第9話 ラボへの道

第9話 ラボへの道 その一



 あたりの景色が変わっていた。

 気がつけば人ごみのなかにいる。

 今度は闘技場だ。

 それも龍郎たちは闘士として闘技場のまんなかにいた。

 観客はわあわあと熱狂し、拍手や歓呼を送っている。花のかわりだろうか。大量の鳥の羽がなげこまれる。もっと血なまぐさいものもボトボト落ちてくるが、観客たちは心から喜んでいる。単に血や臓物は彼らの好物だから、闘士を賛美するために投げこんでいるにすぎないらしい。


 ついさっきまでの龍郎たちの戦いを、たくさんの悪魔がながめていたのだと知った。それも、試合としてだ。


「まったく悪趣味ねぇ。サルガタナスらしいわ」


 返り血一つあびることもなく、グレモリーがレイピアを鞘におさめる。やはり、マダムの身の心配はなかった。見ているゆとりが龍郎にはなかったが、きっと華麗な戦いぶりだったのだろう。


 正面の最前列に黒衣をまとった貴公子がいた。

 頭に三本の角がある。二本はメリメー種のヤギ。一本はユニコーンのようにひたいのまんなかにまっすぐ伸びている。

 角以外は完全な人型。

 顔立ちも整っている。


 その顔に、龍郎は覚えがあった。

 アンドロマリウスと話していた悪魔だ。もちろん、サルガタナスである。


 サルガタナスは立ちあがり、パンパンとゆっくり手を叩いた。


「素晴らしい戦いだった。褒美をとらそう。こちらへ来るがいい」

「あなたがそこからおりて、わたくしを迎えに来なさい」と言ったのは、当然、グレモリーだ。


 サルガタナスはおとなしく言われたとおり、特等席をおり、塀をとびこえて闘技場のなかへ入ってくる。そして、グレモリーの前にひざまずいた。片手をとり、かるく接吻する。


「あいかわらず美しい。我が友グレモリー。ようこそ」

「素敵な歓迎してくれるじゃない?」

「あなたが、これしきのことでどうにかなるとは思っていない。また、あなたの妙技を見ることができて光栄だ。さあ、こちらへどうぞ」


 グレモリーの手をとって、サルガタナスは歩いていく。

 まったくいちべつもされないが、しょうがないので、龍郎は青蘭の手をにぎってついていった。


 特等席の下にあるアーチ形のゲートをくぐると、暗転して、中世の城のような一室に出た。ゴシック建築の荘厳でグロテスクな飾りが目につく。


 これがサルガタナスの城なのだろう。

 魔王が居城にいるところを見るのは、龍郎には初めてだ。


「なぜ、フォラスに会いたいのだね? わが麗しの貴婦人よ?」


 長椅子にかけながら、サルガタナスはグレモリーに問う。人間と話す気はないのか、龍郎たちはここでも完全にスルーだ。


「フォラスはアンドロマリウスと内密で何かの実験をしていたじゃない? あの人間たちがそのことで話を聞きたいらしいのよ」


 グレモリーに言われて、サルガタナスはため息をついた。


「なぜ、あんなものを魔界へつれてきた? 騒ぎになることは目に見えているだろうに」

「そうよね。とてもいい香りがする」

「うむ。抗いがたいまでに、いい香りだ」


 龍郎は気づいた。

 サルガタナスが龍郎たちを見ようとしないのは、その香りに抵抗しているのだと。見れば欲しくなる。そのことを本能で知っている。


「フォラスはおれも長いこと会っていないな。あいつは研究が何より好きだ。つねに宇宙の神秘を探求していた。近ごろは人間界へ行ったまま帰ってこないというウワサだが、その実験とやらのせいだったのか?」

「そうみたい」

「まあ、おれには興味のないことだ。行きたければ行くがいい」

「あら、いいの?」

「なぜ?」

「レラジェがあの人間たちを狙ったらしいの。あなたがけしかけたんじゃない?」


 サルガタナスは鼻先で笑う。

「バカバカしい。おれは欲しいものは自分の力で手に入れる。配下にさせようなんて、そんなことを命じるのは女ではないか?」

「わたくしではなくてよ?」

「さあ、どうだかな」


 ははは、ほほほと笑いあう魔王たち。

 悪魔の社交界もなかなかに、めんどくさい。


「マダム。お許しが出たのなら行きましょう」と口をはさむと、サルガタナスはチラリと龍郎を見た。龍郎のことは見れるようだ。


「人間。名は?」

「本柳龍郎」

「たつ……ドラゴンか。いい名だ。おぼえておこう。なんなら契約してやってもいい」

「悪魔と取引はしない。が、なぜだ? あなたはおれたちを悪魔殺しと責めないのか?」


 豪快な笑い声が応える。

「言ったろう。おれは強い者が好きだ。おまえは強く、倒された者は弱かった。それだけのことだ」


 武将タイプと言ったグレモリーの言葉は嘘ではないようだ。

 どうも、サルガタナスに裏はなさそうな気がする。となると、レラジェを送りこんだのが誰かという疑問は残るが。


「契約したくなれば、いつでも呼びだすがいいぞ」

「悪魔の呼びだしかたなんて知らない」

「名を呼べばいい。おまえは特別にな。おれが勇者と認めたのだから」


 サルガタナスに見送られて、フォラスの結界をめざすことになった。


「この扉の向こうは別の結界だ。おおむねはおれの配下のものだが、誰の結界がどの順序で通じるかは、つねに変動する。フォラスの結界がぶじ見つかるといいな」


 サルガタナスが示したのは、部屋の一隅にあるふつうの扉だ。


「ありがとう。お邪魔しました」

「アンドロマリウスによろしくな。また、あいつとも酒を酌みかわしたいものだ」

「…………」


 グレモリーによれば、アンドロマリウスは最後には快楽の玉に自分の魂を吸わせるつもりだという。

 サルガタナスのささやかな望みは、二度と叶えられることはないだろう。

 サルガタナスもそれを悟っているのではないかと思う。昔をなつかしむような目をしながら、少し物悲しい表情になった。


「ではな。ドラゴンキラー」

「ドラゴンキラー……」

「ブネを殺したのだから、ドラゴンキラーだ。また会える日を楽しみにしている」


 サルガタナスの示す扉のノブに手をかけた。

 くるりとまわす。

 ゆっくりとひらかれる……。

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