第2話 魔界行
第2話 魔界行 その一
魔界——
それがどんなところなのか、龍郎は知らない。
結界の集合体なのだとしたら、おそらく、思念の世界だ。そこを統べる魔王の趣味嗜好が強く反映する世界だろう。
一つの結界のなかで通用する法則が、次の世界でもまかりとおるとはかぎらない。
「どうやって魔界まで行くんですか?」
「わたくしがつれていってあげる。自分の結界のなかへなら、いつ、どこにいても帰ることが可能だから」
「なるほど」
つまり、魔界の一部を作った魔王なら、いつでも行き来が自由ということだ。ということは、龍郎たちはマダムを怒らせると、二度と人間界に戻ってこれない……ということもなきにしもあらず。
「今すぐですか?」
「当然でしょ? このわたくしが、こんなに親切にしてあげてるのに、この上、待たせるつもり?」
「いや、あの、衣装を変えてきたかったんですが。これじゃ、あまりに動きにくくて」
「あら、あっちじゃ、そのスタイルのほうがモテるのに」
「そうなんですか?」
しかたないので、そのまま、マダムに魔界へつれていってもらうことになった。
「わたくしの手をとりなさい」
言われて、龍郎は青蘭と目を見かわす。そして、片手をにぎりあったまま、もう片方の手をマダムの手にかさねた。
すうっと、エレベーターで下降していくような感覚があった。振動の少ないひじょうに乗り心地のいいエレベーター。景色がぼやけていく。
数瞬のあいだ、意識が遠くなっていたのかもしれない。
気がつくと、室内に立っていた。
ベルサイユ宮殿の庭にいたはずなのに、建物のなかにいる。
しかし、宮殿のどのあたりなのかわからなかった。それほど広い部屋ではない。日本間の感覚で言えば、六畳ほど。バロック調の家具が置かれ、装飾も華やかなので、まだ宮殿の内部のどこかにいるのだろうと考えた。
青蘭と手をつないでいる。が、マダムの姿は見えない。
「あれ? 嘘だったのかな? 宮殿のそのへんに放置された?」
「ああ見えても悪魔だからね。信用できるかどうかはわからない」
困ったことになった。魔界につれていくと口約束だけして逃げていったのだ、と龍郎は思った。
「しかたないな。マダムを探して、もしも見つからなければ今夜は帰ろう。魔王フォラスが生きているかもしれないとわかっただけでも進展だ」
龍郎はとりあえず、外に出るために目についたドアをあけた。
すると、廊下が目に入る。
とても長い。
しかも、やけに薄暗い。電灯がどこにもついていない。
「ああ、会場の鏡の廊下周辺以外は照明が切られてるのか。不便だなぁ」
「…………」
青蘭は黙って、龍郎の背中にすがりついてくる。二人三脚みたいにピッタリよりそいあって、廊下へふみだした。
「こんなところ警備員に見つかったら、どうしよう? 絶対、不審者あつかいされて逮捕される」
「……もしそうなら、リエルに迎えにきてもらえばいいよ。あいつら、警察にも影響力あったじゃない」
「まあ、そうだね。それに迷ったって言いはれば、なんとか」
龍郎は悠長にかまえていたが、青蘭はなんとなく表情が晴れない。
なんだか廊下が、いやにまがりくねっていた。迷路のようだ。かなり歩いたはずだが、いっこうに人と出会わない。
「広いなぁ。どこまで続いてるんだ? 庶民の税金がムダ遣いされてるなぁ」
「ねえ、龍郎さん。変な音が聞こえない?」
「どんな?」
「水の音みたい」
立ちどまって耳をすます。
そう言われてみれば、たしかにザアザアと水道管の破裂したような音が聞こえる。建物のなかでそんな音がするなんて、ありえない。
「変だな。なんだろう?」
音のするほうへ歩いていった。
前方が少し明るんでくる。
電灯だろうか?
急いで、そっちへ向かっていった。
両側を壁に挟まれた細い廊下の奥に、ひらけた場所があるようだ。近づくにつれて水音が増した。トイレが壊れて水が止まらないどころの話じゃない。宮殿のなかを激流が流れているかのような勢いだ。
あやぶみながら、光のなかへふみだす。その瞬間に、龍郎は自分の目を疑った。常識では考えられない光景がそこにあった。
龍郎たちが立っている場所は
でも、すでにそこはベルサイユ宮殿ではなかった。いや、人間の世界のどんな場所でもない。人間にはこんな建物は作れないだろう。
吹きぬけの手すりの向こうは、ナイアガラの滝のような大瀑布になっていた。向こう側の手すりから下が滝なのだ。まさかと思って、のぞくと、自分の足元から下も同様に滝だった。
しかも、天井を見あげると、そこに満月があった。月夜だ。電灯にしては暗いと思えば、光源は月光なのだ。
天井じたいも見あたらず、空が広がっていた。
滝のなかを何かが泳いでいる。首長竜のように見える。滝の底のほうがどうなっているのかは、よく見えない。
「……ああ、もう魔界だった」
「そうみたいだね」
いちおう、マダムは約束を果たしてくれたらしい。
しかたないので、龍郎たちはあてもなくフォラスを探して歩きだした。
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