第4話 アスモデウスの唄 その三



 激しい戦闘が続いた。

 戦うために生まれてきた天使でさえ、大勢が傷ついた。命も失われた。


 天使軍をもっとも苦難に陥らせたのは、堕天使たちが旧神についたことだ。

 天使を戦闘の道具としてしか見なさない神に反旗をひるがえした、かつての同胞たち。


 六対十二枚の翼を持つルシフェルが、多くの天使をともない堕天した。

 彼らは神に逆らうためだけに、旧神の傘下で戦ったのだ。

 けっきょくは戦う道具であることをみずから示したにすぎない。戦うことでしか存在できないのだと。

 自由を求めたはずなのに。


 天使は愛を知らない。

 つがいの相手に出会うまで、その感情が芽生えることは決してない。

 堕天してしまったルシフェルたちには、永劫に愛を知るときは来ないだろう。戦いに明け暮れ消えていくことを、自分の意思で選択したに等しい。


 ルシフェルたちに対して、彼は哀れみをいだく。だが、愛する者を守りたい一心で戦った。


 彼の心臓は以前の戦の誉れで、ほぼ満たされていた。天使の心臓は戦うことで、倒した相手の命を吸い、より強い力を得る。


 旧神の奉仕者などではダメだ。もっと強力な相手を倒したときでなければ、心臓は満たされない。

 魔王を千柱も殺せば、貪欲な心臓も満杯になる。


 彼の心臓はあと一柱か二柱の神を滅すれば満たされる。だからこそ、彼は強い。英雄とすら呼ばれる。位階は大天使でしかないが、戦闘能力だけで言えばセラフィムをしのぐ。


 これまで戦に出陣したことのないアスモデウスを支え、守ることができるのは、彼しかいないのだ。


 アスモデウスとルシフェルが対峙したとき、彼は必死に援護した。


 セラフィムは通常、三対六枚の翼を持つ。一対の翼で飛翔し、残りの二対で顔と足を隠しているのだという。

 セラフィムは神と等しい神聖を持つので、ふだんは楽園から出ることはなく、下位の天使の前に姿を現わすこともない。


 ルシフェルは堕天する前、このセラフィムだった。彼だけはセラフィムのなかでも特別な存在で、翼を十二枚も有していた。

 ウワサでは、天使のなかでもっとも美しいという話だった。が、堕天した彼は、すでにその神聖な美を喪失していた。


 戦場で相対したとき、ルシフェルは全身、血染めになり、そのさまは悪鬼だった。旧神から新たな力を得たらしく、姿も変形していた。旧神のような触手が全身から生え、うねうねとからみあっていた。それでも、まだ二対の翼で顔と足を覆っている。その翼も淀んだような薄汚れた泥色に変色してしまっていたが。


 今さら、何を守るというのだろう?

 すでに穢れきっているというのに?


 それでも、まだルシフェルは天使のころの知性と意思を保っていた。

 漆黒の剣をかまえながら、ルシフェルはささやいた。


「アスモデウスか。おまえは神にだまされている。なぜ、わからない? おまえはもう気づいているはずだ。我々はただの捨て駒だと。神が我々の心臓を集めて、どうするつもりか知っているのか? 天使は繁殖のたびに一人ずつ減っていく。なぜだと思う? 最後に残った一柱のみが、すべての天使と、それらの吸った多くの命を有する新たな生命となるからだ。神は我々以上に便利な奉仕者を造ろうとしている。我々はそのための踏み台だ。おまえは、それでもいいのか? そのために我らは日々戦い、命を散らし、かき集めている。そんな無為な存在でも?」


 アスモデウスはなぜか、そのとき、ルシフェルではなく、彼をふりかえった。

 とても雄弁な瞳で見つめ、あのメロディーを少しだけ口ずさんだ。


 そのあと起こることを、まるで前もって知っていたかのように。

 あのときのアスモデウスの瞳は悲しげで、涙にぬれていた。


 数十年にもおよぶ長い戦い。

 彼は一騎打ちでルシフェルを滅した。

 触手と黒い血をまきちらすルシフェルの心臓を、彼の右手がつらぬくと、強い力が心臓に凝るのを感じた。満たされた。卵になるための準備ができた、と。


 でも、けっきょく、アスモデウスと“つがい”になることはできなかった。

 戦が終わったら、つがいになろうと約束したのに。


 彼はそのあとすぐに、死んでしまったからだ。


 ルシフェルを倒し、旧神を封印した。

 その戦勝の宴の席を、彼はアスモデウスと密会するために離れた。

 まだ戦がすべて終わったわけではなかったが、ルシフェルを滅したことは大きかった。一時的に天界に帰り、しばしの休息に誰もがくつろいでいた。


 彼も安心していた。

 そこは仲間しかいない天界の神殿のなかだった。悪魔が入りこむ余地はない。万一、侵入されたとしても匂いでわかる。


 だから、こっそり恋人と会うことに、なんの不安も持ってはいなかった。


 早くアスモデウスを抱きしめて、心臓の鼓動を重ねたかった。


 今度こそ、つがいになる。

 一つになる。

 卵がかえるとき、どちらが消えるのか。そのとき残った一方はどんな心地がするのか。

 考えないではなかったが。


 安心しきって、いつもの密会の場所へ行こうとしたとき、彼はとつぜん、背後から誰かに襲われた。

 ドン、と衝撃を胸に受けた。

 次の瞬間、心臓をえぐりだされるのを感じた。


 やめろ。それは、アスモデウスのものだ。アスモデウスと一つになるための……。


 意識を失う最期の瞬間、彼は遠く歌う、アスモデウスの声を聞いた。

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