第8話 残照の砂漠
第8話 残照の砂漠 その一
「フォラスはサルガタナスの配下よ。フォラスの結界はサルガタナスの結界のなかにある。サルガタナスの結界を通過しなければ、フォラスの結界まではたどりつけない」
マダムの説明を聞いて、龍郎はゲンナリした。
龍郎たちの命を狙ってきたレラジェも、サルガタナスの部下だった。ということは、レラジェに暗殺を命じたのは、そのサルガタナスかもしれない。
「サルガタナスはアンドロマリウスと親しかったんじゃないのか?」
「わたくしたちと人間は違うわ。それに人間だって、友人をだます者はいる。サルガタナスが何を考えているのかは、わたくしにもわからない」
こうなれば、行ってみるしかない。
運がよければ、サルガタナスの結界を素通りして、フォラスのもとへ辿りつけるかもしれない。
「どうやって行くんだ?」
「わたくしの手をにぎって」
龍郎は青蘭の手をにぎったまま、左手をグレモリーの前にさしだした。
グレモリーが反対の手を出してうながすので、グレモリーと青蘭も手をつなぐ。ロンドを踊るように、三人で輪になった。
「ガブリエルが帰ってこない」
「彼は天使よ。自由に飛べるでしょ。もう行きましょう。あなたがたが人間だとわかると面倒なことになる。きょくりょく、黙っていて」
「わかった」
うなずくうちにも、あたりが暗転した。ベルサイユ宮殿から魔界へつれてこられたときに経験した、空間の伸びていく妙な感覚があった。立ったまま眠っているように意識がぼんやりする。
やがて、気がつくと、あたりが明るくなっていた。明るいというか、赤い。日没前のオレンジ色に世界が沈んでいる。
見えるものは砂漠。
そして土壁でできた素朴なオリエンタルの建物。
龍郎はシルクロードを見たことはないが、きっとこんな感じだろうと勝手に思う。
幻想的な砂漠を描いた絵画のなかへ入りこんだような錯覚になる。
「ここが、サルガタナスの結界?」
「しッ」と、グレモリーは人差し指を口にあてる。
「心のなかで考えるだけでわかるわ」
(……こんな感じ?)
(そう)
(サルガタナスの結界内に入った?)
(サルガタナスとわたくしの思念の共同世界というべきかしら。砂漠はわたくしの領土よ)
いつのまにか、グレモリーはラクダに乗っている。
龍郎と青蘭の前にも二頭のラクダがいた。金の
(それに乗って)
(ラクダは初めてだけど)
(いいから、乗りなさい)
うむを言わさぬ威厳を持って命じられたので、しかたなく、鞍をまたぐ。
すくっとラクダが立ちあがると、視界が三メートルほどにもなる。これが天使の視野かと、なんとなく龍郎は思った。
ラクダにゆられて旅をする。
一時間か二時間。
もっと長いようでもあるし、あるいは五分しか経っていないような心地もする。
景色はどこまでも同じだし、夕日は夕日のままで、永遠に空は赤い。
(マダム。いつまで、このままなんですか?)
(サルガタナスがわたくしを受け入れるつもりがあれば、とっくになかへ入れているわ)
(ということは、おれたちは受け入れられていない?)
砂の起伏を越えていく。
じっさいの砂漠のように暑くはないことだけが救いか。
ただ少し、うら悲しいだけだ。
永遠に来ない夜。
永遠に来ない夜明け。
今日のこの時に縫いとめられた、標本のような刹那。
答えを待っていたが、かえってきたのは別の話題だった。
(サルガタナスは戦好きなのよ。武将ね。大きな戦がなくなって、今は退屈している)
(あなたがたはクトゥルフの邪神と敵対しているんですよね?)
(そうともかぎらない。あれは外なる宇宙から来たものだけど、たがいに干渉しなければ、とくに問題はないわ)
(でも、戦争してましたよね?)
(あれは一部の大地の神が言いだしたこと。それにサルガタナスのような戦好きが乗ったのよ)
(神……天使たちを造った?)
(そう。ノーデンスね)
(ノーデンス……)
それはクトゥルフ神話に出てくる地球生まれの神の名である。
(あなたがた人間は近ごろ、彼のことをそう呼んでいるでしょう? 古くには、ゼウス。もっと古くにはオーディンとも呼ばれていたわ。その前は……なんだったかしら? オシリス? 彼は人の世にからむのが上手なのよ。文明の創世記に人間のふりをして、いくつも名前を残している)
龍郎はうなった。
これは穂村の受け売りだが、以前、こんなことを聞いていた。
世界中に残る古代の神話には、たいていモデルとなった人物がいる。かつて文明を築く礎となった王の存在が、先祖霊として語り継がれるうちに尾ひれがつき、神話として抽象化されたのだ、と。
世界中の神話に妙によく似た逸話が多いのも、原話が同じだからだろうとも聞いた。
まさか、こんな形で立証されるとは。
(では、天使を作ったのは、ノーデンスなのか)
(ええ)
そうだ。以前の幻視でも、チラリとノーデンスの名を聞いたことがある。
アンドロマリウスに参戦するようサルガタナスが説得していたときだ。
ノーデンスは今、手元に英雄の卵を持っているから強気なのだ。だから旧神や外なる神を駆逐しようといきまいているのだ。
そのようなことを話していた。
(ガブリエルが言っていた主というのも、ノーデンスのことか?)
(ええ。そう。キリスト教の世界観では別の呼びかたをされているけど。言ったでしょ? 彼は人心を掌握することが得意なのよ。天使に奇跡を起こさせ、夢想家に信仰を植えつけることは、ノーデンスには容易だわ)
(なんで、ノーデンスはそんなにたびたび、人間の世界に干渉するんだ?)
グレモリーはラクダの背中で、少し首をかしげた。
(人間が好きだからなんじゃないの? 人は彼の奉仕種族の末裔だもの)
(えッ?)
(天使を造るときに、ぐうぜんできたと聞いたわ。ただ、ノーデンスが望むほど強い生物ではなかったから、そのまま野にすてたの。そしたら、いつのまにか、わんさか増えちゃったんだわ)
おかしくてならないように、グレモリーはラクダの背で笑う。
(気にすることはなくてよ。宇宙の万物のもとは一つ。根源の海から生まれてきたの。今は形態が異なるだけ。人も天使もわたくしたちも、それほど違いはないのよ)
気にするなと言われても気になる。
人間の創造の歴史を、こんな世間話のように軽々と知っていいのだろうか。
が、それ以上、話していることはできなかった。
龍郎はふいに周囲に気配を感じた。
何かが近くにいる?
目をこらすが、怪しいものは何も見えない。
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