第27話


         ※


「それからだ。俺は順平に協力するつもりだったメンバーたちと密かに接触した。佐原や坂田、湯山といった連中だ。あとは、彼ら自身が自分の警護や支援のために、何人かの兵士と独自に連携を図ったかもしれない。俺の感知するところではないがな」

「森田梨華の邸宅を急襲して、彼女を誘拐したのも認めるのね?」


 羽澄の言葉に、無言で頷く修也。『誘拐と言われるのは不本意だが』と加えるのも忘れない。


「そうですよ、霧崎警部補! 修也さんは、私を軟禁の身から救ってくださったんです!」


 芯の通った声で、背後から訴える梨華。


「これ以上、私が兵器を造ってそのために人が死んでいくなんて、耐えられません! 私には、もう……」


 始めは勢いのあった声音も、輪郭を失って嗚咽と混じり合っていく。やがて、梨華は自分の肩を抱くようにしてしゃがみ込んでしまった。


「梨華、君に責任はない!」


 俺と羽澄の頭上を越えて、修也が梨華を宥めようとする。


「もう分かっただろう、篤! 俺たちの掲げた『正義』の意味が!」


 だが、俺はその言葉に納得することはできなかった。


「だったらどうして……。どうして俺に相談してくれなかったんだ? 最初に書置きでもしておいてくれていれば、俺にだって考える余地があったかもしれない! そうすれば、お前に協力した連中は死なずに済んだんだぞ!」

「篤、俺がお前たちを試していたことは承知しているだろう?」

「どうしてそんな回りくどいことを!」


 すると、唐突に修也は肩を落とした。眉間に皺が寄り、ぎゅっと両手を握りしめたのが分かる。


「繰り返すぞ。俺はお前と霧崎警部補を試したかったんだ。だから、お前たち二人に飽和攻撃を加えることなく、戦力の逐次投入をした。愚策だろう? しかし、佐原も坂田も湯山も、それを了承した上で戦ってくれた。流石、順平が声をかけた連中だけのことはある」


 情に厚い者たちだった、とでも言いたいのだろうか。


「俺の仲間になれ、篤。霧崎警部補、君も来てくれると有難い。同士が増えるからな」

「同士?」


 俺が訝し気に尋ね返すと、今度は梨華が口を開いた。しっかりと自分の足で立ち上がり、目つきを鋭いものにして。


「私は修也さんの手引きで、今日、日本を離れます。兄が――森田順平軍曹が、私を逃がすために、海外の人権団体と連絡をつけてくれたんです。この廃港から、海路で脱出します。同士というのは、反戦を掲げ、人権を守ろうと動いてくれている人たちのことです」

「だからな、篤。俺はここで、お前を止める。ここまで話を聞いてなお、梨華を引き留めようというのなら、親友として引導を渡してやろう」


 俺は、自分の身体が足元から崩れ去っていくような錯覚に襲われた。

 親友だなんだと騒ぎ立てていた自分を恥じる。一体俺は誰の味方なんだ? 誰のために戦えばいい? どうして親友である修也と闘争しなければならない? これがこの国、社会、人間の行きつくところなのか?


 梨華はともかく、修也もまたほぼ丸腰に見える。防弾ベストは着用しているかもしれないが、攻め込むための武器としては、拳銃とコンバットナイフくらいのものだろう。

 それに対し、こちらには自動小銃と手榴弾があるし、人数的に二対一だ。それでも立ち塞がろうという修也の狙いはどこにある?


 俺が思考を巡らせた次の瞬間、複数の事態が同時に発生した。


「修也さん、待って!」


 という梨華の叫びを皮切りに、修也は勢いよくアスファルトを蹴って、俺に接敵した。ギラリ、と手元に握られたナイフが鈍い光沢を放つ。俺はサイドステップでこれを回避――したつもりだった。

 回避行動は、失敗に終わった。唐突にナイフの切っ先が軌道を変え、俺の頬を掠めたのだ。


「ふん、身体の方は鈍ってはいないようだな」


 俺は視界の中央に、修也の姿を捉えた。しかし、その姿はまだ五メートル以上先にある。では、ナイフはどうやって俺に届いたんだ? 投擲された気配もないのに。


「修也さん、あなたまでその力を使っては駄目‼」

「許してくれ、梨華。でなければ、俺はあっという間にハチの巣だ。これ以上、君を守ることができなくなる」

「それでも駄目よ! あなたは、戦いをするには優しすぎる! まだ話せることはあるわ! 全部私のせいなのよ!」


 修也はやれやれといった風にかぶりを振って、会話の主導権を梨華に引き渡した。


「篤さん、霧崎さん、聞いてください。私は兄が軍属になってから、一人で暮らしていました。幸いにも、多額の奨学金が下りたので、日常生活にも勉学にも不自由はしなかった。しかし――自分から言うのは大変馬鹿馬鹿しいですが――私には、才能があった。何かに特化しているわけではなく、様々な先端研究の成果を統合し、分野横断的な技術開発をする才能です」


 梨華は胸元に手を当て、数回深呼吸を繰り返した。


「国防軍特殊作戦群第八課のバイタルモニターに細工をしたのは私です。サイバーセキュリティは万全のように見えましたが、半日あれば解除できました。それから修也さんは、既に軟禁から解かれていた私を連れて、国外脱出のための最終工程に入りました。そこで、件の人権団体との通信に時間がかかって、あなたたちに追跡する猶予を与えてしまったんです」

「そして俺たちは、修也と君に追いついた、というわけだな、梨華」


『仰る通りです、篤さん』。そう言って、梨華は視線を落とした。


「梨華、もういいぞ。あとは俺が、篤と霧崎を説得する」


 自信に満ちた修也の声は、俺の胸に地鳴りのように響いた。それが修也の帯びた敵意によるものだと気づくのに、そう時間はかからなかった。しかし、


「待って!」


 再び梨華は、修也を押しとどめようとした。


「何を躊躇うんだ、梨華? 誰も篤たちを殺すとは言っていない。殺さずに気絶させるくらい、今の俺になら十分可能だ」

「で、でも……」


 待てよ。『今の』修也に可能とはどういう意味だ? 人数も火力も、俺と羽澄の方が上回っている。それは火を見るより明らかだ。それなのに、修也は俺たちを戦闘不能に陥らせようとしている。


「何を企んでるんだ、しゅう――」


『修也』と続けようとした、次の瞬間。俺のそばで、再び凶暴な気配が湧き上がった。


「よせ、羽澄!」

「死んでもらうわ、特A級テロリスト!」


 構え直された自動小銃が火を噴き、銃声が響き渡る。俺は横から羽澄に掴みかかり、その射線をずらした。しかし、時既に遅し。向こうでは、修也が腕を胸の前で交差させながら倒れ込むところだった。


「修也ッ!」


 慌てて彼の元へ駆け出そうとした俺の腕を、羽澄は強く引いた。


「待ちなさい、瀬川軍曹!」


 階級で呼ばれ、思わず俺の足が止まる。


「あいつは、谷曹長はあんたのお父様を殺したのと同じテロリストなのよ! 射殺命令が出てるじゃない!」

「で、でも!」

「全くあんたはお人よしね! もう戦端は開かれたのよ、殺すか殺されるか、どちらかしかないのは、あんたの方がよく知っているはずでしょう!」


 羽澄の言うことはもっともだ。だがそれは、俺が自分を『兵士』として認識している時の話である。立場の相違があるとはいえ、今の俺は『兵士』であると同時に『修也の親友』でもあるのだ。

 そんな俺の複雑な心境を打ち砕くように、羽澄は続ける。


「友情が邪魔するから手を下せない、ってわけ? そんな余計な感傷は捨てて、今は目の前の任務に集中しなさい!」


 俺はホルスターに手を伸ばし、拳銃を取り出した。彼女が自動小銃を俺の胸に押し当てるのと、俺が彼女の眉間に銃口を突きつけるのは、ほぼ同時。

 我ながら、気が狂っていたとしか思えない暴挙だ。味方に銃口を向けるとは。だが、そうでもしなければ羽澄は修也にとどめを刺しに行くだろう。もう死んでしまっているかもしれないが。


「あいつは……修也は俺たちの敵、だけど……それでも俺が唯一心を許せる相手だ……親友だ! 家族よりも付き合いの長い奴なんだ! それを、よくも……!」


 左手に握らせた拳銃が震えだす。羽澄もまた、カチリと音を立てて自動小銃のセーフティを外す。

 それでも、俺と羽澄は、互いに相手を殺すだけのきっかけを持てずにいる。羽澄は呼吸を荒くして、肩を上下させ始めた。


 その時だった。

 チリン、という高い音が、微かに鼓膜を振るわせた。二回目。それから三回目。


「流石に痛みを感じないわけではないようだ。自動小銃で撃たれてはな」


 俺は羽澄が目を見開き、そこに恐怖の色を浮かべるのを見た。きっと俺も同じような表情をしていたことだろう。

 俺と羽澄は、ゆっくりと声のした方へと向き直った。


 視線の先に立っていたのは、紛れもなくたった今ハチの巣にされたはずの修也だった。

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