第2話 魔界行 その九



 ベリトが同胞?

 仲間ということか?


 龍郎が切っ先を止めようと思ったときには、すでに、それはベリトの胸に沈んでいた。


 パァッと強い光が放ち、淀んだ心臓がくだけちった。ベリトの体は粉々になり、光の粒となって、青蘭の口に吸われていく。

 魔神の最期と同じだ。

 これまで倒した魔王や邪神と。


 青蘭の魂が失われた状態でも、吸うのだ。悪魔たちの魔力を吸収しているのが、快楽の玉であるという、ゆるぎない証だ。青蘭の意思には関係なく、それは吸い続ける。


 なんだろうか?

 このゾクゾクする感じ。

 たまらなく不吉な予兆を感じる。


 龍郎が立ちつくしていると、いきなり、イポスが叫んだ。

「おまえは五つ数えるうちに我を止めなければ、後悔する!」


 言うや否や、テーブル上で立ちあがり、青蘭にとびかかった。ガチョウのくちばしを裂けそうなほどひらくと、なかにするどい牙がサメのように何重にも生えている。くちばしを青蘭の腹につっこもうとする。


 いきなり現れて何者かと思ったが、ベリトの仲間だったのだろうか?

 そうだ。きっと、同胞を殺すというのは、そういう意味だったのだ。イポスの仲間を龍郎が殺すと言いたかったのだ。


 だが、イポスは復讐のために青蘭を殺そうとしているわけではない。

 快楽の玉だ。

 イポスはその力を自分のものにしたくなったのだと、直感で悟った。

 青蘭の腹を食いやぶり、玉を強奪しようとしている。


「やめろッ!」


 とっさに右手をつきだした。

 消えかけていた剣が、またくっきりと形をとり輝く。この剣は龍郎の闘志そのものなのだ。


「クケェーッ! 一つ数えるのち、汝は死すだろう!」


 ふりむいたイポスの前足と、龍郎の剣が交差した。十センチはとびだした爪が龍郎の目の間近まで迫る。あとほんの一センチ……いや、数ミリで眼球につきささる——というところで、その動きは止まった。


 ズルズルとイポスはくずれおちる。龍郎の剣が喉に深々とつきささっていた。次の瞬間、光の粒となる。

 それもまた、青蘭の口中に消えた。

 ほんの数分のうちに、二柱の魔王を飲みこんだのだ。


「最後の予言は外れだったな」


 すでに応える者はない。


「青蘭……」


 龍郎は身動き一つしない青蘭の体を抱きあげた。

 今は守れた。

 でも、快楽の玉が青蘭を破滅に導く。

 そんな気がしてならない。


 不安をふきはらうために抱きしめていると、青蘭のまぶたがゆっくりと持ちあがる。


「青蘭!」


 魂が戻ってきたのかと一瞬、喜ぶ。

 が、青蘭の目つきがおかしい。いつもの愛情に満ちた眼差しではない。皮肉に満ちた目つき。出会ったばかりのころの青蘭に逆戻りしたかのような?


「……おまえ、アンドロマリウスか?」

「よくわかったな」


 その独特のガラガラ声。

 まちがいなく、アンドロマリウスだ。

 彼の企みを看破するために魔界くんだりまで来たというのに、まさか当人が現れてくれるとは。


「おまえに聞きたいことがある。おまえは自分の体を使った実験によって、青蘭を造った。そして、できあがった体に快楽の玉を埋めこんだ。快楽の玉は悪魔を倒すたびに、その力を吸収する。おまえは青蘭と快楽の玉を使って、何をするつもりなんだ?」


 アンドロマリウスはニヤニヤ笑うばかりだ。青蘭の顔でそんな笑いかたをされると、青蘭にバカにされているようで胸にこたえる。


「そんなことより、やっかいなところにいるなぁ。龍郎。今、おまえらに死なれちゃ困るから、助けにきてやったんだよ」


 そう言って、アンドロマリウスは、するりと龍郎の腕からすべりおりる。自分の足で地面に降りたった。たしかに、さっきのような戦闘になったとき、自身で危険をさけてくれるだけでも、龍郎にとっては戦いやすい。


「こんなところって……ここがどこだかわかるのか?」

「もちろんだ。タルタロスだろ? おれは初めて来るが、どんなところかは知っていた」

「じゃあ、ここから脱出する方法を教えてくれ」


 今、死なれては困るとアンドロマリウスは言った。裏返せば、今でなければいいということだ。とは言え、が来るまでは、彼は青蘭を死なせはしない。そういう意味では、この魔界でもっとも信用できる相手と言える。


(ここは彼を信じておくか。少なくともタルタロスをぬけだすまでは)


 龍郎はもっとも気になることを聞いてみた。


「青蘭の魂がどこにあるかわかるか?」

「さあ。おれが知ってるころの魔界と、ずいぶん変わったからな」

「そうなのか?」

「おれはあの大戦の途中で戦線離脱した。そのあとのことは知らない」

「ああ、そうか」


 アスモデウスが堕天したとき、アンドロマリウスも仲間の前から姿を消している。その後は人間界をさまよっていたはずだ。


「さっき、ベリトはこの最奥に天使が囚われていると言ったが」

「ベリトは嘘つきだ。ヤツの言葉は百のうち九十九が虚言だ」

「ふうん」


 では、捕らえられた天使の話も嘘なのだろうか?


「その天使を探しに行こうとしてたんだ。それに、囚人の力を封じている魔法装置みたいなものがあるとか」

「魔法? それは嘘だな。タルタロスじたいが封印の地なんだ。ここにいるかぎりは本来の力を失う」

「おまえも?」

「おれは青蘭のなかにいるだけだ。早く戻さないと、青蘭の魂が長く体から離れていると、次の転生に入ってしまうぞ」

「えッ?」

「龍郎。おまえだって、もう気づいてるんだろ? 青蘭の今のこの体は人工的に造ったものだ。さっき、自分で言ったじゃないか。青蘭はおれの実験の産物だ。魂を実験体に植えつけてある。通常の肉体と魂より関係が希薄だ。長期でこの肉体を見失うと、青蘭の魂は自分を死んだと見なすだろう」

「でも、青蘭の魂がどこにあるかわからないんだよな?」

「タルタロスに来てから、急にいなくなったんだろう? だったら、魂はこのタルタロスのなかにいる」

「わかった」


 アンドロマリウスは油断のならない相手だが、とりあえずの水先案内人を得た。


「じゃあ、しらみつぶしに青蘭の魂を探すよりないな。脱出するのは、そのあとか」

「あるいは、リンボかもしれない」

「リンボ?」


 そう言えば、さっき、ベリトが言っていた。ここはリンボ、またはタルタロスとも呼ばれていると。


「リンボとタルタロスは別物なのか?」

「ああ。とても近い場所にあるが、厳密には別の場所だよ。リンボはタルタロスの一部だ」

「一部。日本のなかの東京都、みたいな?」

「アメリカ合衆国のなかのニューヨークのような」

「なるほどね」


 位置関係はわかった。

 でも、わざわざ、わけて考えられるのには、何か理由があるはずだ。


 アンドロマリウスはうそぶいた。


「タルタロスは奈落。静かな地獄だ。そこに堕とされたものは死を願う。だが、そのタルタロスの囚人でさえ、リンボへ行くと、タルタロスへ帰してくれと泣きわめく。リンボは地獄のなかの地獄。罪人が永劫の責め苦にもがき苦しむ贖罪しょくざいの地」


 なんだか、行くのをためらうようなところだ。それでも、青蘭の魂があるというのであれば、行かなければならない。




 了



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