第2話 魔界行 その二
わたくしの結界のなかになら、つれていける——とマダム・グレモリーは語った。ということは、ここはまだマダムの王国だ。
ここからフォラスの領域に行くには、どうしたらいいのだろうか?
「もうちょっと詳しく、マダムに聞いておきたかったな。急に消えてしまうなんて、ちょっと無責任だと思わないか?」
「悪魔だから、しかたないんじゃないの?」
「まあ、そうだけど。それにしても、不思議だけど、けっこう綺麗な世界だなぁ。魔界って、もっと暗くて不気味なところだと思った」
ルリム・シャイコースの世界は、いかにも邪悪で薄気味悪かった。それにくらべれば、この世界は月光に照らされ、ほのかに明るく、美しい。
結界はそれを作る者の内面を表しているのではないかと思う。
しかし、青蘭は言う。
「あのマダムは僕を見る目つきが好きじゃない」
「そう? 優しそうに見えるけど」
「あれは嫉妬に狂った女の目だ」
「ふうん」
青蘭ほどの美貌なら女でも嫉妬するだろう。龍郎は深く考えなかった。
歩いていると、廊下の奥のほうに人の声が聞こえてきた。誰か住人がいるらしい。マダムの世界の住人だから、低級な悪魔かもしれないが、とにかく、もう一度マダムに会って、フォラスの領域へ行く方法を聞きたい。そのためには、マダムの居場所をつきとめる必要があった。
どうやら、この建物は中心が滝になった吹きぬけで、外側にむかって廊下と部屋が伸びていくドーナツ状の間取りだ。上下の階への階段は、回廊部分に一定間隔で点在している。
龍郎は声のするほうへと廊下をまがった。建物のなかのはずなのに、廊下の壁がレンガになり、やがて広場に出た。中世の街並みだ。広場に大勢の人が集まっていた。中世の衣服だが庶民的だ。顔は人間ではない。ベルサイユ宮殿のなかで青蘭をさらった連中のように、獣の頭部と尻尾や翼のついた半獣人だった。
獣人たちは楽しげに歌い、踊っている。だが、こっちを見ると、とたんにキーキーと金切り声をあげた。
「罪人だ! 罪人が来るぞ!」
「捕まえろ! この悪党め!」
蟻のようにたかってきて、龍郎と青蘭をとりかこんだ。
「罪人? なんのことだ? 離せ。おれと青蘭に何する気だ?」
反論の声など聞いてくれるそぶりもない。みるみる四方八方から手が伸びてきて、龍郎たちは広場の中央へひきずられていく。
広場の中央には噴水があり、その前には禍々しいものが置かれていた。
ギロチンだ。
人間の首を落とすために開発された巨大な処刑台が、あたりまえのように目の前にある。
悪魔たちは、しきりに獣じみた声でさわいでいた。
「皆の衆。どう思われるか? 彼らは有罪か? 無罪か? 彼らは大勢の我らが同胞を無に帰してきた。彼らに亡きものとされた同胞は一万をくだらぬぞ」
「悪魔殺しだ!」
「悪魔殺し!」
「有罪だ。有罪ッ!」
なるほど。悪魔殺しと言われれば、たしかに数えきれないほどの悪魔を殺してきた。魔王ですらやった。
悪魔にしてみれば、
だからと言って、悪魔が人間を殺したからと言って、人間殺しとして罰を受けるだろうか?
(あっ、そうか。だから、おれたちやフレデリックさんみたいなエクソシストが退魔してるんだよな。それって私刑みたいなもんか)
そんなことに関心している場合ではなかった。この状況をなんとかしなければ、ほんとに処刑されてしまう。首が落とされてからでは後悔もできない。
マダムの世界のなかだから、あまり目立ったことはしたくなかったが、こうなってはいたしかたない。
龍郎は右手をかかげた。
すると、まぶしい光があたり一帯を埋めつくす。
悪魔たちは悲鳴をあげ、光のなかに溶けていく。
残る悪魔たちはあわてて逃げさった。
遠巻きにこっちを見ている。
「悪魔殺し」
「悪魔殺し」
「天使みたいなつらしやがって」
「死ね」
「呪ってやる」
悪魔の一匹が石をなげてきた。
まわりにいたやつらがみんな、それをマネしてくる。
ギロチンの次は石つぶての雨だ。
龍郎は青蘭の肩を抱いて、大急ぎでその場から駆けさった。
奥のほうから悪魔がさわぎにつられて間断なくやってくるので、しかたなく、さっきの滝のある吹きぬけのほうへ走っていった。
さっきのことで、悪魔たちはますます怒り狂ったようだ。話しあいなどできる状況ではないし、龍郎と青蘭が悪魔殺しであることは事実だ。そもそも話しあいも成り立たない。
敵地のどまんなかに二人きりでいるのだと、龍郎は痛いほど感じた。
「青蘭。大丈夫?」
「うん。なんとか」
「しまったな。あっちからも来る」
「はさまれたよ」
吹きぬけのところまで逃げてきたものの、両側の廊下から、すでにたくさんの悪魔が集まってきていた。
ここにいるすべての悪魔を退治することも、できなくはない。龍郎と青蘭が手をつなげば、二人のなかにある快楽の玉、苦痛の玉が共鳴しあい、視界の届く範囲の悪魔を浄化できる。
しかし、それらはマダム・グレモリーの配下だ。さっきはしかたなく悪魔を滅してしまったが、大量虐殺すれば、マダムは完全に敵にまわる。
みるみる、回廊の手すりのところまで追いつめられる。それでも、物量で押してくる圧力はいっこうにやまない。手すりがギシギシと軋んだ。
「龍郎さん!」
「青蘭。手を——」
龍郎はしっかりと青蘭の手をにぎりしめた。
その瞬間、手すりは重みに耐えきれず粉砕した。
激しい滝の流れのなかに、龍郎たちは落ちていった。
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