第5話 辺土 その四
朱金色に輝くマグマの奔流。
陸上での溶岩流は毎時三メートルていどだ。人間が歩いて軽く避難することができる。
だが、今はそれどころではない。自動車が猛スピードで突進してくるくらいの速度はある。
ヘカトンケイルにあせっているようすはない。平然と歩き続ける。
龍郎と青蘭は抱きあいつつ、ヘカトンケイルの手のひらにすわりこんだ。ふりおとされないよう、ヘカトンケイルの指に片手でしがみつく。
それに気づいたのか、ヘカトンケイルは龍郎たちを落とさないように別の手で覆いを作る。
やがて、マグマがヘカトンケイルの足元まで来た。
かなりの速さで巨人の足のあいだを流れていく。マグマの川のなかに立ち、ヘカトンケイルはそれでも前へ進もうとしていた。
マンドラゴラは悲鳴を発しつつ、みるみるうちにマグマに飲まれていく。
「これ、おれたち徒歩だったら死んでたな」
「うん。マグマって千度の高温なんだって」
「ヘカトンケイルは平気みたいだ」
「悪魔だから、人間と体の作りが違うんだよ」
ヘカトンケイルの足は膝までマグマにつかっている。
胸の高さにいる龍郎たちでさえ、焼けるような熱気を感じた。
「このマグマ、どこからどこへ向かってるんだ?」
ただの地下水流のようなものだろうか?
地獄だから水のかわりにマグマが流れているのか……。
流れはさらに激しくなっていく。
さしも巨体のヘカトンケイルでさえ、逆らって進むことが困難になってきた。ジリジリと、だが着実に押し流されていく。
「マズイな。流されてる」
「溶岩流相手じゃ、僕らにはどうしようもないよ」
まったく青蘭の言うとおりだ。
なすすべがない。
早くこの赤い川が通りすぎ、始まりと同様に、とうとつにやんでくれることを願うことしかできなかった。
しかし、願いも虚しく、溶岩流はますます大量になり、かさを増す。
ヘカトンケイルが足をとられた。
早瀬に飲まれるように流されていく。それでも、龍郎と青蘭をつかんだ腕だけは高く上げて、マグマにつからないようにしてくれている。
それは、たぶん、龍郎のためではなく、青蘭のためなのだが。
そのまま、かなりの距離を流された。
前方が妙にギラギラしてくる。熱気も耐えがたい。
ようやく、ヘカトンケイルがでっぱった岩をつかんで立ちあがった。
ぐっと視線が高くなり、龍郎は輝く熱気の正体を知った。
ほんの五メートルさきで地面がなくなっている。そこからさきに、がっぽりと大きな穴があいているのだ。マグマはその穴に流れこんでいる。
地獄の底の大鍋だと、龍郎は思った。
真っ赤に焼けたマグマが渦を巻いて流れこみ、そのなかを亡者や悪魔らしきものが悲鳴をあげながらグツグツとまわっている。
阿鼻叫喚だ。
人間なら一瞬で燃えつきてしまう高温で焼かれながら、彼らは、しかし消滅することはないようだ。
永劫に続く責め苦である。
もう少しだけ、ヘカトンケイルの起きあがるのが遅ければ、龍郎たちもあの仲間入りだった。
「……これ、きっと、悪魔たちの処罰の地だ。ほら、見て。龍郎さん。天使みたいなのや、邪神の奉仕種族もいる。亡者はさっきの迷いこんできたヤツらなんだろうけど」
「そうだな。タルタロスの牢獄にいた連中が、逃亡しようとしたり、手に負えなくなると、ここに投げこまれるのかもしれない」
天使に見えるのは、あの大戦で負けた堕天使たちではないだろうか。
ルシファーとともに戦ったという堕天使たち。
どの顔もゆがんでいる。
その表情を見るだけで、筆舌につくしがたい苦痛なのだとわかった。
ここに堕とされるくらいなら、まだしも一騎討ちにやぶれて苦痛の玉に吸われたルシファーは幸せなんじゃないかと、龍郎は考えた。
ずっと聞こえていた獣の咆哮のようなものは、この煉獄で苦悶する彼らの叫び声だったのだ。
その中心にほのかに星のまたたきが見えた。煮えたぎるマグマの海を透かして、別の世界が見える。
(あれ? これ、見たことがあるぞ)
どこかで見た。
どこでだったろうか?
地獄の風景になど、おぼえはないはずなのだが。
(そうだ。六路村で、輪廻の井戸とつながっていた。転生をつかさどる六道の渦……)
輪廻の道と死は紙一重でつながっているのだと、そのとき龍郎は悟った。
だから、死の匂いの濃い場所は、必ずそのさきに六道へと通じているのだと。
(この処刑場。永遠の拷問ってわけじゃない。永遠に近いほど長い時間をかけて、ゆっくりとだけど、消化している。ここに堕とされた連中は、いつかその存在を溶かされて、最後にはあの渦の中心から、六道に入っていくんだ)
六道とは、死のエネルギーを吸収できる場所に現れるものなのだろうか?
なんだろう。
渦の中心を見ていると、胸がざわざわする。
あの六道のさきで何かが呼んでいるような、そんな気がする。
「龍郎さん!」
急に耳元で、青蘭が大きな声を出した。龍郎は我に返った。
「あ……ああ?」
「しっかりして。今……」
「え? 何?」
「自分から身をなげそうに見えたけど」
「まさか。ちょっと目がくらんだだけだよ」
「そうだよね……」
龍郎は幻惑をふりはらうために頭をふった。
なぜか、いつか、そのさきに行くのではないかという妙な確信をいだきながら……。
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