第2話 魔界行 その四



 それにしてもデカイ。

 石筍のかげからでは、巨人のすねあたりまでしか見えない。

 もしも見つかって、あのたくさんある腕でつまみあげられれば、戦う前に、ひと飲みにされてしまいそうだ。


 緊張しながら、龍郎は巨人が通るのを見守った。

 早く通りすぎてくれるのを願う。

 だが、なぜか、巨人は龍郎たちのすぐそばまで来ると、そこで立ちどまった。

 見つかったのだろうかと、ドキドキする。


 いや、違う。

 巨人が目にとめたのは、龍郎たちではない。ぬがせたあと放置したままの青蘭のドレスだ。

 たしかに派手な服だし、布の面積も広いから目にはつきやすい。


 服があるということは、それを着ていた者もいるはずだと巨人が考えるだろうか?

 人間なら、当然、そう思考する。

 そして侵入者を探す。


 もっといい隠れ場所がないかと、せわしなく視線を流す。が、近くに這っていけるような岩や壁はない。

 せめて、なるべく小さくなって、巨人に気づかれないよう祈るしかなかった。


 それにしても、巨人はいやに長い時間、ドレスを見つめている。


 そのうち、巨人はその場にひざまずいた。長い腕を伸ばして、それをつまみあげる。いくつもの手から手を経由したのち、比較的に細い繊細な作業にむいていそうな腕で持ちなおす。

 どうやら、ドレスを気に入ったようだ。大切な宝物のようにして、そっと両手の内に包みこんだ。

 自分が着るわけでもないだろうに、いったい、あれをどうするつもりだろう?

 それとも服だとすら思わなかったとか?


 なんにしろ、巨人はドレスをひろいあげると、満足したようで、そのまま、また歩きだした。

 ドシン、ドシンと足音を立てて闇のなかに消える。


 龍郎は、ほっと吐息をついた。

 さっきの巨人のようなものが、ほかにもいたら困る。

 ひとまず岩陰の多いほうへ逃れていった。

 すると、目の前にくしの歯状に石柱がならんだ。鍾乳石と石筍がつながって柱のようになったものだろうと思ったが、それにしてはキレイに等間隔にならんでいる。

 部屋……いや、牢屋のようだ。


(ここ、もしかして、人工的に造ったものか? もちろん、造ったのは悪魔だろうけど)


 じっと、なかを透かし見た。

 ただの黒い闇のように見えていたところに、ぼんやりと何かが浮きあがる。

 人がいるのだ。

 魔法使いのような服装をした、長い白髪と白髯の老人だ。不思議なことに、どこから見ても人間に見える。凶暴そうではないし、むしろ知的なふんいきがあった。


 思いきって、龍郎は声をかけてみた。

「ご老人。あなたは、ここに囚われているのですか?」


 老人がこっちをかえりみた。

 西洋人の顔立ちだ。

 日本語では通じないかもしれないと思い、英語で同じことをたずねてみる。


 老人はひじょうに驚いた表情で、しばし龍郎たちをながめていた。五分は凝視されたのではないかと思う。


「……誰だ? おまえたちは?」


 老人の言葉は英語ではなかった。中国語、ハングル語、フランス語、ポルトガル語のようでもない。これまでテレビなどで聞いたどの言語とも違う。

 ありがたいことに、それでも意味はわかった。テレパシーのようなものだろうか。耳で聞こえてくるのは知らない言語だが、字幕のように意味が視覚的に理解できる。


「ただの人間です。マダム・グレモリーの世界で滝から落ちて、ここに来てしまったんですが」

「ただの人間なものか。ここはリンボだ。タルタロスとも言う。魔界の最下層にある奈落の底。地獄の罪人を幽閉するための牢獄の地。ここへ来る者はよほどの宿命を持つ者のみ。それも人の身ならば、なおのこと」


 まあ、そうだ。

 青蘭はほんとは天使だし、龍郎だって体内に賢者の石の片割れを宿しているのだから、ただの人間とは言えない。


「説明をすると長くなるので。そうですか。魔界のなかにも牢獄があるんですね」

「ここにつながれたが最後、二度と出ていくことはできない。永劫の孤独と無聊ぶりょうへの呪縛だ」


 それは苦痛をともないはしないが、なかなかに苦しい罰だ。一年や二年ではない。千年や二千年ですらない。未来永劫に続くとなれば。寿命が長ければ長いほどツライ罰になる。

 老人は果たして、どれほどのあいだ、ここにいたのだろうか?


「では、さっきの巨人は?」

「あれは獄卒だ。囚人が逃げださんように見張っておる」


 そう言えば、ヘカトンケイルはタルタロスの獄卒だったなと、龍郎は思いだした。

 龍郎たちは囚人ではないが、やはり見つかれば襲われるかもしれない。


「おれたちは魔王フォラスを探しているんですが、心当たりはありませんか?」

「さあ。知らんな」

「では、マダム・グレモリーに、もう一度会うために、どこへ行けばいいかご存じありませんか?」


 老人は首をふった。

 しかたあるまい。


「そうですか。とにかく、まずはこの場所からぬけださないといけませんね。この牢獄から脱出する方法を知りませんか?」


 これには答えがあった。


「ここに囚われている者は皆、本来の力を封じられているでな。力をとりもどせば、次元を飛びこえることはたやすいのだが」

「次元ですか」

「さよう。ここはタルタロスという一つの世界だ。獄舎全体が閉ざされた結界のようなもの。物理的な出口はない」


 つまり、龍郎や青蘭が自力で脱出することは不可能ということか。

 あるいは——


「これまで結界は、それを生みだした術者を倒せば打ちやぶることができました。ここは、そういうものではないのですか?」

「タルタロスは一柱の魔法で構築された単純な世界ではない。魔界のすべての王が最下層の牢獄として利用するために造った共同の結界だ」

「なるほど」


 魔界に何人の王がいるか知らないが、ソロモンがあやつった魔王でさえ、七十二柱と言われる。そのすべてを倒すことは容易ではない。


「では、ここをぬけだすためには、協力が必要ということですか。世界から世界へ飛ぶ力を持っている者の」

「そういうことになるな」

「たとえば、あなたの?」

「さよう」

「おれがあなたをここから出せば、協力してもらえますか?」

「してもいいが、さっきも言ったとおり力は封じられておる。とりもどさんことにはな」


 なんだか魔界へ来たのに、フォラスの手がかりさえつかめず、やることばかり増えていく気がする。


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