第28話

「修也、お前……!」


 修也が交差させた腕をだらん、とぶら下げる。同時に、先ほどのチリン、という音が連続する。チリチリチリチリン。

 俺は我が目を疑った。修也の両腕のプロテクターは、既にズタボロになっている。しかし、今修也の腕から落ちた、否、捻り出されたのは、羽澄が撃ち放った弾丸だ。


 その光景に、俺は確信を持った。

 修也は両腕を、俺の左腕同様に強化している。その腕を盾にして、人体の急所を守り切ったのだ。先ほどの俺と同じ性能を持つ腕を、修也は両肩から装備している。

 いや、同じ性能とは言い切れまい。あの腕に握られたナイフが、俺の頬を斬ったのだ。伸縮自在であることを加味すれば、俺の左腕以上か。


「篤さん、霧崎さん、お願いです。私たちを見逃してください!」


 悲鳴に近い声で、梨華が訴える。まるでウサギかリスかと思うような、丸っこい瞳で。


「お二人はご存知なんでしょう? 篤さんの腕は、癌細胞を培養することによって強化されていることを! それは、私が開発した技術の試作モデルなんです!」


 俺ははっとして振り返る。


「梨華、お前が創ったのか?」


 梨華は俺から目を逸らすまいと、勇気を振り絞っている様子。そうでもなければ、あの華奢な体躯から、これほどの迫力が発散されるはずがない。

 俺は問いを繰り返すまでもなく、梨華が肯定の意志表示をしたのだと判断した。


「それを……それを、修也さんは……!」

「もういいぞ、梨華。要点は俺が代わりに言う」


 そう告げる修也。汗ばむことも、呼吸を乱すこともない。

 だが、修也にとっても、これは言葉にするのが難しい案件だったのだろう。ふっと息を吸い込んで、修也は言った。


「俺は梨華に、無理やりこの両腕を取りつけさせたんだ。元の両腕を切断してな」

「何ですって⁉」


 驚愕の念に打たれた様子の羽澄。いつの間にか、自動小銃の引き金から指が外れている。

 俺に至っては、返す言葉どころか呻き声さえも上げられない状態だった。


 医療目的ではなく、軍事目的で人体改造が行われている――。その言葉が、頭の中のあらゆる場所に貼りついてしまい、剥がせない。


 俺のことはいい。任務に必要とあらば、この身を捨てる。その覚悟は、国防軍入隊当初から揺らいでいない。

 だが、わざわざ健在だったはずの両腕を人工物に切り替えるとは。とても正気の沙汰とは思えない。


 人間か、生物兵器か。その一線を、修也は易々と跳び越えてしまった。


 呆然と立ち尽くす俺のそばで、動きがあった。懲りる様子のない羽澄が、再び自動小銃を構えたのだ。発砲を止めるだけの余力は、俺には残っていない。心の真ん中に、ぽっかりと大きな、そして真っ黒な穴が空いてしまったかのようだ。


 修也を前にすれば、敵だろうが味方だろうが、同じ土俵に立てると思っていた。しかし、彼の決意はそんな生易しいものではなかった。身を捨ててでも、梨華を守り、順平の遺志を引き継いで任務を完遂する。それが、修也にとっての『正義』なのだ。


 一体誰が、修也を責められるというのだろう?


「嘘、でしょ……」


 羽澄の言葉に、俺はようやく現実に引き戻された。彼女の自動小銃は、弾倉一個分の弾丸を修也に撃ち込んだらしい。しかし、修也は腕で頭部、胸部を守る以外は、何のリアクションも取っていない。

 再び弾丸がアスファルトに落ちる甲高い音が連続する。


「さて、早速で済まないが篤、まずはそちらのお嬢様にご退場願おうか」


 そして、俺は見た。修也の腕が変質し、無数の関節を持って伸びてくるのを。

 俺は慌てて自動小銃を構えたが、修也の腕の方が圧倒的に早い。複数の関節部から成る腕は、俺の銃撃をものともせずに、迫りくる。そして、握り込まれた拳が羽澄の腹部を直撃した。


「がッ、は……」

「羽澄ッ!」


 俺は自動小銃をぶら下げたまま、羽澄の元へ駆け寄った。その目は驚愕に見開かれ、しかし気を失っている。もしかしたら、臓器の一つは潰されてしまったかもしれない。


「修也、お前!」


 俺が睨みを利かせる向こうで、修也は涼しい顔だ。


「ようやく互いの力を見せ合う機会に恵まれたな、篤」


『行くぞ』――そう言った直後、修也は自分の両腕をこちらに向かって突き出した。ムカデを連想させるほどの、たくさんの節を有する修也の腕。俺はすかさず、その根元にある修也の肩を撃ち抜こうと試みる。だが、腕は巧みに俺の射線を妨害する。

 結局、羽澄同様に俺は弾倉一つをまるまる使ってしまった。


「いい腕だな。お前が改造手術を受けたのは左腕だけらしいが、射撃の精度は落ちていない。いや、上がっている。大したもんだ」

「ああ、とっくに自覚してるさ。お前を追っかけなきゃならなかったからな。お友達を倒しながら」


 否応なしに、俺の左腕は思い描いた通りに動くようになってきている。それが撃ち込まれたのだから、修也も一旦腕を引いたのだろう。


「やはり最初から使うべきだったか」


 修也は腰元からナイフを取り出した。さっき俺の頬を掠めたやつだ。

 ふとした動きに反応し、軽く振り返る。そこで俺は、背後にいる梨華の様子を悟った。

 涙を落としながらも、すっくと立ち上がって俺と修也の戦いを見つめている。まるで、自分の造ってしまった兵器の行く末を見守るかのように。


 その沈黙の中で、修也がアスファルトが凹むほどの勢いで足を踏み出した。右腕にはコンバットナイフ。今度は確実に、俺を殺しに来ている。

 対する俺は、強化されたのは片腕のみで、防御に特化している。これでは防戦一方だ。どうしたらいい?


 何とか修也の腕を躱し、懐に飛び込むことができれば勝機はある。そしてそれに通じるであろう武器を、俺は持っている。


 ナイフの切っ先を、今度こそ回避。そして俺は閃光手榴弾のピンを抜いた。

 バン、という軽快な音を立てて、あたり一面が真昼のように明るくなる。修也は顔を守ろうと、大きく腕を振りかぶる。今だ。


 俺はかさばる自動小銃を捨て置き、ホルスターから拳銃を抜いた。動きの鈍った修也の腕を、くぐり、逸らし、蹴り上げながら、勢いよく接近。修也の胸に銃口を突きつけた。

 しかし、引き金に指をかけた次の瞬間、俺は自分が拙速な行動に出ていたことに気づく。


 背後から迫る殺気。修也は俺を自ら懐に飛び込ませ、俺の背後から腕を伸ばして、ナイフで仕留める気なのだ。


 というのは後々考えたに過ぎない。俺はわざとコケるように側転し、凶刃から逃れる。その切っ先は、修也自身に突き刺さる直前に止まった。


 だが、修也の腕はもう一本ある。それは、手の甲が裂けるような勢いで、がばりと展開された。そして節だらけになった指が、俺の胴体を真横からがっしりと掴む。


「う、あ!」


 そのまま腕は振り回され、俺は放り投げられてコンテナに激突するはずだった。

 しかし、俺は全神経を、無意識のうちに左腕に集中していた。空中で回転した俺の身体は、強靭な左腕を衝撃吸収材として使い、コンテナに手形をつけながら静止した。


 すかさず繰り出されたナイフ。その腕の関節部を狙って、俺は拳銃を連射する。

 調子が狂ったのか、ナイフは俺の腹部のわき五十センチほどのところに突き刺さった。


 動きの止まった修也の腕に、ありったけの弾丸を撃ち込む。すると、修也はナイフを使うのをあっさりと諦め、ガチガチと骨を鳴らすようにして両腕を引っ込めた。


「俺の能力はざっとこんなところだ、篤」


 まだまだ余裕の表情で、肩を竦める修也。


「お前の左腕の力も、是非見せてもらいたいな。躱してばかりいるのは、お前の性に合わんだろう?」


 落ち着け、と俺は胸中で叫んだ。

 これは修也の挑発行為だ。今攻め込んだら、きっと奴の思う壺だろう。だが、時間をかけすぎるわけにもいかない。

 これからやって来る人権団体とやらがどんな連中か知らないが、きっと海上保安庁の警備網をすり抜けるだけの技術力は有しているはずだ。ということは、もしかしたら火器を搭載している恐れもある。


 仕方ない。

 俺はすうっ、と息を吸い込み、左の掌をコンテナに押し当てた。修也もまた、身構えるように腕を引っ込める。


 次に目が合った瞬間、俺は思いっきり左腕をバネにして、修也に接敵した。


「うおらあっ!」


 前転する要領で、自分の身体を修也の方へと吹っ飛ばす。修也は警戒し、両腕を交差させる。

 そして俺は左腕を思いっきり振り、殴りつけた。修也を、ではなく、彼の五十センチほど前方のアスファルトを。


 堪らず砕け散る地面。爆発的勢いで散り散りになって、砂塵が舞い上がる。

 俺は確かに、修也が舌打ちするのを聞いた。続いて、ドゴォン、という鈍い衝撃音。


 俺はアスファルトにめり込んだ左拳を軸にして、逆立ちしながら足を広げ、全身を捻った。カポエイラの要領で、ブーツの底を修也に押し当て、重心をかける。

 立ちはだかって防御体勢を取っていた修也は、突然来襲した多段蹴りを防ぎきれず、数歩後退する。

 そこを、俺は左腕に握らせた拳銃で追撃。

 修也が痛みに口元を引き攣らせるのを、俺ははっきりと見た。

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Abyss of Springtime -青春の地獄譚- 岩井喬 @i1g37310

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