第23話 四之宮くんの家庭の事情
明けて火曜日。
「……さすがに変じゃね?」
三時限目の授業中のこと。
珍しく目覚めたままの賢勇がそう小声で呟いた。
「……まあ、オマエがちゃんと授業を聞いてるのは変だな」
残念ながら、聞いているだけのようだが。何せノートどころか教科書すら出していない。
「いや、そうじゃなくて。ミカちゃんだよ」
「……ああ」
もう丸二日反応がない。
確かに、過去にもヘソを曲げて数日ダンマリということがなかったわけではないが……。
確かに、今回は少し様子が違う気がする。
その不安を後押す気がかりもあった。
今朝、火尾木村発のバスに、四之宮商店のオトメ婆ちゃんこと
〝……少し、用事があるのよ。お役所とか……〟
そう言って力なく笑っていた婆ちゃん。
実際、役所方面に向かったようなんだが……。
窓の外を眺めながら考えていた俺は、ふと、息を呑んだ。
二階にあるこの教室からは、学校の玄関側が見渡せるのだが、そこに今まさに考えていた人物が見えたからだ。
丁度帰るところなのだろう。
外塀の通用門から出て行く、婆ちゃんの小さな後ろ姿。それは今朝と同じくやけに元気がないように見えた。
……学校にも用事があったのか。
何の用事が……ってのは、まあ、だいたい察しがついていた。
不登校ヒキコモリな孫のことだろう。相談にきたのか、呼び出されたのかはわからないが。
〝……仲良いねえ……うん、仲が良いのは……良いよねえ……〟
こないだの婆ちゃんの寂しげな笑顔を思い出す。
俺は机の下でスマホを操作し、ミカヅキにメッセージを送った。
〝【アオ】ミカヅキ、婆ちゃんとケンカしたか?〟
そもそもミカヅキがオトメ婆ちゃんの孫という確証はない。
全ては状況からの推測と、断片情報からの憶測によるもの。
だが、俺は半ば確信をもっていた。
すぐに既読になった。
けど、反応はない。
しばし待った。
〝【ミカヅキ】〟
本文のない空メッセージ。
俺は立ち上がり手を挙げた。
「先生、突然ビックリするぐらい体調が悪くなったので早退します」
唐突な宣言に、版書きしていた教師は面食らった様子で振り返った。もちろん、俺は構わずにさっさと帰り支度を整える。
すぐにザワつく教室内。また面倒なことになるか? まあ、仕方ない。
教室を出る俺に、無言で立ち上がった賢勇が続く。
早足に廊下を進みながら手短に説明する。
「たぶん、ミカヅキはオトメ婆ちゃんの孫だ」
「あの駄菓子屋か? 今から?」
「ああ、下に婆ちゃんがいた」
「ほいよ。じゃあ、うちのモンに車回させるよ」
「頼む」
学校を出て通りを見渡せば、まだそう遠くない位置に婆ちゃんの姿があった。駆け寄りつつ呼びかける。
「婆ちゃん!」
「……? アオ坊……どうしたの? 授業中じゃないのかい?」
そんな当たり前なだけで何の益にもならない質問は、応えるだけ時間の無駄なので一方的に問い質す。
「孫と何があった?」
「…………」
婆ちゃんの笑顔が、くしゃりと歪んで引き攣った。
「あの子は、何も悪くないのよ……」
婆ちゃんはそう前置いてから、ゆるゆると語り出した。
母ひとり子ひとりの母子家庭。
母は我が子に関心がなく、当然、子育てに熱心ではなかった。
母は自分が楽しむことが大事だった。
母は我が子に接することを楽しめなかった。
母は我が子が中学生になった時に告げた。
〝オマエなんか要らない〟
その子は祖母に引き取られ、以来、ずっと部屋に閉じ籠もったままになりました────以上。
それが四之宮家の家庭の事情。
特別珍しくもない、世間にありふれた家族模様だ。
……つくづく、世の中は世知辛い。
前田組の若衆が運転する車内にて、婆ちゃんが
「婆ちゃんが悪いのよ。婆ちゃん、あの子に何度も何度も、外に出た方が良いよ、学校にいった方が良いよ……って、口うるさくしてきたから」
「だったら、俺は婆ちゃんの三倍はアイツをうるさく叱ってる。婆ちゃんのせいじゃないよ」
学校に来い。
外に出ろ。
甘えんなヒキオタ。
そんな意見なら、俺が普段からもっと
だから、何かキッカケがあったはずだ。
「土曜の昼から日曜の朝だ。何かあったろ? 婆ちゃん」
ゆるりと優しく問い詰める。
婆ちゃんは微かに鼻を鳴らした。
「……停電でね。あの子のパソコンが、壊れちゃったのよ」
「…………」
「何だかね、買い直さないと駄目なくらい壊れちゃったみたいでね。あの子、すごく慌ててね。婆ちゃんに頼んできたのよ」
パソコンを買い直すとなれば安くはない。
ましてあのミカヅキが求めるスペックを満たすものとなるとなおだ。
四之宮商店は火尾木村唯一の商業施設だが、だからって儲かっているわけじゃない。
婆ちゃんは急にそんな金は用意できなかった。
「……だから、素直にお金がないって言えば良かったの。けど……」
婆ちゃんは説得の機会だと思ってしまった。
パソコンがなくてもいいじゃないかと。
この機会に外に出てみたらどうだと。
パソコンがなければ、部屋に閉じこもっても何もできない。外に出るしかないだろうと。
「……そしたらね、あの子、パソコンがないと駄目だって、スゴく怒っちゃったのよ。スゴく、スゴく、怒っちゃったの。婆ちゃんが、怒らせちゃったのよ……」
うつむいた婆ちゃんが声を震わせる。
賢勇が無言のまま婆ちゃんの手を握った。
「婆ちゃんもね、わかってたのよ。あの子にとっては、パソコンがどれだけ大事なものかね。婆ちゃんもわかってた。あの子には、それしかなかったんだもの。ずっと、ずっと、インターネットの中があの子の世界だったんだもの。婆ちゃんも、わかってたのにねえ……」
重ねた賢勇の手に、ポロポロと滴がこぼれ落ちている。
……だいたい、事情はわかった。
そういうことなら、話は単純だ。
要するに、先輩として甘えた後輩の根性を叩き直す。そういうことだ。
やがて四之宮商店に到着した車輌。
運転席の若衆に婆ちゃんのことを頼んで、俺と賢勇は車を降りた。
「アオ坊……」
婆ちゃんに呼び止められる。
振り返れば、婆ちゃんはまだ泣き顔のまま。
「あの子を、助けてあげて……本当は、婆ちゃんが助けてあげないといけなかったのに……こんなことに……」
助ける……かあ。
正直、引きずり出してくるつもりだったんだが、一気に難易度が上がった感じだな。
……けど、婆ちゃんにはガキの頃から世話になってる。
「まあ、やってみるよ」
満面の笑顔を浮かべて返す。
気を抜くと苦笑に変わりそうな張りぼてだけどな。
深呼吸して気を締めつつ。
俺たちはシャッターの下りた店先を横切って玄関に向かう。
ここの住居側に回るのは初めてだった。
表札には名前がふたつ。
〝四之宮留子〟そしてその下に書き加えられた〝三日月〟の三文字。
「ミカヅキって本名だったのな」
「みたいだな。普通に厨二ネームだと思ってたよ」
俺は婆ちゃんに預かった鍵で玄関を開けた。
「ごめんくださーい、ミカヅキくーん! 居ますかー!?」
わざと間延びした大声で呼びかけつつ中に入る。
反応はない。ま、そうだろうな。
俺たちは構わずに二階への階段を上る。
上がりきれば短い廊下。
右手が窓、左手と正面に扉。左が三日月の部屋らしい。
俺は扉に手をかけたが、案の定、鍵が掛かっていた。
我が家と負けず劣らずの古い安普請の引き戸。ブチ破ろうと思えば可能だが、さすがにそれは最終奥義としておこう。
なので、次はノックしてモシモシだ。
俺はガンガンと扉を叩いて呼びかける。
「おら! ミカヅキ! 親愛なるアオ君が直々に謝りにきたぞ! さっさと出て来い! いいか? 五秒で反応がなければ蹴破るからな! いーち! にーい!」
「……ヤクザの取り立てみたいだ」
本物のヤクザに言われるとは少しショックだ。
苦笑しつつ数えたカウント四で、スマホにメッセージがきた。
〝【ミカヅキ】青菜に四に来た〟
「…………」
アオなにしにきた……かな?
ともかく、反応があったのは
「だから謝りにきたんだよ。オマエがぜんぜん返信しないから直接きたんだ。極マラ行けなくてゴメンて。頼むから赦してくれよ」
〝【ミカヅキ】だめだ〟
「何で?」
〝【ミカヅキ】PC逝った。もういっしょに遊べない〟
……はぁ、やっぱそれか。
「オマエ、それで焦って婆ちゃんにパソコンねだったのか? アホか、別にゲーム以外でも普通に遊べるだろうが」
〝【ミカヅキ】遊べない〟
〝【ミカヅキ】ボクはゲームでしかいっしょに遊べない〟
「何で?」
〝【ミカヅキ】ボクの世界はここだけだ〟
……ヒキオタの泣き言なのに、字面だけ見ると無駄にカッコイイな。
「ふざけんな厨二病。外に出てくりゃいくらでも遊べる。こないだも、店に俺らがきてたのそこから見てただろう? だったら下りてくりゃ良かったんだ」
〝【ミカヅキ】無理〟
「だから、何で?」
〝【ミカヅキ】リアルはこわい〟
「オマエ……」
〝【ミカヅキ】リアルはにげられない。ログアウトできない〟
〝【ミカヅキ】アオもわかってる。リアルはこわいのわかってる〟
〝【ミカヅキ】無理〟
まあ……な。
現実は世知辛い。それは確かな事実だ。
「…………わかったよ。けど、じゃあどうすんだオマエ。婆ちゃんがパソコン買い直してくれるまでこのままか?」
反応には、少し間があった。
〝【ミカヅキ】無理。おばあちゃんヒドイこといった。ボク怒らせた〟
「金がないのはしょうがないだろ? ヒキコモリに外に出ろって言うのも当然だ。そんなんで怒ってたら……」
〝【ミカヅキ】おばあちゃん怒らせた。ボクはもうここにもいられなくなる〟
続けて書き込まれた内容に、俺は言葉を呑み込んだ。
……怒らせたって、婆ちゃんをって意味か。
「別に、オトメ婆ちゃんは怒ってなかったぞ」
〝【ミカヅキ】そんなわけない怒ってる〟
「何でそう思う」
今度の間は長かった。
〝【ミカヅキ】ヒドイこといった。ママとおなじこと。おばあちゃんにいった。だから怒ってる。ゆるしてくれるわけない。ボクはママをゆるさない。だからおばあちゃんもゆるしてくれるわけない〟
……なるほどね。
「……〝婆ちゃんなんか要らない〟……って、言ったのか?」
ドアの向こうで、乱れた呼吸を抑えるような気配があった。
呼吸っていうか、これは
「泣くほど後悔してんなら、さっさと謝れバカ」
〝【ミカヅキ】無理〟
〝【ミカヅキ】ママはゆるしてくれなかった。あやまってもゆるしてくれなかった。もっと怒られた。あやまっても意味ない。無理〟
……謝って済むなら苦労はない。か?
……けど、
「……俺の母ちゃんは赦してくれたけどな。それに、初めてオマエとオンでパーティー組んだ時、トラブったろ? 俺が謝れって言ったら、オマエ謝ったじゃねえか。あん時、俺はオマエを赦したはずだがな」
〝【ミカヅキ】うん、ゆるしてくれた〟
〝【ミカヅキ】ゆるしてくれた。アオだけはゆるしてくれた。アオはママとはちがう。アオはちがう〟
……ああ、そういうことかコイツ。
何で俺に懐いてんのかと思ってたけど。
「……自覚なかったんかオマエ」
横の賢勇からあきれも深くぼやかれた。
……ったく。
「言っとくけどな。謝れば普通は赦す。身内なら特にな。……ただ、オマエは自分の母ちゃんに赦してもらえなかったから、わかんなくなっちまったんだなあ……」
謝っても赦してもらえない。
赦してもらえない世界で生きるのは────。
……まあ、キツいよな。
「あのな、リアルでもヴァーチャルでも一緒だ。リアルはログアウトできない? なら、この状況は何だ? 閉じこもって関係を断って、ある意味リアルのログアウトじゃねえか」
〝【ミカヅキ】ちがう。リアルはいまみたいに直でこられる。直でせめられる〟
「一緒だ。オマエ、俺をネットで叩いてるヤツらに何しようとしてた? データ割り出して何しようとしてた? 同じだよ。ログアウトしようがどうしようが、攻撃される時はされる。何も変わらん」
〝【ミカヅキ】変わる。リアルは無理。リアルじゃボクはなにもできない。リアルじゃ戦えない。だから無理〟
「だか……」
「おい、ミカちゃんよ」
俺を制して、賢勇が声を上げた。
「オレは碧継を苦しめるヤツはブッ飛ばす。そう決めてる」
……いや、イキナリ何を物騒なこと宣言してんだオマエ。
しかも冗談抜きで本気なところが怖い。
「ミカちゃんもそうだろ? ネットで碧継をあげつらってる連中、ブッ飛ばしてくれてるよな? 感謝してんだぜ。オレはそっち系はサッパリだからさ」
「……賢勇オマエ何を言っ」
問おうとしたら容赦なく手で口を押さえられてねじ伏せられた。全力でもがき抗ってみるが、ビクともしない。
……ダメだ、フィジカルじゃ歯が立たん!
「リアルはオレ、ヴァーチャルはミカちゃん。それでいいだろ? リアルじゃオレが守るよ。碧継も、ベニも、ミカちゃんもな。だからさあ、いい加減に赦してやれよ。な?」
赦す? ……ああ、そういえばそうだったな。
そもそも俺は、約束スッポカしたのを謝ってたんだった。
「碧継も謝ってんだから、もう赦してくれよ。頼むわ。ちゃんとオレも手伝うからさ。パソコンも、オレが何とかする。……それとも、やっぱミカちゃんもダメか? 謝っても赦してくんねえのかな?」
ドアの向こうで微かに声がもれ、気配が揺れたのがわかった。
賢勇が俺の口から手を離す。
発言しろってことか?
改めて、ごめんさいって? 赦してくれって……謝るのか?
そうすれば、この流れ的に赦してはくれるかもな。
……けど、俺は別に、ミカヅキに赦してもらいにきたわけじゃない。
俺がここにきたのは────。
「ミカヅキ、ここを開けてくれ」
強い声音で、頼み込んだ。
「もしくは、出てきてくれ。じゃないと、オマエを助けられない」
ガタンとドアにぶつかる物音。
たぶんドア越し、すぐそこにいるんだろう。
「ミカヅキ、俺たちはな、オマエを助けてくれって言われたからここにきた。けど、このままじゃあどうしようもない」
〝【ミカヅキ】だれに〟
「バカか? オトメ婆ちゃんに決まってるだろうが。婆ちゃん泣いてたぞ。オマエを怒らせたって、力になってやれないって泣いてたぞ」
だからなあ……。
「俺のことは赦してくれなくていいから、ここから出てこい。で、婆ちゃんに謝れ。謝ったら、絶対に赦してくれる。絶対にだ」
〝【ミカヅキ】ゆるしてくれなかったら? おいだされたら? ボクにはどこにもいばしょなくなる〟
「絶対赦してくれるって言ってるだろ! それでも……もし、万が一ダメだったら、そん時はウチに来い。俺のとこで引きこもれ。それでもまだ怖いか? 婆ちゃんも俺も信用できないか?」
だったら、もう最終奥義を発動するしかなくなるんだが────。
「碧継よぉ……」
「ん? 何だ賢勇」
「……いや、まあ大丈夫だろうから別にいいんだけど」
「……?」
煮え切らぬ賢勇を問い質そうとした時、
「……ズルい……」
弱々しい声が、ドアの向こうからもれてきた。
カチャリと、鍵が外れる音。
次いで、ゆるりと引き戸が開け放たれた。
「……ズルい、そんなこと言われたら……ボクは……!」
嗚咽まじりにかすれた可愛いらしい声。
あれ? ミカヅキの声……だよな?
「アオ……! ボクは……ボク……アオを……」
泣き声の謝罪とともに床にへたり込んだのは、
……ミカヅキ?
ああ、そうか、だから賢勇はミカちゃんて……ああ、なるほど!
「やっぱ気づいてなかったのなぁオマエ……」
賢勇のあきれの溜め息はことさらに深く……。
……たぶん、これ、気づいてなかったのは俺だけか?
俺は咳払いで気を取り直しつつ。
とりあえず、ミカヅキの言う通り、今のはズルい追い込み方だったと反省する。
「……ゴメンなミカヅキ」
目の前で泣きじゃくる少女に謝罪。
彼女はしゃくりを上げながら、嗚咽まじりに何度も頷きを返した。
どうやら赦してくれるらしい。
「……ありがとな」
俺は改めて礼を言い、そのボサボサの髪を優しく撫でたのだった。
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