第10話 毒公女 終章



「穂村先生ッ? なんで、先生がここにいるんですか?」

「なんでって、私の部屋だからだよ」

「それはわかってます。おれが聞いてるのはですね。なんで、この部屋が魔界につながっているかです」


 あらためて周囲を見渡してみるが、どこにも魔界の痕跡はない。やはり、すでに現実世界の、しかも日本のM市に戻ってきている。遺跡から発掘された出土品に埋もれた、なんともせまくるしい穂村の部屋だ。


 だが、青蘭は全裸だし、龍郎のシャツの袖はやぶれているし、ガブリエルはリエルに化身しているものの、はなはだしきは、マルコシアスがまんま魔物の姿で畳の上にいる。


 それを見ても、まったく動じない穂村も穂村だ。


「なんで魔界に通じてるかって? おや? これはまだ真相に気づいてないのか? もしかして、ごまかしがきくのではないかな? うん。そんな気がするぞ。君たちは夢を見ている。自宅に帰って寝なさい」


 穂村は言うのだが、ガブリエルがするどい口調で宣言した。


「私はフォラスの結界を通ってきた。フォラスの結界が通じているのは、現実世界のなかで、現在、フォラスがいる場所だ。穂村先生。つまり、あなただ。あなたがフォラスだ」


 ええーッ!——と、龍郎は青蘭と抱きあって驚愕の声をあげた。

 もしかしてそうなのかもしれないと思わなくもなかったが、頭がそれを受けつけなかった。

 なんというか、穂村は人間くさすぎる。悪魔が化けているようには塵ほども見えない。


「嘘だ! だって、穂村先生、前に言ってたじゃないですか。バツイチ子持ちで、月々、養育費を払ってるって。そんな所帯じみた魔王がいますか? 奥さんと子どもの写真も見せてくれた!」


 穂村は目を閉じて腕を組み、うーんとうなる。


「学生結婚だったんだがね。いやに親切にしてくれる女性にょしょうがいると思っていたら、気がついたときには結婚届が受理されていてね。やぁ、あれは謎だった」

「いや、だから、そこじゃなくてですね。なんで悪魔が人間と結婚してるんですかって話です」


 穂村はイタズラっ子のような笑みを浮かべる。


「アンドロマリウスを人間にするときに、ついでに私も人間の体を造ったんだよ。これはクローン技術で造った人間の私だ。本体ではない」


 なるほど。少し納得した。

 どおりで人間くさい。


「つまり、存在としてのあなたは魔王だが、おれたちの知ってるあなたは、ただの人間だと?」

「そういうことになるな」

「……なんで、おれたちのまわりにいるんですか? 狙ったんですか?」

「むろん」


 穂村は大きくうなずく。


「青蘭は私の大いなる実験の被験体だ。結果を見守る義務が、私にはある。いつバレるかとヒヤヒヤしてたが、君たちときたら、まったく鈍い、鈍い。楽勝だったとも」


 ハッハッハッと豪快に笑う。

 この押しの強さは、やはり人ではないからなのか。

 じつは悪魔だったと言われても、なんとなく納得できてしまう。

 思えば、今まで何度も、かなりの危険にあっているのに、穂村だけは死なずにすんだ。ただの強運ではなく、悪魔としての知識や魔法のおかげだったのだろう。


「じゃあ、おれたち、魔界くんだりまで行く必要なかったですよね?」

「いやはや。魔界まで行ったのかね? ご苦労だったな」


 ダメだ。話がかみあわない。


「穂村先生。正直に答えてください。でないと、浄化しますよ?」

「だから、今の私は人間だ。退魔の剣じゃ払えんよ。ふつうの包丁のほうが殺傷力が高い」


 龍郎はグッとこらえて、相手のペースにまきこまれないように努力した。


「魔界で過去のあなたに会った。青蘭のアスモデウスへの再生を止めるためには、快楽の玉を手術でとりだすしかないと、あなたは言った。ほんとにそれ以外の方法はないんですか?」

「ない! いや、あるかもしれないが、それは私の知るかぎりの方法ではない。あるとしたら、神の密命に関係している」


 龍郎は青蘭と目を見かわす。


「アスモデウスが神の密命を受けて、何かをさぐりに行った。その密命の内容ですか?」

「そもそも、天使はノーデンスが造った存在だ。なんのために造ったか、それが肝要。そういうことだ。おそらくはアスモデウスの受けた密命が、そのことに関係している」

「過去のあなたは、天使は蠱毒だと言った。吸収しあって、最後には強力な一人になる。そのために造られたのだと。その謎を解けば、あるいは青蘭のアスモデウス化を止められる?」

「うん。まあ、そう」


 なんだか軽い返事だが、いちおう宇宙の万物の智をきわめたと言われる魔王だ。信用……するしかない。


「つまり、次はノーデンスに会いに天界へ行けと?」


 穂村は首をふった。が、穂村が答える前に、リエルが口をはさむ。


「神の御名を軽々しく口にするな。そして、わが主は人間——ましてや堕天使になど、ご拝謁くださらぬ」


 こっちは正体がバレてから、よりいっそう強硬きょうこうになった。ひらきなおったようだ。


「堕天使……?」

「アスモデウスは堕天使だ。その生まれ変わりも堕天使だろう?」

「うーん……もしかして、ガブリエルはノーデンスの命令で、おれたちを監視してるの?」

「神の御名を軽々しく口に——」

「ああ、ごめん。ごめん。神様の命令?」

「……答えることはできないな」

「やっぱり、そうなんだ」

「答えることはできないと言っただけだ。肯定したわけではない!」

「いや、それしてるのといっしょだよ」

「そうなのか?」


 ということは、ノーデンスに会うためには、ガブリエルを味方にひきこむ、またはだましてつれていかせるのが、もっとも容易だろう。しかし、今のところ、それはできそうにない。もっと懐柔してからでなければ。


 すると、穂村が言った。


「アスモデウスの受けた密命は、クトゥルフの邪神を調べることだった。それが、どの神なのかまでは、私にはわからないのだが。邪神サイドを調べていけば、何か発見があるかもしれないぞ」

「なるほど。ノーデ……」


 言いかけてから、ものすごい目でガブリエルににらまれて、龍郎はあわてて言いなおした。


「神の思惑を測るには、邪神の何が知りたかったのかを知ることが重要になってくるわけか」

「さよう。ところで、タイムリーに私の以前の教え子から、文が届いたのだよ」

「文……」


 今どき、手紙を文と言う人を初めて見た。


「手紙ですか。珍しいですね」

「何やら地元で遺跡のようなものが見つかって、大騒ぎになっているらしい」

「遺跡?」


 龍郎はふたたび、青蘭と目を見かわす。青蘭のアイコンタクトはアイラブユーと言っている気がするが、龍郎のほうは異なる意味をこめたつもりだ。


 以前、このM市のなかでも遺跡が見つかったことがある。それはクトゥルフを崇めるための超古代の産物だった。もしかしたら、そういうものではないか……という意味だ。


「それ、どこですか? 行って調べてみたいですね」

「そうだろう? 私も同行してやってもいいぞ? もちろん、旅費はそちら持ちでな」

「ええと……青蘭、いいかな?」

「別にかまいませんよ。ついでに観光しましょう」


 青蘭はわずかの旅費のことなど気にしない。気軽にうなずく。

 すると、穂村がニヤニヤ笑う。

 龍郎はイヤな予感をおぼえた。


「それ、どこですか?」

「何、それほど遠くじゃない」

「北海道? それとも沖縄ですか?」

「バリだ」

「バリ?」

「バリ島だよ。インドネシアの」

「…………」


 まさか、海外旅行をねだってくるとは思わなかった。これは、予想外。


「まあ、しかたないですね。遺跡は調べてみたいです。行きましょう。いいね? 青蘭」

「龍郎さんといっしょなら」


 ベルサイユから長々、魔界を旅して、やっと現実世界に戻ってきたというのに、またすぐに旅立たなければならない。


 次はバリ島。

 クトゥルフの邪神について調べるために——





 第七部 完結

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