第37話 母は寂しいと足クセが悪くなります


 夕食の後。

 居間のコタツに座した俺は考えていた。

 いや、食事中もずっと考えていたし、帰宅中も、さらに賢勇と一緒の時だって考え続けていた。

 我が従妹である紅姫のこと。

 今日、駅前のファミレスで友人たちといるのを見かけたが、賢勇曰く、あまり楽しそうではなかったという。やっぱり身内としては気になる。


 紅姫に直接訊いてみるか? でもな……。

 何か親が娘の交友関係を心配してるみたいで過保護っていうか……いや、ほぼその通りだし、こうしてグダグダ考えてても仕方ない。


 俺はスマホを取り出し、紅姫にメッセージを送ってみる。


〝【アオ】紅姫、今日ファミレスにいるの見かけた。何か元気なさそうだったが大丈夫か?〟


 返信はわりとすぐにきた。


〝【紅】テストと補習でつかれた。来週は追試だしメンドイ〟

〝【アオ】追試で点が悪いとさらにメンドイぞ。頑張ったら何か御褒美やるから〟


 ………………。


 …………ああ。


〝【アオ】ガンバったらナニかゴホウビをやる〟

〝【紅】(^o^)♪〟


 すぐに返信された笑顔のスタンプ。

 俺はやれやれとコタツ上に突っ伏した。


 紅姫の返答は実に無難なもの。アイツは姑息な腹芸なんてできないだろうし、なら、普通に問題ないのかもしれない。


 けど……。

 

 そもそも〝沙久来グループは健全なのか?〟ってとこだよな。

 このまま紅姫に訊いてもいいが……それは実質〝オマエの友達ってマトモなの?〟って問い質すわけだし、そこまで根掘り葉掘り詮索されるのはイヤだろうなあ。

 兄としては気になるが、いらないお節介で妹の機嫌を損ねたくもない。安いプライドだと言われればそれまでだが、そういう益体もない感情こそ御しヅラいもんだ。


 となると、差し当たって情報源のアテがひとりいるんだが……。

 俺は手にしたスマホを眺めながら逡巡する。こっちはこっちで穏やかなやり取りは望めそうにない。けど、他にアテはないしなあ。


 ……ま、こっちは嫌われてんのもあきれられてんのもデフォルトだ。


 俺は意を決して、こないだ知ったばかりのTEL番号を手打ち入力した。色々と配慮して登録はしてないんでね。

 だいぶ長めの呼び出し音の後……。


『……もしもし』


 応じたのは、いかにもいぶかしむ少女の声。


「あ、もしもし深空碧継です。今少し話せるか?」

『……何で貴方が私の番号知ってるのかしら?』

「いや、こないだの勉強会で教えてくれただろ?」

『あれはアルドリエルさんたちに教えたのよ。詐欺師に教えたつもりはないわ』

「けど、目の前で声に出して番号交換してたんだから、知られても構わないつもりだったんだろ?」

『……まあ、それは……』

「軽蔑も侮蔑も甘んじて受ける。今は訊きたいことがあるんだ。頼むよ登河さん、礼はするからさ」


 ダメもとで頼み込む。

 いや、ダメもとってことはないな。たぶん、何だかんだで協力してくれるような気がしてる。


『……仕方ないわね。手短にお願い』


 盛大な溜め息を吐きながらも、やはり応じてくれた。


「ありがとう。訊きたいのは、そっちのクラスのリア充グループ……って言い方で通じるかな?」

『……沙久来蓮之介とかのこと?』

「そうだけど……何か呼び方にトゲあるな」

『あまり好きじゃないのよね、アイツらというか、あの男……』


 ほう、確かに登河さんは歯に衣を着せないタイプだとは思うが、こうもハッキリ否定的な言い方をするとは…………いや、俺はもっとボロクソに言われてるな。


 ……ともかく、今は沙久来グループの話だ。


「今日、駅前のファミレスで、沙久来たちと紅姫が一緒に居たんだよ」

『……ふーん、シスコンの兄としては、連中の素行が気になるわけね』

「まあ、そういうことだ」

『悪いけど、私はほぼ付き合いないから詳しくないわよ。でも、そうね、少なくとも不健全な印象はないかな。何せ、沙久来蓮之介のグループですもの』

「どういう意味だ?」

『……沙久来蓮之介のこと、どういうヤツだと思ってる?』

「学園一のモテ男。その割りにあんまりチャラついてなさそう。穏やかで物静かな印象…………そんな感じか」

『そうね。間違ってないわ』

「…………で?」

『それだけよ。沙久来蓮之介は優しくて穏やかで面倒見が良い聖人君子なの。少なくとも、中等部の後輩を遊び半分に口説くなんてチャラついたマネはしないだろうし、周りにも許さない。まして、素行不良な行動なんて絶対に認めないでしょうね』

「そんなクソ真面目なヤツなのか……?」

『真面目っていうより、ひたすら優しくて善良なのよ。あの男の数々の武勇伝、知らないのよね?』

「知らない。一日に連続で告白されたとかか?」

『そういうのもあるみたいだけど』

「あるのかよ……」


 あきれのままに苦笑する俺。

 対する登河さんは、深い深い溜め息をこぼした。


『あの男、困ってる人がいたらすぐ助けるのよ』


 続けたそれは、ハッキリと強い嫌悪を込めたぼやき。


「……どういう意味だ?」

『そのままの意味よ。困っている人を見かけたら〝どうしたんだい?〟って笑顔で問いかける。相談されたら、親身になって協力する。そして問題が解決したら、我がことのように嬉しそうに喜ぶのよ』

「何だそれ? それで全部助けてるってのか?」

『もちろん、全部が全部助けられるわけない。頑張ってもどうにもならない時だってあるし、そもそもから助けようがない問題だってあるわ』

「……まあ、そうだよな」

『そういう時ね、あの男、のよ』

「…………」

『……〝ごめんなさい〟〝力になれななかった〟〝本当にごめん〟って、涙を流して悲しむの』

「それは……」


 それは確かに、優しくて善良なのかもしれないが……。


『最初見た時はフザケてるのかと思ったわ。もしくは、そういう良い人キャラを演じてるのかと…………でも、たぶん、あの男は本気よ。誰かの喜びが本気で嬉しくて、誰かが苦しんでいるのが本気で辛いんだと思う』


 誰かが苦しんでいるのがイヤで、誰もが幸せになれれば良いと、そう心から願いながら、あまねく全てに笑顔で手を差し伸べる。

 それはまるで────。

 脳裏に否応なく浮かぶのは、深空白斗の脳天気な笑顔。


『……ね? 気に食わないでしょう?』


 登河さんの声は冷ややかだ。

 きっと、彼女も同じく思い浮かべているのだろう。

 だから俺もまた、心底ウンザリと……。


「確かに、あまり仲良くなれそうにはないな」


 むしろ、極力関わり合いたくない。

 電話越しの少女も、同意するように短い笑声をこぼす。


『そんな感じだから、少なくとも紅姫さんが悪い遊びに誘われることはないと思うわよ』

「そうか。けど、そうなると、そんな正義のイケメンに、紅姫が惚れちまわないかが心配になるな」

『シスコン詐欺師にとっては死活問題でしょうね。けど、私にとっては心底どうでもいいわ。それに……』

「それに?」

『あの子はあの子で、だいぶブラコンみたいだし。大好きなお兄ちゃんに甘えるので忙しそうだから、大丈夫なんじゃないかしら?』


 ……それはそれで大丈夫じゃないです。


『とにかく、私が教えられるのはこのくらいね。もういいかしら?』

「ああ、ありがとう。助かったよ」

『どういたしまして。それじゃあね』


 登河さんは溜め息まじりに通話を切った。


 差し当たっては心配ない……かな。

 だが、直接確認できていない内は安心できない。ホント、自分でも過保護が過ぎるとは思うが、どうもな。

 社会は世知辛く、人生は落とし穴だらけ。それを散々に思い知ってきたからな……。


 ふと、コタツに突っ込んだ俺の足先に、別の誰かの足先が触れてきた。当然、誰の足かは考えるまでもない。

 顔を上げれば、対面に座したアルル。


「何だか、ずっと難しい顔をしていたなアオツグ」


 穏やかな微笑でこちらを見つめながら、コタツの中ではその足指がツンツンと突いてくる。


「食事中もずっと黙り込んでいたから、少し寂しかったのだぞ」


 やや恨めしそうな声音。けど、本気で怒ってるわけではないだろう。言葉の通り、放置されていたことへの抗議だと思う。


「ごめん。紅姫のことでちょっとな。けど、ひとまずは解決した」

「そのようだな。なら、ひと安心だ」


 ニッコリと破顔しながら、彼女の足先がさらに俺の足にチョッカイをかけてくる。足裏やら甲を、ゆるゆると足先で撫でてくるのだが……。


「……さっきから何してるんだ?」

「ん、言ったろう? 今日の貴方はずっと心ここに在らずで、ほったらかしにされていた母は寂しかったのだ。けれど、考え事をしているのに変に構うのもな……」


 なるほど、まさに俺が紅姫に対して抱いていたのと同じ葛藤か。

 ……いや、俺は別に寂しかったわけじゃあないが、とにかく、考え事がひと段落ついたのを見て、早速に構ってきているわけか。


 ニコニコと楽しげに足で俺をイジってくるアルルさん。

 やわくて滑らかな感触は、こそばゆいやら心地良いやら、触れてくる仕種はゆるく優しく、それでいて逃さぬようにしっかりと俺の足指を絡め取ってくる。何とも器用なことだ。

 受けたことないけど、足裏マッサージとかってこんな感じなのか?


 見れば、アルルは実に楽しそうにゆるんだ笑顔。


「相変わらず、アオツグは温かい」

「……そりゃあオマエはさっきまで台所に立って洗い物してたからな」

「ふふ、そうだな。逆にわたしの足が冷たくて申し訳ないかな」

「いや、別にそんなことはないが……」


 むしろ普通に心地良い……んだけど、それを口にするのは、気恥ずくてためらわれる。

 俺は気合いのポーカーフェイスで見返した。


「騎士様が人を足でイジるとか、無作法なこったな」

「確かに。こんな恥ずかしいマネは、貴方にしかできないよ」


 照れ臭そうに肩をすくめるアルル。そういう様子はまあ可愛らしいんだが、足指はなお艶めかしく俺の足をイジり倒してくる。

 ……どうやら解放する気はないようだ。

 ホント、オマエの足って何でそんな器用に動かせるの?

 俺は観念してされるがままになった。


 アルルはこないだの勉強会で取り乱して以降、前にも増して俺へのスキンシップが過剰になっている。傍目からは、バカップルそのままのイチャつきっぷりなんだろう。

 別に、それがイヤなわけじゃない。

 彼女にイジられるのも、甘やかされるのも悪くない。こうしてふたりっ切りの時なら誰にはばかることもないし、むしろ望むところだと言って良い。


 ただ、惜しむらくは……だ。


 ジッと見つめ返せば、アルルはニッコリと首をかしげる。


「何だ? アオツグ」


 ……こんだけイジり倒しておいて、何だもないもんだが。


「別に、オマエが美人だから見とれてるだけだ」


 俺はいつものように素直な感想を返す。

 アルルもまた同じくいつものように微笑んだ。


「ふふ、母をからかうものではないよ」


 青い双眸を柔和に細め、さらに楽しげに俺の足をイジってくる。足先を擦り寄せ、足指を絡めて、そりゃあもう第三者には恥ずかしくてお見せできない重度のイチャラブっぷり。


 本当に、惜しむらくはそのラブが、守るべき我が子への母性愛であることだった。


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