第2章 母は貴方の騎士ですから

第9話 背後を取られてたらヤバかった


               ※


 とにかく、真っ暗だった。


 何が起きたのか?

  幼い俺には、ぜんぜん状況がわからなかった。

 突然の衝撃と爆発と、そして暗闇。

 気がつけば、真っ暗な中で誰かが俺を抱き締めてくれていた。しっかりと、守るように抱き締めてくれていた。


『……おかあさん……』

『……うん、大丈夫だよ、碧継……』


 呼び掛ければ、静かに応えてくれた。

 暗くて、何も見えなくて、何もわからなくて、不安で、だから、俺は何度も何度も、呼び掛けた。

 抱き締めてくれるその人が、確かにそこにいるのだと確かめていた。

 呼び掛ければ、優しく応えてくれた。

 だから、呼び掛けた。

 でも、返る声は少しずつ小さく弱くなっていく。俺があまりに何度も呼び掛けるものだから、その人は疲れてしまったのかもしれなかった。


『……おかあさん……』


『………………』


『……おかあさん……?』


『………………』


 真っ暗な中で、俺はずっと呼び掛け続けた。

 とにかく、暗くて、何も見えなくて、だから俺は、繰り返し、繰り返し、呼び掛けることしか出来なかった────。







               ※


 俺はどうにか遅刻することなく登校できた。

 バスの運転手さんは田舎ならではの顔見知り。定刻になっても現れない俺を気づかってギリギリまで待ってくれていたのだ。


 人情の温かさ、世の中悪い人ばかりじゃないんだと感動するべきところだが、どっこい、俺はそれどころじゃなかった。

 バスに揺られている間も、学校に着いてからも、二年B組の自分の席に座してからもずっと、俺は授業を全開で聞き流しながら、ひたすらに脳内会議を繰り広げていた。

 議題は、当然ながら出かけのアルルの宣言だ。


〝……わたしは貴方の母になろうと思う……〟


 いったい何がどうしてそうなったんだ?


〝……わたしは、貴方を守るためにやってきた……〟


 もともとそう言っていた彼女だから、


〝……貴方を守るために、わたしにできることは何なのか……〟


 ずっと考えていたという。

 そこまでは、まあ、わかる。


 ……で、それが何で〝母〟?


 俺の母親になってどうすんの?

 母親になったら、俺の何を守れるってんだ?


 母親ってアレだろ?

 掃除とか洗濯とかしてくれたり、

 ゲームばっかしてないで勉強しろとか叱ってきたり、

 朝起こしてくれたり、弁当作ってくれたり、

 勝手に人の部屋あさってエロ本の隠し場所暴いたり、

 試験前に勉強教えてくれとか泣きついてきたり、

 バレンタインに〝勘違いすんなよ! 義理だからな!〟とかツンデレ気味にスニッカーズくれるような…………いや、落ち着け俺、途中から紅姫いもうとが混ざってる。


 身内に性別・女なのがアレしかいないもんだから混乱してしまったが、とにかく、いきなり〝わたしがお母さんです!〟とか宣言されても対応に困ることこの上もないんだが……。


「……では、次のところを……深空みそら君、読んでください」


 教師に名指しされたので、俺は立ち上がって教科書の該当箇所を淡々と読み上げる。


「はい、よろしい。今の冒頭に記述されているように……」


 頷いて版書きに移る教師に、俺も着席して脳内会議を再開。

 ……ったく、人が考え事してんのに邪魔せんで欲しい。


「オレさあ、オマエのそういうところ、本当に頼もしいと思うぜ碧継あおつぐ


 隣席の賢勇けんゆう欠伸あくび混じりに笑う。


「……? 何がだ?」

「いんや、相変わらず抜け目ねえなって褒めただけ。それより……」


 賢勇が言葉を切ったところで、四時限目終了のチャイムが鳴った。

 にわかに活気づく教室内。


「飯食い行こう。腹減った」

「……ああ、そうだな」


 賢勇に促されて立ち上がる。

 そういえば、朝にコンソメスープみたいなものをひと口飲んだっきりだったな。そう意識した途端に、腹が盛大に鳴り出した。


 いつものように学食へと向かいながら……。


「で? 碧継よ、何を悩みまくってたんだ?」

「……別に」

「別にってこたないだろう。心ここに在らずを通り越して、解脱げだつしてるみたいだったぜ」

「……そんなに露骨だったか?」

「おお、眼え見開いて死んでんのかと思った」


 うーん、まあ、確かに友人に相談してみるのも手ではあるか。


「なあ賢勇、オマエさあ、いきなり〝わたしが貴方の母です〟とかいう女が現れたらどうする?」

「ああ、たまにあるよなあ。でも、そういうのってだいたいが金目当てのかたりか、抗争相手の罠だぜ」

「……ああ、うん、すみません、もういいです」


 相談する相手をクリティカルに間違えた。

 しかし、コイツも苦労してんだなあヤクザの息子。


「親父さんの再婚相手でも現れたのか?」


 続いた賢勇の問いに、俺はしばし口ごもった。


 ……そうか、そういう線も有り得なくはないのか。


 あの金髪さんが何者なのか?

 恋人、婚約者、関係の深さはともかく、クソ親父がどこぞでたぶらかした女を送り込んできた……そういう可能性はある。少なくとも異世界転移してきた女騎士とかよりは現実的だ。


 思考は、だが、騒ぐ腹のムシに阻害された。

 ……まずは昼飯だな。

 どうせ考えてもどうにもならん。帰ってから改めてアルル本人を尋問するしかないだろう。


 学食に到着し、賢勇に席の確保を任せ、俺は食の調達に向かう。

 神之原かみのはら学園の学食は、狭くはないが特別広くもない。普通に混み合い、普通に美味しい、普通の学食だ。

 適当に日替わり定食の食券を二枚購入し、受け取りカウンターに並ぼうとして……。

 ふと、先に並んでいた女生徒が食券を落としたのが見えた。


「これ、落としたみたいだけど?」

「え? あ、どうもありが……」


 振り向き、礼を言いかけた女生徒の笑顔が一瞬で凍りつく。

 ついでに俺の顔も凍りついた。


 うわあ、見て気づけよなあ俺……。こんな〝カグヤ姫〟みてえな髪型の女、他に居ないってのに。


 特徴的な前髪の下で、女生徒の双眸が冷ややかに細められる。

 ……本当、寸前の可憐な笑顔は完全消滅。

 憎悪に満ちた瞳とはこういう眼ですよ……とか、演劇部で参考に見せてやったら喜ばれそうな感じだ。……いや、普通にビビるか? とりあえず俺はビビってる。


 女生徒は一瞬何かを口走りそうになりながらも、どうにかそれを呑み込んだ様子。いったい何を口走ろうとしたのかスゴく怖い。


「……一応、ありがとう」


 彼女は俺の手から食券を取りつつ、心の底から不本意そうに礼を言って背を向けた。


 ……どうするかな。このまま後ろに並ぶのスゲー気マズいんだが。


 かといって、すでに後方には結構な人数が並んでいるし、並び直すのもメンドイし。


 ……まあ、仕方ない。これも自業自得で因果応報だ。


 腹をくくってそのまま並ぶ。


 この女生徒は登河のぼりかわ冬華とうか

 同じ二年生で隣のA組で……まあ、簡潔に言うと〝クソ親父の被害者〟だ。正確には被害者の遺族だが、意味合いは変わらないだろう。


 父・白斗しらとは彼女の家族の仇であり、俺は仇の息子というわけだ。


「……ねえ、貴方また警察沙汰を起こしたって本当?」


 背中越しに響いた冷ややかな問い。


「ネットの噂話とか鵜呑うのみにするのは良くないと思います」

「……そうね。だからこうして当人に訊いてるのよ」

「なるほど、道理だ……。まあ、別に悪さはしてないよ。下校中に武装した不審者に絡まれて、110番しただけだ」

「……ふーん、そう。無事で残念だわ」


 ……うわぁ、ガチで溜め息ついてますよこの子、コワ。


 けど、まあ、正直言って気持ちはわかる。俺だって立場が逆なら同じ反応をするかもしれない。いや、もっと露骨にディスるかな?


「……せいぜい気をつけることね。貴方を怨んでる人って、けっこう居ると思うわよ」


 ……そうだね。差し当たって目の前に居るね。


 実際、今ここで振り向きざまに刺されたりとかも有り得ると思う。そのくらいは怨まれてるし、憎まれているはずだ。


〝……わたしは、貴方を守るためにやってきた……〟


 金髪さんの笑顔が脳裏に浮かぶ。

 もしかしなくても、俺って守られないと危険な感じなのかもしれない。

 ……けど、それこそ母親じゃなくて騎士の役目だよな。


「……本当、わけがわからん」


「は?」


 思わず呟いてしまい、眼前の姫カットが肩越しに睨んでくる。


「……何デモナイデスヨ。ゴメンナサイ」


 殺意の眼光がガチブル過ぎて、俺は片言の敬語で謝罪したのだった。


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