の肩を叩いた。


「行こう、篤」

「ああ」


 俺は大きく頷いた。


         ※


 姫島が『悪友』とやらから入手してくれた車で、俺と羽澄は横須賀へ向かった。


「谷曹長の反応は、港湾部から動きがないわね」


 無言で左手を見下ろす俺に、囁くように告げる羽澄。彼女にも、俺の抱いている緊張感が伝染してしまったのか。

 もはや完全に日は沈み、時刻は夜の八時を回っていた。海岸沿いのハイウェイの内陸部から、工業地帯の灯りがちらちらと投げ込まれてくる。反対に、海岸側には一切光源が存在していない。完全な闇だ。


「谷曹長の移動手段は、海路であることは間違いないでしょうね」

「問題は、いつ出発するかだ。もしかしたら、修也はその移動手段がやって来るのを待っているのかもしれない」


 俺は羽澄の緊張感を解いてやるつもりもあって、落ち着いた声音で応じる。

 やがて、羽澄は車を停めた。


「この廃棄区画ね。事実上、人はいないってことになってるけど」

「隠れて輸送船を待つにはいい場所だな」

「ええ。ここからは徒歩で行かないと」


 羽澄の言う通り、ヘッドライトで照らされた地面には、崩れた鉄骨の山ができている。おまけに無機質な異臭もする。まるで、骨が剥き出しになった巨人の腐乱死体の中に立ち入ってしまったかのようだ。


「俺が先行する。足元気をつけろ」

「分かってる」


 おや、と俺は不思議に思った。今までの羽澄なら、『言われなくても!』と反発したはずだ。しかし、今俺の横にいる羽澄は、異様に落ち着いた様子である。

 同情でも憐憫でもなく、俺のことを心配してくれているのか。親友を討たなければならない『かもしれない』俺のことを。


 俺と羽澄は分厚いコートを脱ぎ捨て、自動小銃を肩から掛けて、ゆっくりと歩を進めた。


「両側にビルがある。狙撃に注意だ」

「ええ」


 しかしその時には、既に俺たちは修也の術中に嵌っていた。足元にピン、と張られていたワイヤーを踏み切ってしまったのだ。

 俺はその僅かな感覚に気づいた。慌てて跳び上がる。だが、時すでに遅し、であった。


「伏せろ!」


 俺は着地と同時に振り向き、羽澄の胸倉を引っ掴んで半回転。進行方向に向かって、思いっきり投げ飛ばした。

 同時に、月明りだけに照らされていた夜空が、地面からぶわり、と真っ赤に染まった。そしてドドドドッ、という爆音と共に、アスファルトがめくれ上がる。宙を舞う鉄骨群。


 俺は丸くなった羽澄に覆い被さりながら、左腕をかざした。鈍痛が走ったが、耐えられないほどではない。その場で顔を上げ、目を開ける。


「こ、こりゃあ……」


 周囲を見渡すと、俺たちの足元ギリギリのところにまで、太い鉄骨が降り注いでいた。どうやら、狭い通路を横断するように爆薬が仕掛けられていたらしい。完全に退路を断たれた格好だ。


「羽澄、無事か?」

「私はだいじょ……って、あんた!」


 急に立ち上がった羽澄は、俺の左腕を見下ろしていた。

 何事かと思い、俺も視線を落とす。そして、思わず息を飲んだ。


 左腕に、鉄片が刺さっていた。一つや二つではない。並の人間なら、出血多量で長くはもたないレベルの負傷だ。

 だが、俺の左腕からは出血は見られない。ただの一滴も。それどころか、即座に筋肉が自己再生を開始し、鉄片は抜け落ちて、残ったのはほぼ無傷にまで治った左腕だけだった。


「こ、こいつは一体……」


 俺が愕然としていると、今度は俺が羽澄に引っ張り倒された。


「人影、三十メートル前方! ビルの陰、十一時の方向!」


 俺は、自分の意識を無理やり左腕から引き離し、自動小銃を構え直した。しかし、その銃口の先に立っていたのは、この場にはあまりにも不似合いな人物だった。


「お久しぶりですね、篤さん。兄がお世話になりました」


 綺麗で可憐、かつ優雅にお辞儀をしてみせた人物。俺は自意識の感知し得ないところで、その人物の名を呼んでいた。


「森田、梨華……」

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