第25話 麻酔銃

「ガウ…」

 魔物が唸る。牙を剥き出してこちらを威嚇している。

「黒右衛門、俺を覚えているか?」

「グルル…」

 黒い翼をばたつかせると、生暖かい風が細かい石を巻き上げて頬に当たる。

「木村だ、わからないのか?」

「早く殺れ…は…や…」

 そこまで言うとまたグル…と唸る。この前のようには話せないようだ。大満月スーパームーンだからだろうか。

「悪いが今日は満身創痍なんだ。またにしてくれ」

 そう告げると俺は、白い尻尾で魔物の体をはたいて森へ向かう。

 変身して高揚感に満たされてはいるが、足が痛くて夜回りを全う出来るかどうかも怪しい。今、彼をどうこうする力はない。



「待て…早く…拙者を」

 背後から魔物の声がする。俺は無視して森へ入る。今度はウーッと唸り声がする。

 獣道へ入ろうとしたその刹那、背中に強い衝撃が走った。

「うっ…」

 魔物が俺の背中に噛みついている。地面に転げ回り剥がそうとするが、深く噛みついていて離れない。

「うう…。離れろよ。黒右衛門!」

 彼の人間の部分に呼び掛けるが反応はない。

「ああ…」

 噛みつかれた所から血が滴る。



 その時だった。銃声がして、魔物はキャーンと声を上げた。



「木村さんから離れなさい」

 そこにいたのは、優子さんだった。両手で握っているのは、初めて出会った日に持っていた短銃だ。護身用の麻酔銃だと言っていた。

「優子さん来るな!戻れ!」

 俺はありったけの声で叫んだ。魔物は撃たれた驚きで牙を離し、尻の辺りを気にしている。

「木村さん早く逃げて!即効性は無いの」

「駄目だ。ここを離れることは出来ない。俺は大丈夫だから早く行け!」

 魔物はしばらくの間、体をひねって尻を気にしていたが、やがてこちらを向いた。ガルル…と小さく唸る。…俺の野生の勘が告げる。

「逃げろ!」



 あ…と思った一瞬のうちに彼女は俺の前まで来ていた。俺と魔物の間に立ち、両手を広げる。

「殺りたいなら私から殺りな!狼を傷つけたら許さないから!」

 透明感ある声を張って、啖呵を切る。

「優子さん、どけ!」

 俺は鼻で彼女の太腿を押しのける。

「嫌!一緒に戻らなくてはだめよ。早く手当てしないと」

 彼女は大粒の涙を流して抵抗した。

「退くんだ!」

 叫ぶと同時に魔物が襲いかかってくる。俺は彼女を突飛ばし…無我夢中で魔物の首に噛みついた。



「グ…」

 魔物が呻く。俺は夢中で顎に力を入れる。

 それは数秒か数分の出来事だったが…我に返ると、漆黒の翼を持つ狼はそこに横たわっていた。

「ゆ…う……さん」

 次第に意識が朦朧として行く。どうやら血を流し過ぎたようだ。

「嫌…木村さん、木村さん!」

 優子さんの嗚咽混じりの声が聞こえて、それから何も聞こえなくなった。
















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