第26話

 熱を帯びた鉄塊。強烈な火薬臭さ。反響する爆発音。

 そのどれもが、彼女の存在を浮き上がらせていた。彼女がこの場に不似合いであるが故に。


 真っ白なワンピースに、綺麗に背後に流された艶やかな黒髪。丸く大きな瞳は、順平の目つきを否応なしに思い出させる。

 体型は華奢で、しかし後光が差すような雰囲気、オーラとでも呼ぶべきものが、俺を金縛りにした。無論、引き金など弾けるはずがない。


「瀬川軍曹とお呼びした方がよろしいでしょうか? それと、そちらにいらっしゃるのは、警視庁の霧崎羽澄警部補ですね。先ほどようやく、お名前を把握したところです」

「谷曹長はどこにいるの?」


 素早く鋭く、羽澄が詰問する。俺ほどの衝撃は受けずに済んでいたらしい。


「あなたと谷曹長が協力関係にあることは、疑いようのない事実だわ。でも、それは危険なことよ。無事に連れ帰ってほしかったら、早く谷曹長と手を切って私の質問に答えて。谷曹長は、どこにいるの?」


 同じ問いを繰り返す羽澄の前に腕を掲げ、俺は何とか一歩を踏み出した。梨華の方へ、大きな一歩を。


「久しぶりだね、梨華。今も呼び捨てでいいのかい?」

「もちろんですよ、篤さん。小さい頃はよく遊んでくれましたもの。私の気持ちは、あの頃とちっとも変わっていません」

「それは光栄だ」


 俺は自動小銃を背中に担ぎ直し、両手を広げて大きく息を吐いた。


「羽澄、あんたも銃を下ろしてくれ。今は梨華の話を聞きたい。それに、梨華がどうしてこんな目に遭ってるのか、見当はついてるだろう? 今必要なのは暴力じゃない」

「断るわ」


 ぴしゃりと俺の言葉を叩き潰す羽澄。


「森田梨華、あなたは重要な政府関係者よ。身柄を安全に、元の場所へ移す義務が、私たちにはある」

「それは貴官の都合だろう、霧崎警部補?」


 唐突に響いた、低めのバリトンボイス。俺は鼓膜から全身が震えあがるのが分かった。咄嗟に拳銃を抜き、振り返る。

 そこには、他の誰でもない、俺の親友が立っていた。


「修也……」

「会いたかったよ、篤。ざっと一週間ぶりといったところか?」

「悪い。何度か気を失ってたもんでな。最後にお前に会ったのは、何年も前のことに思えてならねえよ」


 すると、修也は肩を揺すって声を立てずに笑った。


「篤、分かってるだろう? 今の俺に、お前と霧崎警部補に危害を加えるつもりがないことは」


 そう言われてしまうと、反論の余地がない。俺にとって、修也ほど付き合いの長い人間が殺気を発していたら、すぐに違和感を覚えて迎撃態勢に入ることができたはず。

 それができなかったのは、修也が自分で言った通り、彼に殺意がないからだ。

 しかし、危害を加えるつもりはない、か。


「それにしては、さっきの爆発は随分と派手だったじゃないか」

「まあな。俺としては、お前たちと話し合うのに、邪魔が入らないようにしたかっただけなんだが」

「交渉の余地あり、ということだな?」


 俺が睨みを利かせると、修也は大きく頷いた。笑顔さえ浮かべながら。


「その通り。これは、俺が曹長として命令する事柄じゃない。お前の親友として、お前たちを同胞として迎え入れるための交渉だ」


 直後、膨大な殺気が俺のそばで湧き立った。羽澄だ。

 俺が止める間もなく、彼女の自動小銃が火を噴く。だが、前動作が長い。修也は横転するようにして、何ということもなく避け切った。


「短気は損気だぞ、霧崎警部補」

「修也さんの言う通りです、霧崎さん。今は矛を収めてください」


 俺と羽澄を挟んで、修也と反対側にいる梨華が声をかけてくる。

 ここで、一つ奇妙なことがあった。俺が気配を探ることのできる範囲に、修也と梨華以外の人間がいないのだ。


「おい修也、どうして仲間を隠してるんだ? まさか俺たちに手心を加えるつもりでもないんだろう?」

「まあな」


 短く答える修也。


「お前たちは二人だ。だから俺たちも二人で待っていた。この国を出るまで、まだ時間がかかりそうだったし、だったら逆にお前たちと意思の疎通を図った方がいい。喧嘩っ早い仲間は、いい連中だったが皆お前らに討たれてしまったからな」


『さて、何から話そうか』。そう言いたげに、修也は俺たちの前を行ったり来たりする。


「そうだな、まずはどうして俺がこんな行動に出たのか、聞いてもらおう」


 羽澄は自動小銃を構えたままだったが、修也は全く気にかけない。まるで、自分の身などどうなっても構わないと開き直ったかのような態度だ。

 俺は拳銃をホルスターに戻し、改めて修也と向き合った。未だ燻ぶる火の手を背景に、彼の姿は逆光で真っ黒に見えた。


「森田軍曹——順平の、たっての願いあってのことだ」


         ※


 俺が左腕を失った、あの日のこと。修也は、衛生兵が俺の元に駆けてくるのを確認し、彼らに俺の収容と緊急搬送を要請した。このあたりは、俺も記憶が曖昧だ。

 最後に見かけた修也は、順平の元へ向かって行くところだった。


「順平、無事か!」


 順平のそばに膝を着き、両肩に手を遣る修也。だが、順平が最期を迎えようとしているのは明らかだった。

 彼の左胸は、墜落したヘリの部品で貫通され、地面に縫いつけられていたのだ。


「しっかりしろ、森田軍曹! 衛生兵がすぐそばに来ている! 目を開けて、俺をしっかり見ろ!」


 どれほど順平の意識が明確だったのかは、修也自身にも分からない。

 順平は自分の血でむせ返りながらも、防弾ベストの右胸のポケットに手を入れた。


「動くな、順平! 今助けが——」

「ぼ、僕じゃない……」

「何だって?」

「僕じゃ、ない。梨華を……」


 その先は、とても言葉にはならなかった。順平の意識は、たった一つの挙動、すなわち、ポケットから取り出したものを修也に手渡すことに全精力を傾けていた。


 順平の振るえる右手を握りしめる修也。そこに、ひんやりとした感触がある。修也はそれを受け取り、何らかの鍵であることを確認した。それと同時に、順平の手は、修也の元から滑り落ちた。


「順平? おい、しっかりしろ軍曹!」


 泥と煤、それに血に塗れた順平の頬が、周囲の炎を照り返す。その瞳に、最早生気はない。それでも修也は、あたりを見渡し『衛生兵!』と叫び声を上げ続けた。


 翌日。修也は順平の使っていた下士官室に足を踏み入れた。順平の遺品整理のためだ。


「梨華は天涯孤独になってしまったんだな……」


 そう呟きながら、狭い個室を見渡す。すると、あるものが目に入った。デスクの下に格納された、キャスター付きの引き出し。そこに、鍵穴と思われるものがあったのだ。

 

 修也は、軍服の胸元から件の鍵を取り出した。

 この鍵が自分に託されたのは、順平の遺志だ。そう思えば、躊躇いは綺麗に吹き飛んだ。


 修也はごくり、と唾を飲んでから、ゆっくりと引き出しに近づき、しゃがみ込んで鍵穴を覗き込んだ。


「一体何が入ってるんだ……?」


 そう呟きながら、鍵を差し込んでゆっくりと回す。カチリ、という軽い音が、やけに重々しく聞こえる。しかし、鍵の回り方は実に滑らかだった。

 修也はぐっと口を一文字に引き結び、意を決して把手を引いた。そんな修也の緊張などお構いなしに、引き出しは呆気なく開く。

 覗き込んだ修也の目に入ったもの。それは、


「紙の、束……?」


 電子化も暗号化もされていない、書類だった。引き出しの段一杯に、しかし丁寧に重ねられている。その一番上には、『遺書』と書かれた封筒があった。


「遺書」


 そう口に出して読んでみる。そこからの修也の動きは、実に迅速だった。

 急いで封を切り、中の紙を取り出す。そこには封筒に書かれていた通り、順平の手書きの遺書が入っていた。


 内容は端的なもの。

 自分の妹・森田梨華が、政府の命令で軟禁状態に置かれていること。

 梨華が危険な兵器の開発に、強制的に従事させられていること。

 そんな自分の妹を、どうか助けてやってほしいということ。


「もし自分が戦死してこの作戦が実行不能となった場合、これを読む人物に、梨華の救出任務を引き継いでほしい。必要な情報は、引き出しに入っている書類に全て書かれている……」


 修也は、遺書の思いもよらない内容に、背筋が凍る思いがした。

 順平は戦死した。俺、すなわち篤は意識不明。だったら自分が、梨華の救出の任にあたるしかない。

 順平の遺志を尊重し、彼の役割を代わりに果たしてやらねばならない。


「くっ……」


 修也は腕の震えを鎮めることができなかった。同時に、涙腺が緩むのを防ぐことも不可能だった。

 ただ一つ思い当たったこと。それは、機密保持のため、仲間との連携のため、何より梨華の自由のため、速やかに行動しなければならないということだ。

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