第6話 無限階段

第6話 無限階段 その一



 マグマのうねりのなかに、ヘカトンケイルの姿は見えなくなった。


 青蘭が泣いている。

 あれほど、人を信用しなかった青蘭が。

 ヘカトンケイルの純情は一直線に届いたのだ。ちょっと羨ましい。


「青蘭」

「うん。行こう」


 青蘭は龍郎の手をにぎりしめてきた。

 龍郎もにぎりかえして歩きだす。


 螺旋階段が続いていた。

 暗闇のなかに、気が遠くなるほど長い岩をけずった階段が、グルグルと円を描いていた。ところどころに、あの光る虫が少数だがひっついていて、ぼんやりと照らしている。


「これ、ずっと続いてるのかな?」

「どうだろう。でも通路として造られたものなら、どこかに出口はあるはずだ」


 とにかく、のぼっていくしかなかった。下方には地獄の大鍋が待っているのだから。


 まるで塔の内部のような螺旋階段だ。せまい幅で、かなりの急カーブが続く。

 三十分も歩くと、青蘭は根をあげた。


「龍郎さん。ちょっと休もうよ」

「……そうだね」


 階段ばかりの徒歩三十分は、たしかに成人男子でも疲れる。

 青蘭は筋力はあるが、持久力には欠けている。あまりムリをさせても、のちのち、しんどくなるだけだ。


 二人ならんで階段に腰かけた。

 女のように細身の青蘭でさえ、ならぶとピッタリ密着する。

 これではヘカトンケイルのような体の大きな生物は、それだけで進むことができない。

 なんとなくだが、ここをぬけださせまいとする意思が世界のありかたに影響しているような気がする。


「青蘭、お腹へらない?」

「え? ぜんぜん」

「やっぱり。じつは、おれも」

「時間の経過が人間の世界と違うんだと思う」

「そうだね」


 リンボでマグマに焼かれている者たちは、きわめてゆっくりとしか時が進行していないようだった。ほとんど止まっているように、一瞬がひきのばされている。

 それでも体感的な時間は、それなりに経過しているように感じる。

 孤独と退屈に押しつぶされそうになるタルタロスの囚人の気持ちが少しわかった。青蘭といっしょでなければ、耐えられなかった。


「青蘭。しりとりしよっか?」

「どうして?」

「気をまぎらわせるために」

「うん。いいよ」

「じゃあ、青蘭が好き。青蘭の番だよ。『き』からね」

「龍郎さん、ズルイ。僕も、龍郎さんが好き」


 と言ってから、青蘭は何やら小悪魔的なひらめきを得たらしい。急に瞳が輝いて、龍郎にしなだれかかってきた。そして、そっと耳元でささやく。


「……キス」


 全身の血が頭に集まってくる。

 たぶん、明るい場所で見たなら、龍郎の顔は真っ赤になっているだろう。

 ごまかすためにわめいた。


「好き!」

「キス!」

「好き!」

「キス!」

「好き!」

「キス!」


 叫びあって、どちらからともなく笑いだす。なんで地獄の底で、こんなバカップルぶりを丸出しにしているのか。

 笑いながら見つめあい、しだいにたがいの唇がひきよせられる。

 そっと、ふれあわせていたときだ。

 近くから獣のうなり声が聞こえた。


「……なんだ? 今の」

「いいとこだったのに!」

「そんな場合じゃないよ。このへんに動物がいるのかも?」

「犬猫みたいな可愛い感じじゃなかったよね」


 そう。小動物のようではなかった。

 少なくとも虎かライオンくらいの大きさの……。


 グルルルルル——


 ふたたび、うなり声。

 その音の源を探して、龍郎は周囲を見まわした。


「龍郎さん。あれ」


 青蘭が指さしたのは、階段の下方だ。

 カーブのせいで、さきが見えなくなる端っこに、赤く光る双眸がのぞいている。両目のあいだの間隔や床からの高さを見れば、体高二メートル、全長はおそらく五メートルばかり。

 姿は闇に沈んで見えない。


 龍郎は青蘭の手をひいて立ちあがった。いつでも逃げだせるように、かまえる。だが、その獣が本気でとびかかってくれば、ひとたまりもないだろう。


 赤く光る目をにらみつけた。

 右手のなかに、自然に退魔の剣が現れる。龍郎が戦う意思をかためたからだ。


 やがて、ゆっくりと、それは近づいてきた。天井からボトリと光る虫のかたまりが落ちてきて、その姿がハッキリと見えた。


「ケルベロス……か?」


 冥府の門を守る番犬、ケルベロス。

 三つの頭を持つ犬だと言われている。

 しかし、目の前にいるのは、それに似て非なる獣。

 ひじょうに大きな狼だ。

 狼の背に一対の翼がある。

 この場所が地獄だからケルベロスだと思ってしまったが、違うのかもしれない。


 それは、いきなり襲いかかってきた。数段とびで階段をかけあがってくる。するどい爪と牙、真っ赤な口中が、またたくまに眼前に迫る。


 龍郎は剣を盾がわりに前につきだす。

 狼は背中の翼をはばたかせ、空中に浮きあがって、龍郎の剣をかわした。

 この剣しか龍郎たちの身を守るすべはない。あわてて、つきだした剣を縦に持ちなおし、体にひきつける。

 頭上からの襲撃にそなえて、上段にかまえた。


 が——

 狼はとつぜん、落下した。

 見れば、四つの足すべてに足かせをつけている。その重みで長くは飛べないのだ。


「今だ。逃げよう。青蘭」

「うん」


 龍郎は青蘭の手をひいて、階段をかけあがった。

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