第6話 無限階段 その四



 光のなかに映像が見える。

 純白に輝くような美しい天使は、アスモデウスだ。優しく微笑みながら、誰かと話している。


 いつもの苦痛の玉の持ちぬしだろうか?

 アスモデウスの恋人だった天使。


「密命を受けて……行かなくては」

「密命? 何をするんだ?」

「それは、言えない。もしも、わたしが帰ってこなければ、別の相手を見つけて」

「そんなことはできない」

「……心配いらない。座天使スローンズが護衛につく」


 そう言って、手をふって去るアスモデウス。

 神の戦車と呼ばれる座天使に乗って、彼は飛び立っていった。

 その姿が遠くなるとともに、映像も薄れた。


 光が消えている。

 あたりから亡者もいなくなっていた。だが、すべてを消し去ったわけではない。周囲数十メートルの亡者が浄化されただけだ。いずれまた、押しよせてくる。


「今のは……?」


 龍郎は困惑して青蘭と、青蘭を支える狼をながめた。

 アスモデウスが乗っていた“神の戦車”——それは背中に翼のある狼だった。今、目の前にいる、この狼だ。


「……僕と、この狼の記憶だと思う」

「つまり、こいつも、もとは天使ってことか?」

「座天使だね」

「えーと、智天使の下の位だったっけ?」

「そう」

「でも、こいつ、人型じゃないけど」

「天使にもいろんな姿があるんだ。座天使は一説に、たくさんの目玉を持った燃えさかる車輪だとも言われてる」

「そうなんだ」


 てっきり冥府の番犬だと思っていたが、とんだ勘違いだ。


 狼の足枷が一つ外れていた。

 狼が頭をふって、龍郎と青蘭に乗れと示す。


 迷っているヒマはなかった。

 階段の下から、もぞもぞと這いあがる集団が近づいている。

 急いで青蘭を抱いて、狼の背中にまたがる。


 狼は翼をひろげ、空中へと飛翔する。

 しかし、足枷が重いようだ。

 浮力を得ようと何度も羽ばたくが、なかなか上昇しない。途中でふらつき、失墜しそうになった。


 眼下で亡者どもが、そのときを待っている。大きく口をあけ、何事か叫びながら腐った両手を伸ばし、龍郎たちを捕まえようとしていた。

 見ていると、亡者の上に亡者が乗り、下にいる者を踏み台にして、じょじょに龍郎たちに近づいてくる。


(二人じゃ重すぎるんだ。このままだと、全員あの亡者のまんなかに、まっさかさまに……)


 ふらつきながらも、狼は進んでいった。彼には空間のほころびが見えているようだ。彼は天使としての“渡り”の能力を失っていない。


 やがて、前方に赤紫のガスの渦のようなものが見えた。恒星が爆発したあとに残るガス雲のようだが、あれが空間のひずみなのだろう。


 狼はその渦の中心をめざす。

 しかし、右に左に傾き、そこまで行きつけないと、すでにわかる。このままでは荷が重すぎる。狼自身だけなら行けるかもしれない。あるいは青蘭を乗せていても。

 足枷がなかったなら、きっと龍郎と青蘭の二人くらい、らくらく運んだのだろうが。


(おれがいなければ……)


 龍郎は迷った。

 ここで自分だけ飛びおり、青蘭を逃がすべきか。

 それとも、どんな苦難もともにすべきか?


 亡者をしかけてきたのが、どんな魔王の仕業なのかわからないが、捕まれば、龍郎はきっと苦痛の玉をえぐりだされる。殺されるかもしれない。

 でも、それだけだ。

 青蘭はそれだけではすまない可能性がある。青蘭のなかにある快楽の玉は、悪魔を魅了し、色情をかきたてる。

 これまでも、そうだったように……。


「青蘭。ふりおとされないように、コイツにしっかりつかまって」

「うん」


 青蘭に両手で狼の首すじの毛をにぎらせた。その上に覆いかぶさるふりをして、龍郎はタイミングを計る。


 亡者の手がほんの一、二メートル下に迫っていた。

 天井だけは高い階段だが、亡者が十数メートルも折り重なっている。亡者のところまでなら、ほんの二、三メートルだ。

 亡者には物理的な体はない。でも、龍郎はふつうに存在するもののようにふれることができる。亡者の上に着地すれば、落下の衝撃はまぬがれる。そのまま捕まって、どこかへつれていかれるだろうが、重傷を負う心配はない。


 思いきって、龍郎は飛びおりた。

 まだ落下の途中で、ひゅっとすぐそばの亡者の手が軟体動物のように伸び、龍郎の服をつかんだ。あっというまに、龍郎の体は亡者の群れのなかにひきずりこまれた。


「龍郎さん!」


 大丈夫だ。

 狼の飛行が安定した。

 あれなら、青蘭だけは逃げだすことができる。


 龍郎が安心して考えた瞬間だ。

 ためらうことすらなく、青蘭が狼の背から身をなげてくる。


「青蘭!」

「龍郎さん!」


 バカ。なんで来るんだ。

 おまえだけでも助かってほしかったのに。


 そう思う一方で、嬉しい。

 二人、どこまでもいっしょだと誓ったから……。


 龍郎の上にかぶさるように、青蘭がおりてくる。龍郎は両腕をひろげ、青蘭の体を抱きとめた。


 二人はともに亡者の海に沈む。

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