第41話 素数を数えるのも忘れてた


 多くの学校がそうであるように、神之原学園には正門と裏門がある。

 外来受付は玄関側にあるので、部外者は正門から入るのが普通だし、そもそも裏門は基本的に閉鎖されている。

 しかし、門は格子門だ。閉まってても門越しに多少のやり取りは可能。


 だから、学食を出た俺はまず裏門に向かった。


 もし、人目を避けるなら正門より裏門だろうし、単純に距離的にも学食からは裏門が近いので、まずは裏門だ。

 駆け出したいところを我慢して、可能な限りの早歩きで急行する。


 裏門にたどり着いて見れば、果たしてそこにはアルルと紅姫の姿があった。閉ざされた格子門越し、何やら話している。


 やはり、あのメッセージは紅姫に送ろうとしたものだったようだ。


 で、何でアルルは遠路遥々と紅姫に会いにきたんだ?

 それとも紅姫に呼ばれたのか?

 普通に考えれば、忘れ物届けに……いや、住んでる家が違うんだから考え難いな。何にせよ、あのケータイショップでの件で、今はアルルが火尾木村を出てウロつくこと自体がマズいんだよ。 


 注意しようにも……参ったな、見回せばそう遠くない範囲に数名の生徒が居る。このままウカツに紅姫たちに接触するわけにはいかない。

 俺は遠間の物陰に身を隠しながら、さて、どうしたものかと思案していたんだが────。


「……何してるの?」


 ものスゴく冷ややかな声が、ものスゴく不審げに問い質してきた。

 振り返れば、黒髪ロングの魔女が制服姿でこちらを睨んでいる。

 ……いや、制服姿がデフォだし、そもそも彼女は魔女じゃない。

 俺は混乱していた思考をどうにか落ち着け、笑顔を作って呼びかける。


「登河さん、いいところにきてくれた。ちょっと、あそこに居るふたりに事情聴取してきてくれないか」


「……はい?」


 怪訝な顔をさらにしかめながら、登河さんは俺の示した先を見る。

 ……で、輪をかけて不可解そうに眉根を寄せた。


「何でアルドリエルさんが居るの? 彼女、今はあんまり出歩かない方がいいんじゃ……」

「そうなんだよ! たぶん、紅姫が呼び出したっぽいんだが……事情がわからん。だから、何しにきたのか訊いてきてくれないか? 俺が紅姫に近づくとマズいんだよ」


 思わず食い気味に頼み込んでしまったが、彼女は自慢のクールアイズを絶対零度に凍てつかせて睥睨してくる。


「貴方、最近ちょっと気やすいわよ」


 痛いほどキッパリと警告された。

 ああ、わかってるさ。それは確かにその通りだよ。

 こないだの勉強会といい、電話相談といい、馴れ馴れしいのは重々承知しているけれどもだ。


「けど、登河さんも多少の関わりは良しと思ってるんだろ。今だって、わざわざ声かけてくれたじゃないか。関わり合いたくないなら無視すりゃいいのに」


 一気にまくし立てる。

 こういうのは勢いが大事だし、七割方は図星を衝いてると思う。有無を言わせず強引に丸め込めば、たぶん、折れてくれるはずだ。

 思惑通りというべきか、登河さんは、いかにも〝しょうがないわね〟って感じで、あきれの溜め息を吐いた。


 ……のは、いいんだけど。

 

「貴方があのふたりを特別に思ってるのはわかるけど、テンパり過ぎ。近づけないんなら、スマホ使いなさいよ」


「………………そうですね」


 冷静な指摘に、俺は一瞬でクールダウンして頷いた。

 うん、言われて見れば、全くもってその通り。


 何やってんだ俺は────。


 本当に馬鹿らしいやら恥ずかしいやら、猛省しつつもスマホを取り出した俺は、さて、紅姫とアルルのどちらに連絡しようかと考える。


「ねえ、貴方と紅姫さんって、仲が良いわよね」


 登河さんの声は、多分にあきれをふくんでいた。

 またシスコン詐欺師とか嘲笑する気だろうか? まあ、最近は本当に世話になっているし、それくらいは甘んじて受けよう。


「ああ、普通以上には仲良いぞ」

「そうね、見てるこっちが恥ずかしいくらいよ。でも、学校じゃ貴方は従妹をイビリまくってるクソゴミ野郎って言われてる」

「…………女の子が汚い言葉を使うのはよろしくないと思います」

「女子でも男子でもよろしくないわよ。……けど、まあ、だいたい察しがついたわ」


 回りくどいことを……とでも言いたげに睨みをすがめるカグヤ姫。


 まあな、自分でも回りくどいと思うし、姑息なのはわかってる。

 けれども、そのおかげで現状があるんだから、そこのところもんで欲しい。いや、それこそ彼女からすれば、汲んでやる義理なんかあるかよってこったな。


「アオツグ!」


 アルルの声が高らかに響いた。

 明るくも朗らかに張り上げられたその呼び声に、俺は本気で心臓飛び出しそうになった。

 しまった、会話と思考に気を取られれて身を乗り出し過ぎたみたいだ。

 見れば、満面の笑顔で手を振ってくるアルルと、青い顔で狼狽えている紅姫の姿。


 登河さんの盛大な溜め息を傍らに、俺はとにかくアルルに向かって大きく首を横に振り返すと、きびすを返して、早足にこの場から逃げ出した。

 垣間見たアルルの顔は驚いたように呆然と、幸い、さらに呼びかけてくることはなかった。


 ……くそ、しくった。


 最初からスマホで連絡すりゃ良かったんだよ。登河さんの言う通り、テンパり過ぎてた。

 とにもかくにも今は裏門から遠ざかるために歩を進めながら、アルルに何て説明したもんかと頭を悩ませていたら、スマホに着信があった。

 アルルか? それとも紅姫か?

 画面を睨めば、表示されているの賢勇からの音声通話。

 俺は気を落ち着けるために大きく深呼吸。

 さすがに校内で堂々と通話はできないので、人目を避けた場所に急ぎ移動する。


「もしもし、碧継だけど」

『ああ、今どこだ?』

「悪い、ちょっと緊急事態で学食離れてた。その……アルルが学校にきてる。何か紅姫が呼んだっぽいんだが、詳細はわからん」

『……そうか、今一緒に居るのか?』

「いや、一緒に居るのを見られたらマズいだろ」

『まあな、金髪さんはそもそも姿見られるのがマズいしな』


 重ね重ねもその通り。

 俺の焦りは承知の上だろう賢勇は、少し、考えるような間を挟む。


『ウチのオヤジから連絡あってな、その金髪さんの件で色々とわかったらしい』


 続いた内容に、俺は思わず息を呑んだ。


「アルルのことが……?」

『ああ、つっても、素性が知れたってわけじゃなくて、その手がかりって感じだがな』

「……そうか」


 それでも、それが重要な情報であるのは事実だ。


『迎えを呼んである。これからオヤジんとこ行くぞ』

「……午後の授業が残ってますが?」

『奇遇だな、オレもだよ』

「あのな、ただでさえ補習三昧なのに……」

『何を今さらだな。どの道、このまま金髪さんを放っとくわけにもいかんだろ?』


 それはまあ、確かにその通りだ。このまま授業に出たって、アルルのことが気になってマトモに頭に入りはしないだろう。そもそも彼女に関わる情報が得られるなら、それは当人はもちろん、俺にとっても優先すべき重要な事柄だ。


 ただ────。


 正直、彼女の素性を知ることに、少しも不安が無いといえば嘘になる。


『どうする? 金髪さんだけ先に前田組ウチに送って、オマエは放課後に来るか?』


 賢勇の問いに、俺は意識して深呼吸を一度。


「……いや、俺も一緒に行くよ」


 覚悟というよりは、観念を込めてそう返した。


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