第18話


         ※


 俺と羽澄がセーフハウスを出る頃には、既に日は昇っていた。頭上には、真っ青な空が広がっている。放射冷却のためか、随分と冷える。だが、そんなことに頓着しているほど、俺たちは暇ではなかった。


「で、姫路亜弥の所在は?」

「隠れて生活しているわけではないようね。この近所よ。徒歩で行きましょう」

「了解。ああ、迂回して大通りを行った方がいい。人混みに紛れて近づくんだ」

「分かったわ」


 この季節、しんしんと冷たい匂いに満ちた東京。積雪はないが、粉雪が舞っている。朝日に照らし出され、まるで金粉が舞っているかのようだった。


 俺と羽澄は、適当と思われる距離を置いて歩調を合わせていた。敵襲に遭った場合、近すぎてはいっぺんにやられる可能性があったし、遠すぎては交互に援護することが難しくなる。


 地下鉄の出入り口からは、人混みが吐き出されてくる。そんな時間になっていた。白い吐息が、人々の周囲にまとわりついている。

 修也たちとて、無条件に殺戮を行うほど落ちぶれてはいまい。それに、俺は殺気を感じ取ることに長けているという自負がある。羽澄のことは心配だったが、あの義足に仕込まれた刃のことを思えば、一方的に殺傷される可能性は低いだろう。


 俺は顔と、警戒心丸出しの視線を隠すため、セーフハウスにあったパーカーを拝借していた。フードも深く被っている。

 羽澄はと言えば、代わり映えのしないベージュのコートを羽織っていた。サングラスも着用している。


 せかせかと足早に過ぎゆく人々を、数羽のカラスたちが電線の上から見下ろしている。

 そう、まさに上を見上げた時だったのだ。向かいのビルの屋上で、光が瞬いたのは。


「ッ!」


 俺は何も言わずに、いや、言う暇を与えられることもなく、右腕で羽澄を突き飛ばした。同時に左腕を眼前にかざす。

 直後、スタン、と地味な音を立てて歩道のタイルがはじけ飛んだ。


 俺は羽澄を突き飛ばした反動でわざと転倒し、数メートル転がった。


「何? 何事なの?」

「あんた、あのマズルフラッシュが見えなかったのか? 俺たちは銃撃されてる!」


 唐突に転倒した俺たちを、歩行者たちが怪訝な目で見つめている。


「チッ! 嵌められた!」

「どういうこと?」

「敵は狙撃手だ! 俺たちが民間人を盾にするような輩でないことを分かって、わざと大通りで仕掛けてきたんだ!」


 羽澄は目を見開き、すぐに立ち上がろうとした。きっと声を上げて、民間人を逃がそうというのだろう。だが、それでは遅い。

 俺は左腕を思いっきり地面に着き、自分の身体を垂直に跳ね飛ばした。同時に、狙撃手による次弾が、俺の頭部があったところを通り抜けて着弾する。


 異様な事態が発生している。それを察したのだろう、周囲の人々の足が止まる。これでは駄目だ。


「距離、四百五十メートル! 北西のビルの屋上だ!」


 叫びながら、俺は躊躇いなく拳銃をホルスターから抜いた。


「警察だ! 全員伏せろ!」


 そのまま銃口を空に向け、三連射。すると、人々は俺を中心にわっと広がるように距離を取った。

 皮肉なことだが、治安の悪化に伴い、国民の事件・事故に対する警戒心は日ごとに高まってきている。銃声がしたら距離を取り、即座に伏せるべし。それは、都会で暮らす人間にとっては鉄則になりつつあったのだ。


「篤、こっち!」


 振り向くと、羽澄が雑居ビルの間に入り込むところだった。俺は再度、三発発砲。死傷者が出ていないことを確認してから、羽澄の手招きする方へと滑り込んだ。

 直後、ビルの外壁が僅かに削られた。これで、相手の射撃は三発。


 俺は荒い息を整えながら、弾丸を込め直す。


「湯田健斗伍長よ! 谷曹長と連絡を頻繁に取り合っていた、第二課の狙撃担当兵!」


 俺もその名前には聞き覚えがある。修也が脱走する前から、第二課に凄腕の狙撃手がいることは有名だった。彼の名が湯田健斗であることも。


「どうする? 路地に逃げ込めば戦わなくても――」

「馬鹿抜かせ! そんなことが通用する相手じゃない!」


 俺が叫び返すと同時、大通りから悲鳴が上がった。そっと顔を覗かせると、敵の第四射がアスファルトを穿ち、煙を立てているところだった。


「放っておいたら、民間人を撃つ覚悟だ!」

「そんな! あんた、谷曹長たちはそんな下衆なことはしないって言ってたじゃない!」

「それ以上に守るべき『正義』が重いんだろう、湯田伍長にとっては」


 それより問題は、どうやって湯田を倒すかということだ。


「拳銃二丁じゃ話にならないし、武器を探していたら民間人に犠牲が出るな」

「どうする気?」


 俺は顔を引っ込めながら、すぐに作戦を立てた。


「羽澄、零距離だったら敵を仕留められるな? 左足の刃で」

「そ、それはやってみなけりゃ分からないけど……。どうやって近づくの?」

「俺が気を惹く。あんたは裏路地を回って、あのビルの屋上に出ろ」

「坂田軍曹の時と同じパターン、ってわけ?」


 俺は左腕を見下ろしながら、『違うな』と答える。


「奴の銃撃を止めさせればいい。あんたには、奴の護衛を倒してもらいたい。俺もビルに向かう。正面からな」


 敵は、坂田が羽澄に仕留められたことを承知している。彼女が危険人物であると、警戒もしていることだろう。俺たちが分散して攻めてくることを想定し、先に攻め込んできた方から片づける用意をしている可能性が高い。

 だったら、俺もまた堂々と接近することで、羽澄と同時に敵陣に斬り込むのが良策だろう。


「ビルに突入するのは同時だ。いいな?」

「りょ、了解!」


 羽澄も拳銃を手に、勢いよく駆け出した。


「さて、どっちの方が精確に狙いをつけられるかな」


 俺は小振りな石ころを拾い上げ、左肩をぐるりと回した。


         ※


 羽澄が角を曲がったのを見届けてから、俺は側転するようにビル陰から飛び出した。

 無論、湯田がそれを狙っていたのは言うまでもない。だが、奴の場所は既に判明している。こちらの投石の方が、タイミングを計れるだけ有利なはず。


 問題は、俺の左腕の投擲力だ。拾い上げた石ころは極々軽いものだ。が、高速で狙撃銃に当てられれば、破壊することも可能だろう。


 しかし次に起こったのは、信じ難いことだった。ぱっと何かが四散したのだ。


「何だ?」


 そう口にしつつも、俺は再びサイドステップ。先ほどのビル陰に戻る。

 その後に及んで、俺は悟った。四散したのは、俺が投擲した石ころだ。湯田の撃った弾丸と石ころが衝突し、相殺されたのだ。


 俺の背筋に、電流が流れた。今の相殺現象は、数万、いや、数億分の一の確率で起こった事象だ。俺の左腕には、五百メートル近い狙撃銃と対等に渡り合えるだけの力が秘められている。


 俺の心は、大きく二分された。

 一つは、その力を誇り、自らが強くなったのだという優越感に近いもの。

 もう一つは、意図せずにそんな力を得てしまった自分の立場に対する畏怖の念。


 しかしそれでも、俺は無理やり現在の状況に心のフォーカスを合わせた。

 今ここは、立派な戦場だ。雑念は煩悩に等しく、致命的な隙に繋がる。


 騒ぎが大きくなったのを察して、再び大通りに視線を戻す。その先では、自動車の玉突き事故が起きていた。歩道で銃撃が起きているのを見て、運転を誤った車が反対側の歩道に乗り上げたらしい。


 運転手や同乗者が逃げ出していく。それを見届けてから、俺はすぐさま先頭車両に向けて発砲した。狙うのは、ガソリンタンク。僅か二発の発砲で、タンクは損傷し、気化したガソリンに火花が散って爆発した。


 それを見届けた後、俺は左腕で、足元のマンホールをこじ開けた。これでは、結構なタイムラグが生じる。

 もちろん、爆発で敵の目が眩んでいるタイミングを狙おうかとも考えた。だが、たった今狙撃銃の弾丸と石ころが相殺されたことを考えるに、ある程度の質量を持ったものを投げつけなければ、敵を沈黙させることはできない。


 俺は軽く右手を添え、砲丸投げの要領で思いっきり放り投げた。微妙に回転をかけている。斜めに向かって行くマンホールは、湯田の弾丸を弾き飛ばした。

 少なくとも、俺には軌道の曲がった弾丸の行く末が見えた。そばのオフィスビルの窓ガラスに着弾、それを粉々に破砕する。


 俺は大通りを、斜め前方に走り抜ける。伏せた人々を踏みつけないように。逃げてくる人々を回避するように。

 俺は低めの車のボンネットから屋根に駆け登り、湯田の狙撃ポイントの方を見遣った。そこにはまだ、人影が見える。しかし、体勢は崩れていた。狙撃は止んだものとみていいだろう。


 後は、湯田の護衛係が自暴自棄に陥って、無差別殺傷に走らないかどうかが問題だが。


「無事に上手くやってくれよ、羽澄……!」


 そう念じながら、俺は走り続けた。

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