第21話 樹洞

 御神木の穴に入り目を閉じる。途端に体液が逆流したような衝撃が訪れた。活力がみなぎって天にも昇る心地だ。おやっさんが言っていた恍惚という言葉を思い出す。

 樹洞は仄かに暖かく、不思議な安心感がある。母親の胎内はこんな感じかもしれない。



「綺麗…。真っ白でフサフサしているわ。しっぽが素敵」

 彼女の匂いを強烈に感じる。兎家のお洒落着洗い洗剤とは別の、雌の匂いだ。

「ここは危ない。もう家へ戻るんだ」

「うん。初仕事頑張ってね」

 白い胴体に彼女が抱き付く。食欲よりも性欲を感じて身体をブルブルと振る。彼女は驚いてわずかに距離を取る。

「上手く理性が保てない。喰われる前に逃げろ」

 俺はアウォーンと遠吠えした。初めての遠吠えはなかなかに気持ち良い。これで辺り一帯に俺の存在を知らしめる事が出来ただろう。

「あら。オバサンの私を食べても美味しくないわよ」

 笑う彼女が欲しい。自分の物にしたい欲望が渦を巻いて頭を左右に振る。そんな俺の葛藤を他所に、背中をそっと撫で彼女が囁く。

「寝ないで待ってるから、無事に帰って来て」



「さてと…出てこいよ。そこにいるのはわかっている」

 御神木を見上げる。暗闇で縦横無尽広がる枝が、わさわさと不気味に揺れる。

 シュッと音を立てて黒い影が目の前に現れた。月明かりに照らされたは、翼を広げた魔物だった。



 ガゥ…と魔物が吠える。

「やっと会えたな。俺は木村。君は?」

 俺は尻尾を立てて強さを誇示する。

「……」

 魔物は首を傾げる。漆黒の美しい毛並みだ。予想していた程の恐怖感は無い。

「名を尋ねているんだ」

 彼はもう一度首を傾げる。言葉が通じていないのだろうか?

 しばしの沈黙のあと、バサッと音を立てて翼を閉じると、魔物はますます狼に似ている。

「はて…。何々…右衛門だったように記憶しているが…どうしても思い出せぬ」

 初めて聞く魔物の声は落ち着いたトーンである。どうやら言葉を忘れてはいないようだ。頭を振って思い出そうとしているのか、次にグルル…と唸った。

「…ではその毛色からとって、黒右衛門クロエモンというのはどうだ?」

 思い付きで言葉を発してから、妙な事を言ってしまったと思う。俺の悪い癖だ。

「…黒右衛門。良い名でござるな。かたじけない」

 だが彼は適当に付けた名を気に入った様子である。


 俺は同じ狼型の魔物に、少なからず親近感のようなものを感じていた。おやっさんの言う嫌な匂いというものもしなかった。むしろ彼からは強そうな雄の、魅力的な匂いがしたのである。





























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