第19話
※
目標地点であるビルに近づくにつれ、人混みの流れ方が不規則になった。先ほど俺は、思いっきり銃声を立てて人々をけしかけた。それに、交通事故による爆発だって起きている。
皆、俺から離れるように移動していくものと思っていたが。
するとすぐに、人々を混乱させている原因が分かった。銃声が、俺の耳にも届いたのだ。
目標ビルの前で、自動小銃を乱射している奴がいる。その数、三名。いや、四名。交代で弾倉を交換している。そして、四人全員が、最新式の米国製九ミリ自動小銃を握っている。
乱射といっても、群衆を銃撃しているわけではない。俺がやったように、自分の周囲の人間を追い散らすために撃っている。パタタタッ、というフルオートの銃声の合間に、キリキリと薬莢の落ちる音が刻まれる。
俺は一旦、停車中の車の陰に転がり込んだ。様子を窺う。
敵は四人共、防弾ベストと自動小銃、それに拳銃で武装している。ナイフをどこかに隠し持っているかもしれない。
恐らく、人混みがある程度掃けるのを待って、俺や羽澄を殺しにかかるのだろう。幸か不幸か、ここは大通りだ。人の流れは速い。こちらから仕掛けることも考えられるだろう。
俺はまず、接近することを考えた。今、遮蔽物に使っている車を横倒しにする。左腕が役に立ったのは言うまでもない。突然の車の横転に、人々はますますこの場から散っていく。
その機会に、俺は車を盾にしたまま、左肩で押しつつ前進した。
「くっ、うおおおっ!」
ガンガンガンガン、という硬質な音が、ビルの狭間で反響する。どうやら敵は水平射撃を開始したらしい。
「もう民間人はいねえってことだな!」
俺は左腕を車の下部に差し入れ、
「どおりゃあっ!」
勢いよく放り投げた。真横に回転がかかった車体は、地上二メートルほどの高さにまで舞い上がり、ぐしゃり、と鉄屑の圧潰される音を立てて落下した。
電話ボックスの陰に入りつつ、再び敵の様子を窺う。すると、すぐさま俺の前髪を散らすように、弾丸が飛来していった。
「チッ!」
端にいてリロード中だった一人が、俺の姿を捉え続けていたらしい。銃撃は容赦がなかった。
俺の判断は一瞬。残る三人が電話ボックスに向けて銃撃を開始したら、俺はお終いだ。であれば、動けるのはまさに、今この瞬間しかない。
俺は弾の飛んできたのと逆側から、電話ボックスを飛び出した。左腕に握らせた拳銃に右手を添え、横っ飛びしながら狙いを定める。そして三発、発砲した。
ガソリン引火爆発による轟音が、再度響き渡った。これで敵は、僅かなりとも視界を奪われたはず。その隙に近接戦闘に持ち込もうというのが、俺の考えだった。
しかし、敵は思いがけない行動に出た。撤退したのだ。目標であるビルの中に。
「何だ?」
湯田と合流するつもりだろうか。いずれにせよ、ビルにはその四人と湯田を含めた計五人が、潜んでいる。少なくとも、だ。今のうちに敵の戦力を削いでおきたいところだが。
その時だった。俺の視界の隅に、見慣れた人影が入ってきた。羽澄だった。
敵のうち三人がビルに入ったところで、最後の一人に向かい、羽澄は飛びかかった。
「あの馬鹿!」
一度撤退した敵が引き返して来たら四対一だ。敵うはずがない。
俺は一つの賭けに出た。この距離から銃撃して、出てきた敵を倒せないだろうか?
近接戦闘は羽澄に任せ、俺は目標ビルの入り口に銃口を合わせた。
しかし、ここで意外なことが起こった。羽澄と白兵戦に入った敵以外の三人は、ビルに引っ込むどころか封鎖してしまったのだ。
ドアがロックされた赤いランプが灯るのが、俺の位置からでも見える。
ほぼ同時に、敵は羽澄の左足による膝蹴りで、腹部を刃に貫通されるところだった。
どうやら今の羽澄に、左足の刃を隠す必要はないらしい。一度バレてしまったものは、惜しみなく使おうというわけか。
俺は周囲を警戒しながら、電話ボックスのそばから駆け出し、羽澄の元へ。
「羽澄、裏口の状況は?」
「完全に封鎖されてるわね。重機が必要みたい」
それで、ビル正面に回ってきたわけか。
「間もなく現地の警察が到着するけど、どうするつもり?」
「特殊任務中だから、って正直に言って、突入を俺とあんたの二人に任せてもらうしかないな。一般の警官隊では相手にならない。そうだな、羽澄?」
「そ、そうね」
すると羽澄は、くらりとよろめいた。俺は咄嗟に、彼女の肩に手を伸ばす。
「おい大丈夫か?」
「ええ。気にしないで」
貧血? いや、そんな単純な理由ではあるまい。相手の自動小銃を無力化し、その上で左膝を腹部に打ち込み、刃で貫いた。これだけでも、かなりの運動になるはずだ。
大丈夫か、と再度尋ねようとした時、羽澄は端末を操作し、このビルの正面に規制線を張った。もちろん、立体画像だ。そしてこのビルに、プロジェクション・マッピングを仕掛けた。
「警視庁特捜部調査中につき立ち入り禁止、か」
「谷曹長を追う任務を受けたのは、私とあんただけよ、篤。一般の警官に見られて困る資料があるかもしれない」
「そうだな。ここはやっぱり、二人で乗り込むしか――」
そう言いかけた矢先、俺の目の前にいいものが転がっていることに気づいた。
「この自動小銃、使用者個人のIDは要らないな?」
「え? ええ、そうみたいだけど」
「拝借しよう。羽澄、あんたもこの拳銃を持っていけ」
俺は自動小銃を遺体から拝借し、腰元から拳銃も抜き取った。弾倉と一緒に羽澄に手渡す。
「俺たちの武器は貧弱だからな、現地調達でいくしかない」
その言葉に羽澄が頷くのを確かめてから、俺は左腕一本で件のビルのドアを開け放った。
※
戦闘は、すぐさま開始された。トラップの類はない。敵としても、自分たちの退路を守っておきたかったのだろう。
廊下の奥から飛んでくる、無数の銃弾。だが、これが二人分であることを、俺は瞬時に察しをつけた。
後の一人は、湯田と合流してビルの裏側から脱出するつもりだろう。
俺は羽澄に、待機するよう手信号を出した。ちょうど敵の銃撃が鈍る。一人がリロードしているらしい。
それを見切り、俺はごろりと転がり出て、通路奥へと銃撃した。火を噴いた自動小銃は、一人の頭部をあっという間に粉砕する。
もう一人は、先に行った味方を追って角を曲がっていった。すぐさま深追いするようなことはしない。曲がり角に銃口を合わせながら、ゆっくりと歩を進める。こちらを注視しているであろう羽澄に、再び手信号で接近を促す。
そっと角から顔を出すと、動きがあった。廊下途中の横合いのドアが、ぎいぎいと音を立てて揺れている。俺はすぐさま接近を試みて、慌ててバックステップした。
直後、ドオン、という爆音と共に、俺の視界は真っ赤に染まった。それはすぐさま真っ黒に上塗りされる。炎と黒煙が、俺の視界いっぱいに広がったのだ。
左腕をかざしたお陰で、ダメージは軽減できたのは僥倖だった。俺はわざとコケて後転し、爆風から距離を取る。
「篤!」
「大丈夫だ。痛みはない」
「そうじゃなくて、その腕!」
「腕?」
俺は、使い慣れたと自負しているところの左腕を掲げてみた。そして、驚愕した。
俺の左腕には、手榴弾の破片が無数に突き刺さっていたのだ。
一刻も早く破片を取り除き、止血しなければ。だが、痛みがないのはどういうわけだ?
「こ、この腕って……」
俺が言葉を零す。同時に、『それ』は起こった。
ズタズタにされた筋組織が、素早く再構築されていく。その繊維が、無理やり破片を押し出し、カラン、カランと床に落ちていく。やがて神経系が接続され、半透明な皮膚によって、あっという間に左腕は元通りになってしまった。
「な、こ、これって……!」
驚いたのは、俺ではなく羽澄の方だった。しかし、今はそんなことにかかずらわっている時ではない。
「気にするな。行くぞ」
俺は羽澄に、というより自分に言い聞かせて、爆炎の晴れてきた廊下に顔を覗かせた。
深追いは禁物だという考えとは矛盾するが、連中を野放しにするわけはいかない。今は進まなければ。
「裏口は塞がれていたんだな?」
「ええ。逃げるなら、一旦二階に上がって、非常階段を下りる必要があるわね」
「了解だ」
そう言ってはみたものの、階段上から狙われればこちらが圧倒的に不利だ。湯田は負傷している可能性が高いから、やはり駆逐すべき敵は残り二名だろう。
「狭い階段だぞ、どう攻める?」
「私が先行する」
羽澄はぐっと頷いてみせた。
「篤に後方支援してもらった方がいいわ。私の方が小柄だから」
しかし、俺はすぐさまその意見を却下した。
「俺の左腕を使えば、多少の無茶はできる。俺に先行させてくれ」
「で、でも」
羽澄は心配げに、目を丸くして俺を見つめてきた。
「俺が銃撃でヤバくなったら、俺に構わず蹴りを放つんだ。すぐ後ろにくっついてこい」
言うが早いか、俺は階段に足をかけた。相手に迎撃体勢を整える間を与えるわけにはいかない。
上方警戒は羽澄に任せ、正面を見つめながら、俺は一段飛ばしで階段を駆け上がった。
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