第1話 夏の夜の夢 その二



 太陽王ルイ14世の像の置かれた王の間や、壁一面が鏡張りの鏡の廊下を、時代錯誤な衣装をまとって浮かれさわぐ人々。


 ほとんどは西洋人だ。

 東洋人の姿はあまり見えない。


 それにしても、どこへ行っても、青蘭は注視の的だ。

 もともと北欧の人のように白い肌で、目鼻立ちも完璧な青蘭が、華やかなロココ調のドレスで着飾れば、どこから見ても白雪姫だ。


 衣装が似合うとか似合わないとかのレベルではない。動く天使。この世のものではない何者かが、舞踏会の華やぎに惹かれて迷いこんだようだ。

 みんなが二度見、三度見していくのは、そのせいだろう。

 美しすぎる。


 たいていはアベックや夫婦で来ているから、ナンパしてくる者は少ないが、それでも彼女の離れているすきに声をかけてくる男がけっこういた。


「龍郎さん。また、電話番号、渡された」

「ここってゴミ箱ないんだよな? ゴミはどうしたらいいんだ?」

「龍郎さんとキスしたらいいんだと思う」

「そうだな。キスしたら——って、ええーッ!」

「なんで? みんなしてるよ?」

「そうだけど、おれって古い日本の男だから、人前では、ちょっと……」

「僕とキスするの、イヤ?」

「イヤじゃないけど……」

「じゃあ、いいじゃない」


 青蘭に迫られて、龍郎はドキドキだ。恋人になってから、まだ三ヶ月。知りあってからでも一年たっていない。おとぎ話のお姫様みたいな青蘭に求められれば、天にも昇る心地になる。


 イチャイチャして我を忘れそうになっていたときだ。背後から来た男にぶつかった。


「パルドン」


 怪しいフランス語で軽く謝罪してから見直すと、男ではない。男性用の衣装を着ているが、女だ。つまり、男装の麗人である。

 龍郎たちより少し年上に見えるが、日本人から見た西洋人は大人っぽいので、実年齢はもっと下かもしれない。男装の上、目元だけを隠す仮面をつけていた。


「おい、仕立て屋。気をつけろ」と、早口に罵る言葉が聞きとれたのは、ありがたいことに英語だったからだ。フランス語なら、お手あげだ。


「仕立て屋? おれのことかな?」

「そうなんじゃない?」


「青い服を着てるのは仕立て屋だ」と、男装の麗人は言いはなった。


 龍郎は知らなかったが、どおりでまわりに青い衣装の男がいない。たいていは赤だ。


「へえ。そうなんだ」

「そんなことも知らずに宮殿をうろつくなよ。グズ」


 罵っていた男装の麗人だが、青蘭を見ると、仮面の奥の瞳を猫のように細めた。


「おお、麗しの姫君。わたしと一曲、踊りませんか?」


 そう言って、青蘭の手にキスをする。


「あっ、ちょっと、何するんですか。それはおれの恋人ですよ」と言ったものの、彼女は若くてチャーミングなパリジェンヌ。そして青蘭はリアル白雪姫。

 オーディエンスが急にわきたった。みんなが何やら口々に「いいぞ、いいぞ、ヤレヤレ」とでも言った野次をとばす。フランス語なので意味はわからない。


 青蘭をさらわれてしまった。

 曲が始まって、まわりのカップルが踊りだす。片手をハイタッチのような形であわせ、くるり、くるり、右に左にまわる。ゆるやかなテンポのクラシカルな踊りだ。モダンな社交ダンスと違って、誰にでも踊れそうに見える。


 青蘭は怒った表情で立ちつくしているが、そのまわりを男装の麗人が軽快なステップで、ぐるぐるまわる。それだけでダンスに見えてしまう。


 曲が終わると、割れんばかりの拍手に包まれた。「トレビヤーン!」と言いながらかけよる人々に、青蘭がもみくちゃにされる。


「離せよ! 何するんだ。この愚民ども!——龍郎さん。たつろ……」

「青蘭! ちょっと通してください。どいてください。すいません。ちょっと——」


 貴族連中にかこまれて、青蘭の美貌が見えなくなる。押しわけていったときには、まるで溶けた淡雪のように姿が見えなくなっていた。


「嘘だろッ? ベルサイユ宮殿でもさらわれるのか?」


 まったく困った恋人だ。

 いつも誰かに狙われて、すぐにどこかへつれ去られてしまう。


 しかし、今回は人間が相手だ。たぶん、大勢で囲んで、そのまま移動していっただけだ。

 龍郎は集団になっている連中を探したが、いつのまにか散らばってしまって見あたらない。怪しいのは最初に青蘭を舞踏の場につれだした男装の女なのだが。


「青蘭? 青蘭? どこにいるんだ? 青蘭?」


 鏡の廊下には多くの人間の影が映りこみ、どれが実像で、どれが虚像なのかわからない。


 鏡の奥に、ふと、青蘭の姿が見えた。複数の人間にとりかこまれて、どことなく恍惚とした表情で目をとじている。


「青蘭!」


 だが、周囲を見まわしても、それらしい人の群れはなかった。

 鏡にだけ映る虚像だ。


 再度、鏡を見つめると、たしかに青蘭はいた。だが、今度は周囲に集まっているのが人ではない。獣のような耳や角、尻尾などを持つ醜い獣だ。狐や狼やフクロウが、舌なめずりしながら青蘭の腕をつかみ、どこか遠くへつれていこうとしている。


 龍郎は鏡面にふれた。が、もちろん、実体の龍郎が、鏡のなかへ入っていけるはずもない。


「くそッ! 青蘭! しっかりしろ、青蘭。目をあけるんだ!」


 叫びながら鏡を叩く龍郎をまわりの人たちが狂人を見る目つきでながめている。警備員らしい男が数人、近づいてくる。


 マズイ。どうしようと考えていたときだ。


「なぜ、仮面をつけてこなかったの?」


 とつぜん声をかけられ、おどろいて龍郎はふりかえった。

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