第8話 俺が息子でオマエが母で
翌朝、俺は穏やかに目を覚ました。
差し込む日差しと、鳥の
そんな胡散臭いほど爽やかな朝の光景の中で、しばしぼんやりと……。
……何だか、ずいぶんと良く眠れた気がする。
苦悩とイラ立ちでぜんぜん寝付けなかったはずなのに、いざ目覚めてみれば不思議なまでの爽快感。
疲労のせいで眠りが深かったのだろうか?
俺は大きく伸びをしながら、ふと、そういえばまだ目覚ましが鳴ってないよな? と、枕元の目覚まし時計を手に取って……。
六時五十分という現在時刻に戦慄する。
いつもは六時にセットしている朝のアラームだが、さて、昨夜はちゃんとセットしたっけか? してなかったんだろう。した憶えがない。
通学に使っているバスの発車時間は七時ジャスト。
ドレッドノート級の田舎では、それを逃せば昼近くまでバスは来ない。
俺は鋭い呼気とともに布団を撥ね除け飛び起きる。
幸い、昨夜も着替えずに寝込んだおかげで、身支度はブレザーとコートを羽織るだけで完了。教材をマッハでバッグに放り込んで部屋を出る。
瞬間、俺の意識はほんのわずかの間フリーズしてしまった。
住み慣れた我が家の光景。
差し込む朝日の中でキラキラと金髪を煌めかせて、そいつはゆるりとこちらを振り向くと、穏やかに微笑んだ。
「おはようアオツグ」
柔らかな笑顔、柔らかな声。
優しく包み込むような温かな雰囲気に、俺はハッキリと固唾を呑み込みながら、どうにか声をしぼり出した。
「……おはよう……えっと……アルル?」
思わず疑問形なイントネーションで呼びかける俺に、けれど、彼女はなお穏やかな微笑のままに、手にした小皿を差し出してきた。
「勝手ながら朝食を用意してみたのだ。その……口に合えば良いのだが」
不安と期待とにはにかむような所作は、つまり、俺に味見をして欲しいということなんだろうか?
小皿には
差し出されたままに、小皿に口をつけてみる。
少し強めの塩気、コンソメスープ? 別にマズくはないけれど、美味しいかと言われれば微妙な味わいだ。
俺の反応から察したのだろう、アルルは苦笑気味に小首をかしげた。
「……うむ、いまいちのようだな」
「あ、いや……」
「待っていてくれ、少し調えてみる」
彼女は気合いも新たに鍋に向き直る。
その服装は、昨日から一変していた。
長い金髪は首の後ろで束ねられ、衣服はクリーム色のセーターに焦げ茶色のスカート。そしてやや色褪せた首掛けエプロン。部屋のタンスに仕舞われていた亡き母の古着だろうか? そうなんだろう。実際、適当に着て良いと俺が伝えたのだから問題はない。
問題はないんだけど……。
ただ……そう、母親の古着を着ているからか? いや、でも、俺は母親のことなんて全く憶えていないんだけど……。
何だか、そうして台所に立っている姿がやけに懐かしい雰囲気をまとっているような、そんな気がした。
呆然としていた俺を、青い瞳が不思議そうに見返してくる。
「……? どうかしたかアオツグ?」
「いや、別に何でも……」
ない……ってことはないんだよ! まったりしてる場合じゃなかった!
「悪い! 時間ないんだ! 朝飯は帰ってから食べる!」
帰る頃には夕飯ですが、そんなことはどうでもいい。
迅速に靴を履き、玄関戸に手をかけ開け放つ。
「あ、アオツグ!」
呼びかけてきた声が妙に切羽詰まっていたものだから、俺は半ばツンノメリつつ振り向いた。
「何だ?」
「ああ、その……昨夜からずっと考えていたのだが……貴方を守るために、わたしにできることは何なのか……だから……」
どこか言いにくそうに言葉を淀ませるアルル。
……いや、本当に何だ?
もうバスが出るまで五分もないんだが!
「ごめん、マジで急いでるんだ、用があるなら早く言ってくれ。もしくは帰ってから改めて……」
「アオツグ、わたしは貴方の母になろうと思う!」
ハッキリと良く通る声で、彼女は申し出た。
真っ直ぐにこちらを見つめて、真剣な、そして真摯な表情。
……いや、え? 何言ってんだ?
「母……って、お母さん?」
「うむ、お母さんだ」
「オマエが?」
「そう、わたしがだ」
「俺の?」
「ああ、貴方の」
「お母さん?」
「うむ!」
優しく柔らかな笑顔で、彼女は頷いた。
それはもう本当に、あらゆる全てを包み込むような慈愛の笑顔。
「アオツグ、今日からわたしは、貴方の母になるぞ!」
大きく両の手を広げて宣言する。
それはまさに愛する我が子を抱き締めようとする優しい母の所作そのままに、アルルは穏やかに双眸を細めている。
……正気か?
何がどうしてそんな
わからない。もう一昨日から何もかもわけがわからんが、とにかくだ!
「話は帰ってからだ!」
今はとにかく時間がないんです!
踵を返して駆け出そうとする俺に、アルルが慌てて声を上げた。
「アオツグ!」
「何だよ!?」
「いってらっしゃい」
「…………いってきます」
本当、時間がないってのに!
俺は込み上げた色々な感情に急き立てられるままに、バス停を目がけて全力で走り出したのだった。
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