第25話 人はすぐに嘘をつく
四之宮商店での騒動もひとまず収束。
とはいえ、根本的なヒキコモリ問題が解決したわけじゃない。
一応〝これからは少しずつでも外に出るよう努力する〟って方向でミカヅキと話したが、どうなることやら……。
いずれにせよ、ここで放り出すわけにはいかないし、必然的に俺たちが更生に付き合うことになるだろう。
まあ、それは仕方ないし、構わない。数少ない友人だし、大事な後輩だし、そもそもあのコミュ障をソロで行動させるのはこっちの精神が持たないし、協力することはヤブサかではない。
……けど、何というかね。ここしばらく毎日毎日新しいトラブルが起き過ぎというか、ちょっと平穏が恋しいというか……だ。
要するに疲れた。
俺は込み上げた溜め息を込み上げるままに吐き出しつつ、我が家の玄関をゆるりと開け放つ。
「ただいま……」
「うむ、おかえり」
応じるアルルの声は家の中ではなく、すぐ傍らから。一緒に帰ってきたのだから、それは当然なんだが……。
「ん? どうしたアオツグ」
何だかな、昨日も同じ風だったっけか……?
「今の、変なやり取りだと思ってな……」
「そうか?」
「こういう場合、ふたりで〝ただいま〟なんじゃないか?」
「……そう言われれば、そうかもしれないな。ふふ、アオツグを迎えるのがクセになっているようだ」
クスクスと楽しそうに笑うアルル。
何がそんなに楽しいのやら。
敷居をまたごうとした俺は、ツイと袖をつかまれ引き止められた。
「……? 何だ?」
「うむ……その、せっかくだから、改めて一緒に言い直さないか?」
「言い直す……って、〝ただいま〟をか?」
「そうだ」
「…………何で?」
「んー……何となく?」
小首を傾げて微笑むアルルさん。
よくわからんが、別に断固として拒否するようなことでもない。
頷いてアルルの横に並ぶ。
いざ改まって言い直すのは奇妙な感じで、俺は軽く咳払いしつつ。
「……それでは……」
アルルが軽く息を吸い込むのに合わせて、俺も声を出す。
「「ただいま」」
声を重ねて、一緒に敷居をまたぐ。
……いや、これって別に重ねて言う必要はなかったんじゃないか?
見れば、当のアルルさんは御満悦って感じの可憐な笑顔。
「ふふ♪ 何をしているんだろうな、わたしたちは」
「……オマエがやりたいって言ったんだよ」
「うむ、それはそうなのだが……何となく、一緒に〝ただいま〟というのも面白いかと思ったのだ」
「何だそりゃ……。で? 面白かったか?」
「ああ、なかなか良かった。けれど、やっぱりわたしは、貴方に〝おかえり〟と言う方がいい。その方が落ち着く」
はにかむようにクスリと笑うアルル。
それは見てるこっちが気恥ずかしくなるっていうか、微妙にモヤモヤする気持ちを持て余しながら、ともかくさっさと靴を脱いで座敷に上がる。
板の間の上に座した途端、ドッと疲労を感じてそのまま寝転がった。
……ああ、本当に疲れた。
改めて、そう感じる。
けど、別にイヤな疲れではない。
ミカヅキは大事な仲間だし、オトメ婆ちゃんは昔からの馴染みだ。
あのふたりの助けになれたのだと思えば、少しは誇らしくもある。
……ただ、それはそれとして疲労は疲労だ。
何だかもう起き上がるのも億劫で、このままダラけてしまいたい気分なんだけども……。
「アオツグ」
アルルの声。
そうだよなあ……今はひとり暮らしの頃とは違う。気ままにダラダラと振る舞うわけにもいかない。
俺は叱られる前に身を起こそうとしたんだが、ふと、その動きを柔く制するように、アルルの手が頬に触れてきた。
「……?」
見上げれば、俺の頭側に座したアルルが、逆さに覗き込んでいる。
何だ? ……と訊ねる前に、彼女は俺の頭をそっと持ち上げ、座した自分の太腿に乗せてしまった。
後頭部に感じる柔く温かい感触。
……これは、あれか? 俗に云う〝膝枕〟ってヤツか?
「今日は良く頑張ったなアオツグ、母の膝でゆっくり休むがいい」
穏やかに囁いて、俺の頬を撫でてくる。
……これは、かなり気恥ズイ。
けど、それ以上に心地良い。
疲れてるせいもあるのか、それはもう至福って感じだ。起き上がろうなんて思えない。
……どうせ誰に見られてるわけでもないしな。
俺は眼を閉じ、そのまま彼女の労いに甘えることにした。
「おやすみ、アオツグ……」
アルルの優しい声。耳朶をくすぐる甘やかな囁きに、俺の意識はゆるりと眠りに落ちていった。
夢を見た。
よりによって親父の夢だ。
ずっと昔に親父と交わした会話の夢。
いや、そんな昔でもなかったか?
ともかく────。
それはテレビでやってた映画を観ていた時の記憶。
ファンタジー? それともSFだったかな?
まあ、アクションヒーロー物だ。
最強の兵士となるべく生み出され、徹底した英才教育と訓練を受けたハイパーソルジャーな主人公が、悪の軍隊を薙ぎ倒していくという内容。
CG使いまくった派手なアクションが痛快で、なかなか面白かった。
けど、今となっては内容はあんまり憶えてない。
憶えているのは、一緒に観ていた親父のトンチンカンな感想だ。
〝……悲しい話だね……〟
それが親父の感想だった。
ヒーローが悪の組織を痛快アクションでブッ飛ばす……それのどこが悲しい話なんだ?
そりゃあストーリーはシリアス寄りで、途中で倒される仲間や、犠牲になるモブキャラもいるけれど、その辺は普通に展開を盛り上げるアクセントで、特別悲劇的な演出にはなっていなかったはずだ。
少なくとも観た当時はそう思えた。
でも、それでも悲しんでいる親父が不可解で、その時の俺は訊ねた。
……何がそんなに悲しいんだ?
だから、夢の中の俺も同じく訊ねていた。
親父は言った。
〝……この主人公が悲しい……〟
……何で?
〝……この主人公は、ヒーローをやらされている……〟
そう言った親父の気持ちは、当時は良くわからなかった。
けど、まあ、今なら少しわからないでもない。
最強兵士になるべく生み出され、ひたすらそのためだけに鍛えられ、実際に最強兵士となって戦う宿命を背負わされる。
そう考えてみれば、可哀相な話ではある。
だが、この主人公が最強兵士……ヒーローとして戦ってくれるからこそ劇中の平和は守られていて、そうして平和を守って戦うことに、主人公も存在意義を見出している。
なら、一概に悲しいと断じることはできないだろう。
当時の俺がそう思ったかは憶えていない。
でも、夢の中の俺はそう答えていた。
夢の中の親父は、どこか得心した様子で頷いた。
〝……そうだね。それはそうかもしれない。ヒーローとして生み出されたこの主人公は、ヒーローとして生きることができている。それは、ある意味で救いのあることなんだろうね……〟
望んでそうなったわけではないかもしれないけれど……。
そうあることに意味は見出せた。
でも、だったら────。
〝……ヒーローとして生み出されたのに、もしもヒーローとしての役目も使命もなかったとしたら? 平和な世界に生まれたヒーローは、その存在に意味を見出せるのかな……〟
平和な世界に兵士は要らない。
戦いのない世界に戦士は必要ない。
だったら────。
悪の組織が存在しない世界に、ヒーローの居場所はあるのだろうか?
あの映画の主人公は、悪の組織を倒したその後に、平和な世界でも安んじて生きていくことができたのだろうか?
映画の結末は憶えていない。
けど、たぶん映画は平和になったところで終わったんだと思う。
〝……悲しいね。そういうのは、とても悲しいよ、碧継……〟
それは昔、親父と交わした会話の記憶。
どこまでが回想で、どこまでが空想なのかもわからない。
きっと在りのままの記憶からは、色々と変わり果てているんだろう。
けれど……。
〝……悲しい話だね……〟
そう言っていた親父の顔は、やけにハッキリと憶えている。
哀れむように、悼むように、存在の意味がない誰かを想い浮かべながら呟いたであろうその顔を、俺はハッキリと憶えていた。
だから……。
「……悲しい……話なのかもな……」
そう呟いた自分の声で、俺は目を覚ました。
自宅の居間、窓の外はもう暗い。けっこう寝入ってたのだろう。
後頭部には柔い感触、そして視界いっぱいに覆い迫るデカイ胸。無論、アルルの胸だ。ずっと膝枕されたままだったようだが、寝言を聞かれてしまったか?
妙なことを口走ってなければいいけど……と、少々うろたえつつも、それは杞憂っぽい。
少し頭を動かして見れば、アルルもまた眼をつぶり、静かな寝息を立てていた。
俺を寝かしつけた後に、同じく寝入ってしまったのだろう。
寝る前に頬を撫でてくれていたその白い手は、今も添えられたまま。少しくすぐったいが、やはり心地良い。
うつらうつらと微かに揺れている彼女の逆さまの顔。その無防備な寝顔を見ていた俺は、半ば無意識に手を伸ばしていた。
彼女の白い頬に指先で触れようとして……。
「……次のニュースです。昨夜未明、
点けっぱなしのテレビから流れてきた内容に俺は身を起こす。
ニュースが語る内容は、隣市某所のブティックにて、刀剣で出入り口を切断損壊しての窃盗事件が発生したとのこと。それはここしばらく誌訪町と隣市とを跨いで起きている事件。
刃物での損壊という特徴的な手口から同一犯と見られるそれは、以前に戌亥刑事が連絡してきた件を最初に、これで五件目だ。
……まだ捕まってないのか。
よほど巧妙なのか? けど、コインランドリーの両替機荒らしとか、最近この手の犯罪って捕まり難い印象があるよなあ。
「…………ん……ぁ……起きていたのかアオツグ」
欠伸を堪えたアルルの声。
「おはようアルル」
「うむ、おはよう。良く眠れたか?」
「……おかげさまでな」
膝枕なんてされたのは初めてだったが、想像以上に心地良くて、グッスリと眠れた気がする。
……いや、何か微妙にイヤな夢を見た気もするが、どんな夢だっけ?
良く憶えていない。が、こういう場合はたいていクソ親父の夢だ。だから無理して思い出すべきじゃない。
「もう七時か、すぐに夕飯の支度をする。待っていてくれ」
「別に慌てなくていいぞ」
「だが、お腹が空いているだろう?」
ニッコリと笑い返される。
確かに腹は減っていた。
まあいい、俺は風呂の準備でもして来ようか。
そう思い立ち土間に下りたところで、玄関脇の白い荷袋に眼を留めた。
アルルの鎧一式と長剣だ。
盾は最近持ち歩いているようだが、それ以外は放置のままだった。
さすがに、ちゃんと仕舞っといた方がいいよな。
いや、そもそもこれって一応はアルルの記憶の手掛かりなんだよな。
アルルが居ることを受け入れてしまって、最近は気にしてなかったが、そもそも彼女は記憶をなくした素性不明の人なんだ。
なら、その記憶を探る手掛かりはちゃんと調べておくべきだろう。
記憶が戻ったら出て行く、なんてことになったら困るが……。
そう思った自分自身に苦笑う。
本当、最初はそれをこそ願ってたはずなのにな。
俺は荷袋の口を開け、中の鎧を覗き込んでみた。……が、見てわかるのは金属製で本格的な西洋
素人目だから、どう本格的なのかも見当がつかない。
少なくとも、コスプレ用のイミテーションではないと思う。
次は長剣の方。こっちも同じく金属部品で構成された本格的な品だとしかわからない。北欧とか古代ローマの肉厚で幅広い剣ではなく、中世騎士が持つような諸刃の騎士剣……いわゆるロングソードな感じ。とはいえ、それもモロにゲームや漫画からの知識だから当てにはならないだろうな。
ただ、こっちは明確に飾り用の模造品らしい。刀身はなく、抜刀できない構造だと戌亥刑事が言っていた。
「……やっぱり、ちょっと見たくらいじゃ手掛かりなんてわからんな」
調べるにしても、それなりに知識のある人を探さないとなあ。
鞘を握っていた俺は、何の気なしに右手で柄を引っ張ってみた。
カキンッと、硬い金属音が鳴り、
しゃらん────♪
鈴が転がるような澄んだ音を奏でて、銀色の光が煌めいた。
「……あれ?」
鞘から十数センチほど覗いた刀身。照明をまばゆく反射するその鋭利にも美しい刃に、俺はしばし呆然としてしまった。
覗いた刃部分を、柱の角に慎重にゆっくりと押し当ててみる。
大した抵抗もなく、あっさりと二センチほど斬り込む刃。
「……模造品じゃないじゃん」
「どうした? アオツグ?」
料理中のアルルが不思議そうに呼びかけてくる。
いや、どうしたもんだかな……。
何にせよ、対応に困る事態であることだけは確かだった。
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