第7話 ロバは愚か者 その四
龍郎が攻撃に転じるすきをあたえず、グレモリーは攻めてくる。
カツカツ、カツと金属のふれあう音だけが激しく続く。
いつしか、龍郎も無我夢中になっていた。でなければ、こっちがやられる。
目の前につきだされたレイピアが、ふっと低くなる。龍郎のすねをなでるように急速にふところに入りこんできた。
中世の騎士の決闘でも、禁じ手ではあったが、相手の足を狙い、身動きを封じる方法は必勝法として多用されていたようだ。
足を奪われては戦えなくなる。
あとずさろうとしたが、肩が壁にあたった。青蘭を守ったままでは、もう逃げ場所がない。
こうなれば、しかたない。
青蘭にケガをさせるくらいなら、自分が犠牲になるほうがマシだ。
足はくれてやろう。
そのかわり、こっちは心臓をもらう。
龍郎の足元に迫るということは、グレモリー自身から剣はもっとも遠くなっている。マダムの胴はがらあきだ。守るものが何もない。
マダムの刃の上をすべるように、カウンターで剣をつきだす。
痛みは——来なかった。
グレモリーのレイピアは寸前で止まっていた。
龍郎の退魔の剣の切っ先だけが、グレモリーの胸に深く沈んでいる。
「……わたくしの負けね。さあ、殺しなさい」
マダムはレイピアをなげだし、床にすわりこむ。
龍郎は剣をぬいた。が、トドメを刺そうとはしなかった。
マダムのケガは致命傷ではない。致命傷なら、さっきの一撃で光の粒になっている。
「さっきも言いました。おれはあなたと争うつもりはない。それに、あなたには教えてもらわないといけないことがある」
「殺しなさい! でなければ後悔しますよ?」
「なぜ、そんなに死にたがるんですか? あなたは自分を青蘭に吸わせたいんでしょう? いくら好きな男のためだからって、そこまでする必要はないんじゃありませんか?」
強い口調で問いつめると、グレモリーは泣きくずれた。
「あなたにわかる? アンドロマリウスは快楽の玉がいっぱいになるとき、最後に自分の魂を吸わせるつもりなのよ。そうすれば、愛する者と一つになれる。愛する者の一部になる。そのとき、アンドロマリウスの存在は完全に消えるわ。自分の存在を消滅させてでも、それがアンドロマリウスの望み。でも、わたくしにはそんなこと耐えられない」
愛する人が別の人を愛している。
それだけでも悲しいことなのに、その別の誰かのために、愛する人がこの宇宙のどこからも消え失せる。
もしも、それが青蘭なら、龍郎だって耐えられない。
「だから、あなたもその一部になろうとしたのか。あなたも快楽の玉のなかで、新しく誕生する天使の一部に……」
「一つになれるのよ? 幸せでしょう?」
龍郎は嘆息した。
愚かなほど純粋で情熱的な愛。
彼女の望みを無下にはできそうにない。
「マダム。では、あなただってわかるはずだ。おれは青蘭が青蘭だから好きなんだ。アスモデウスだからじゃない。青蘭だから。青蘭の存在が消えるなんて、絶対にダメだ。快楽の玉が満ちることを、なんとかして止めたい。いや、止めてみせる。あなただって、アンドロマリウスが消えなくてすむのなら、そのほうがいいんじゃないか?」
つかのま、グレモリーは考えこんだ。
「……そうね。アンドロマリウスの望みを叶えてあげることはできなくなるけど、それも悪くない選択の一つだわ」
「なら、今はおれたちに協力してもらえますか?」
グレモリーは絹の手袋に包んだ手で涙をふいた。
「条件があるわ」
「なんでしょう?」
「もしも、快楽の玉の吸収を抑えることができなくて、アンドロマリウスの計画どおりに事が運んだときには、わたくしも玉の一部にして」
「つまり、玉の状況によっては、のちにその命を奪えと?」
「そういうことになるわね」
命乞いの逆だ。
とりあえず殺されるのはやめてあげるというわけだ。まあ、一時的にでもマダムの考えを変えることができたのだから、よしとしよう。
「わかりました。では、フォラスのもとへつれていってください」
「フォラスは今はもう、ほとんど魔界へは帰ってこないわ。だからこそ、わたくしも人間界で会おうとしたのよ」
なるほど。言われてみれば、そうだ。
「では、どうしたら会えますか?」
「彼の結界のなかから人間界へ移動すれば、フォラスが今現在いるもとへ行けるでしょう」
「でも、結界というのは、それを作った者でなければ、自由に出入りはできないですよね?」
「同盟を結んだ者同士なら、共有の場所までは行けるわ。魔界は大勢の魔王の結界の集合体と言ったでしょう? 結界と結界をつなぐ部分に、おたがいに行き来できるところがある。結界の玄関ホールのようなものね」
「あなたはフォラスの玄関ホールへ行けますか?」
「行けるわ」
それなら話が早い。
ようやく、フォラスに会うことができる。
しかし、龍郎がそう思い、ほっとしていたときだ。マダムは少し意地悪な声音を出した。
「ただ、あいだにいくつかの魔王の結界を通らなければならないけれどね」
やはり、そううまくは行かないようだ。
了
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